地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

ひとりの人によってきたのだから

2012-12-05 11:59:06 | 今日の御言葉
それは、死がひとりの人によってきたのだから、
死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。

アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、
キリストにあってすべての人が生かされるのである。

『コリントの信徒への第一の手紙 』15章21-22節 口語訳




「お金持ちにしてあげるとは誓わない。けれども、おもしろい人生になることは約束するよ」

(原文)Barack didn’t pledge riches,only a life that would be interesting.On that promise he delivered.
(2006年11月5日付の英紙サンデー・タイムズより)

大統領就任式のパレードを歩くオバマ夫妻(写真左)。
2009年1月20日、ワシントン
時事通信社より





ニューヨークの金融街ウォール・ストリート付近の道路をデモ行進する人々。経済格差や高い失業率に不満を抱く若者らのデモは、米国のほか世界各地に広がり、警官隊との衝突が続発した(米ニューヨーク)=2011年10月15日【時事通信社】


■時事通信社 特集 (2012年)
格差をめぐる潮目と共感
http://www.jiji.com/jc/v4?id=kks5250001&rel=j&g=phl



 「私の税率は17%で私の秘書より低いのは不公平」-。米国で長者番付の上位に位置する著名投資家ウォーレン・バフェット氏が税制の矛盾を指摘するとともに富裕層への増税を訴えている。富裕層は税率が15%の株式配当や株の値上がりで利益を得ているため給与所得者より低くなる。これは不公正だというわけで、オバマ大統領が目指す富裕層増税への支援材料ともなっている。大富豪が自らへの増税を訴えるのは異例と言えるが、注目を集めた理由は、それだけではない。(時事通信社・舟橋良治)



 2011年秋に米ニューヨークで始まった、いわゆる「ウォール街の占拠」で格差に対する社会の関心が高まり、格差是正が必要だとの認識が米国だけでなく世界各地で広がった。そうした素地があったからこそ、人々の共感を呼んだ。




ニューヨークの金融街ウォール・ストリート付近の道路をデモ行進する医師ら(米ニューヨーク)=2011年11月13日【AFP=時事】


 大きなうねりとなった「ウオール街の占拠」は、カナダの非営利雑誌「アドバスターズ」の発行者カレ・ラースン氏が11年7月13日に行ったインターネット上の小さな呼びかけをきっかけに始まった。ラースン氏は米国型経済モデルの行き詰まりや格差拡大を憂慮。現状を動かす策として、「ウォール街を占拠せよ。9月17日、テント持参」と自社サイトに載せた。ウォール街を選んだのは、2008年のリーマン・ショックを米政府の資金投入で乗り切った金融機関がひしめいているのが理由。格差や失業などに不満を持つ人々が集まるのにふさわしい場所だと考えたという。


 最初の参加者は約1000人。ラースン氏も大きな運動に発展するとの確信があったわけではなく、現場に足も運んでいない。


しかし、「我々は99%だ」というキャッチフレーズは、
1%の大金持ちが富を独占している経済実態を端的に示し、
参加者が日増しに増大していった。




富裕層に対する増税政策、いわゆる「バフェット・ルール」に関して演説するオバマ米大統領(米ワシントン)=2012年04月11日【EPA=時事】




 「ウォール街の占拠」は「99%」運動とも呼ばれるようになり、フェイスブックなどを通じて全米だけでなく、世界各地に飛び火。10月15日には欧米やアジアを含む約80カ国、951都市でデモなどが計画され、人々が反格差の声を上げた。

 ウォール街の占拠は、テントに寝泊まりしていた人々の強制排除が11月15日未明から実施され、その後、下火になっていったが、格差に関する様々な層の感心を高めたのは間違いなく、2012年になっても、各地で反格差のデモは続いた。

 米国の実態に関しては、米議会予算局(CBO)が公表。1979年から2007年までの30年間で、最も豊かな上位1%の人々の税引き後の所得はインフレの影響を差し引いた実質ベースで約3・8倍に増大した一方で、下位20%の所得は18%しか伸びていなかった。CBOは「米国民の所得は30年間で著しく不平等さが増した」と指摘している。




米国の著名投資家ウォーレン・バフェット氏。富裕層への増税の必要性を訴えて注目を集めた(米ワシントン)=2007年11月14日【EPA=時事】



 上位1%の富裕層は国富の4割を保有するとも言われる。また、米国勢調査局によれば、2010年の貧困者は4618万人で過去最多となり、全人口に占める割合も15・1%と3年連続で上昇した。

 貧困が増加、格差も拡大する状況の中で、上位1%の富裕層の中に、公的資金投入で立ち直った金融機関の役員が再び高額ボーナスを受け取ったケースがあった。こうした企業姿勢に対してはオバマ大統領が不満を表明したほどだった。

 バフェット氏が訴えた富裕層への課税強化は、こうした環境の中で政策的な課題として浮上。オバマ大統領は年収が100万ドルを超える富裕層に課す税率を最低30%とする、いわゆる「バフェット・ルール」の導入を打ち出した。





ベンアリ大統領の辞任を求めて政府庁舎前で抗議する人々(チュニジア・チュニス)=2011年01月14日【AFP=時事】


 富裕層への増税に加え、格差対策の一環として為替取引などすべての金融取引に課税する、いわわゆる「ロビン・フッド税」が米国でも議論のそ上に上り、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏らが支持。格差拡大に伴う中間層の減少が米経済の成長鈍化を招くとの指摘も出始め、2012年の米大統領選は「格差」が争点の一つに浮上する雲行きだ。

 こうした潮流を作るきっかけとなった「ウォール街の占拠」は、北アフリカや中東で独裁政権が連鎖的に倒された「アラブの春」と細からぬ糸でつながっている。ウォール街に集まるよう呼び掛けたラースン氏は、カイロのタハリール広場といった都市中心部に連日押しかけることで半ば平和的にエジプトのムバラク政権を倒した若者たちから「占拠」を思いついたのだという。

