地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

生きとし生けるもの

2012-12-31 13:12:54 | 今日の御言葉
生きている者は死ぬべき事を知っている。

しかし死者は何事をも知らない、
また、もはや報いを受けることもない。

その記憶に残る事がらさえも、
ついに忘れられる。


『伝道の書』 / 9章 5節 口語訳




一つになろう。

世の中にいるすべての父母、兄弟、子女を
自分の真の父母、兄弟、子女として思えるなら

彼は天国の門の鍵を持った者です。





※【ワシントン=佐々木類】日系米国人で民主党のダニエル・イノウエ米上院議員(ハワイ州選出)が呼吸器合併症のため、ワシントン近郊のメリーランド州内の病院で死去していたことが17日分かった。88歳

 オバマ大統領は「米国は真の英雄を失った」と追悼文を発表した。



【イノウエ氏死去】評伝 日米関係の深層に大きな損失

■産経新聞2012.12.19 00:17

 米国上院長老のダニエル・イノウエ議員の死去は日米関係の深層にも大きな損失として悲しみの波紋を広げた。イノウエ議員が近年、日米間での慰安婦問題など複雑な課題でも米国の国政の場で日本側の立場や心情に配慮した言動をも取ってきたからだ。
 福岡県から米国に移民として渡った日系1世を両親にもつイノウエ氏の半生は、自らの「日本」を否定することでもあった。日米開戦で日本側との絆を疑われて集団収容された日系米人たちが米国への忠誠を誓って米軍に志願し、欧州戦線で活躍した。イノウエ氏はその中心人物だった。
 同氏の所属した日系人部隊第442連隊は欧州戦線でドイツ軍と勇猛果敢に戦い、輝かしい戦果をあげた。同氏はその戦闘で負傷し、右腕を失った。しかし勲章を得て帰国した同氏がカリフォルニアの理髪店で日本人の血を理由にサービスを断られた体験は、当時の米国社会の偏見を示す実例として広く伝えられた。


※オバマ大統領は18日、ホワイトハウスや米国内の全ての公館、海外の米大使館などで半旗を掲げるよう指示。「イノウエ議員の長きにわたる奉職への敬意のしるし」だと強調した。
 首都ワシントンの連邦議会議事堂の円形大広間に遺体が公開安置されたのはリンカーン、ケネディ、レーガンらの元大統領を含む約30人とされ、元首級の葬送とされる。


 戦後、弁護士を経て連邦議員となってからもイノウエ氏は長年、日本側と接触せず、日米関係へのかかわりもなかった。1980年代の日米貿易摩擦でも米国政治家として日本の市場閉鎖性などを非難した。だが日米の利害の激しい衝突がなくなったここ十数年、両国関係にも日本にも積極的にかかわるようになった。
 イノウエ氏は2007年6月、下院が日本の慰安婦問題非難の決議案を事実誤認のまま推進したときは、「もう済んだ過去の問題で現在の友好を傷つけるな」と正面から反対した。

 同氏は戦争中に日本軍捕虜となった米人たちの抗議活動にも、日本側との和解を促す役割を果たした。最近ではアジア太平洋の安定や日米防衛協力の推進のために普天間基地問題でも両国の歩み寄りを提唱した。



 なおアジアの安定に関してイノウエ氏は11年1月、米議会の超党派機関「米中経済安保調査委員会」が開いた公聴会で、中国の海軍力やサイバー攻撃能力の増強、対艦ミサイルやステルス戦闘機の開発への警告を発し、日米同盟の意義を改めて強調もした。
 同年7月には、北朝鮮に家族を拉致された日本人の「家族会」の代表たちにも会って、熱い支援を送っていた。「上院の同僚に呼びかけて解決に協力したい」と日本側を勇気づけた。

 イノウエ氏の日米関係への深いかかわりは、08年5月まで6年半も駐米大使を務めた加藤良三氏の説得も大きかった。加藤氏の送別パーティーではイノウエ氏が送別の乾杯を提唱し、別れを惜しんでいた。
 米国政界の最有力者として日米関係を多方面から支えた知日派イノウエ氏の死は両国間の損失としても惜しまれる。
(ワシントン 古森義久)

(産経新聞2012年12月19日 00:17)



※最後の言葉は「アロハ~」 日米関係発展に多大な貢献。
損失が惜しまれる。
ご冥福をお祈り申し上げます。





シラ書〔集会の書〕 / 7章 33節 新共同約

生きとし生けるもの、
すべてに恵みを施せ。
また、死者にも思いやりを示せ。


シラ書〔集会の書〕 / 8章 7節 新共同約

他人の死を喜ぶな。わたしたちは皆、
死すべき者であることを思え。