 「アラブの春」に関して、その発端となった「ジャスミン革命」から、少し振り返ってみたい。

 2010年12月17日、チュニジア中部の町シディブジッドで、当時26歳だったムハンマド・ブアジジ氏が、路上で果物を売り始めると警察官が「営業許可がない」と商品を没収。抗議すると女性警官に平手打ちされたという。ブアジジ氏は果物の返却を求めて役所に行ったが相手にされず、「話を聞いてもらいたい」とガソリンをかぶった。しかし、なしのつぶてで、最後には火をつけて焼身自殺を図った。



焼身自殺した青年ブアジジ氏を「大統領」に見立てた肖像写真を掲げるデモ参加者(チュニジア・チュニス)=2011年01月20日【AFP=時事】


 この話を聞いた友人や同じような屈辱を味わってきた多くの人々がデモを組織。その模様を連日、フェイスブックなどで公開すると全国にデモが拡大していく。年が明けた2011年1月4日にブアジジ氏が死亡し、抗議行動が激しさを増すと、死去から10日後の14日にベンアリ大統領は国から逃亡。警察隊によるデモへの発砲で数十人の死者が出たとされるが、大規模な衝突を経験することなく、23年に渡ってチュニジアを統治してきたベンアリ政権が崩壊した。この政変劇は、チュニジアを代表する花ジャスミンから「ジャスミン革命」とネット上を中心に命名された。





ムバラク大統領の退陣を求める反政府デモの女性参加者(エジプト・アレクサンドリア)=2011年02月06日【AFP=時事】


 ジャスミン革命は北アフリカや中東に飛び火し、同じような政治・経済状況にあったエジプトのムバラク政権、さらにリビアのカダフィ政権も崩壊するなど「アラブの春」へとつながってった。

 チュニジアは、ベンアリ政権で経済成長を果たしたものの、一族による利権支配や不正、腐敗がはびこり、若年層の失業率は30%にも達していた。焼身自殺したブアジジ氏は1日の収入約400円で家族を養っていたとされる一方で、ベンアリ大統領が国外逃亡する際、婦人が1・5トンの金塊を持ち出したと報じられた。

 経済的な格差や困窮、政府への不満が大規模なデモや抗議行動に結びついたのは明らかだが、政権を崩壊に追い込むほどの爆発力を持ち得たのは、多数の人々がソーシャル・ネットワークで結びつき、情報を共有したからこそだ。



ノキアのロゴとブランドスローガン「CONNECTING PEOPLE(人々をつなげる。)」(フィンランド・ヘルシンキ)=2004年06月18日【AFP=時事】

 「CONNECTING PEOPLE(人々をつなげる。)」‐。携帯電話の世界シェアで長くトップを維持したノキアのブランド・スローガンだが、「ツイッター」や「フェイスブック」といったソーシャル・ネットワークの登場により、人々はノキアの企業理念を遙かに超えたレベルで深く、広くつながり始めている。そうした人々が社会への怒りや格差のひずみを共有して行動を起こせば、一昔前なら激しい内戦を経て実現したような独裁政権の崩壊が一夜にして起きうる。

 社会変革をもたらす、人々の不満のレベルは一時代前よりも低くなったと見るべきだろう。北アフリカの小国チュニジアは、そんな時代の現実を世界に示した。

 ジャスミン革命とこれに続くアラブの春に着想を得て始まった「ウオール街の占拠」も、フェイスブックなどソーシャル・ネットワークが大きな武器となって運動の広がりを加速させたのは、誰もが認めるところだ。




【不平等な国、日本】




仕事と住まいを奪われた派遣労働者らのための「年越し派遣村」(東京・日比谷公園)=2008年12月31日【時事通信社】

 「占拠」を呼び掛けたラースン氏は日本とも少なからぬつながりがある。1960年代に東京に住んだラースン氏は「アラブの春」を知った時、東大安田講堂や仏カルチエラタンを舞台にした学生運動とを重ね合わせ、「占拠」が社会を動かす新たな運動になるとひらめいたという。

 「占拠」運動自体は日本では大きなうねりとならなかったが、格差の解消は重要な政治的な課題と位置付けられている。1990年代以降の規制緩和を受けた派遣労働の増加などにより、非正規雇用が拡大して低所得化も進行。日本の格差は、富裕層の所得が伸びた米国とは逆の要因で拡大したと言える。


相対的貧困率の国際比較


 低所得者の割合や経済格差を示す国際的な指標として、経済協力開発機構(OECD)は「相対的貧困率」を定期的に算出、公表している。相対的貧困率は、国民の可処分所得を高い順に並べ、ちょうど真ん中となる人の額(中央値)の半分未満の人の割合を示す。

 OECD加盟30カ国の相対的貧困率は、2000年代半ばの平均値が10・6%。日本で比較対象となるのは03年の14・9%で4番目に高かった。少し細かく見ると、米国の17・1%よりは低いものの、フランス(7・1%)の2倍以上。英国(8・3%)、ドイツ(11・0%)、イタリア(11・4%)よりも遥かに高い。日本は決して平等を誇れる国ではなく、先進各国の中では格差が大きいのが明白だ。

 日本政府は「日本に貧困など存在しない」と言い張っていたこともあって、正式な数値を出して来なかったが、マニフェスト(政権公約)で貧困の実態調査と対策を掲げた民主党が政権を取ったのを受けて2009年からようやく公表を始めた。

 その数値は、日本の格差が一段と拡大した実態を示している。



格差をめぐる潮目と共感より
http://www.jiji.com/jc/v4?id=kks5250001&rel=j&g=phl