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和ハーブ モグサ!

2013年11月22日 | 日記
伊吹山情報に付け足しー!

日本の伝統医療のお灸に使用する
モグサ
(オオヨモギの葉の裏にある白い毛を利用)

の、日本一の生産地なんだって。

あー、今ちょうど
お灸してもらいたい

さてさて、伊吹山情報追記↓

どうして伊吹山のエリアの
ハーブ民間療法が特段に
庶民生活に
大きく入り込んできたかという
きっかけは、

民間療法のノウハウを
伝授する役割があった修験者たちが、
とある事情で
伊吹山から一斉にいなくなって
しまったそうな。

それで、致し方なく住民たち自身で
薬草の研究と継承を行ってきたと
いうのが地元の言い伝えなんだって。

山伏さんのお務めって
いろいろあるのね

ここのところ、
山伏修行を終えた知人との
出会いがわんさかある。

良かったよ~!
是非是非~~!

と勧めていたよ~

なんかそーゆー方向性なんですかねー

やってみるといいかもねー

どちらの山の修験者から
教わることになるのかしら

どうなるんでしょうねぇ

どうなんだろうの~

ま~
まだ、先のことだ

和ハーブ 伊吹山情報

2013年11月22日 | 和ハーブ
織田信長がまるごと野草園にしたと
言われる伝説の山「伊吹山」


岐阜県と滋賀県にまたがっている。

ちょうど日本列島の中心に位置。

日本の植物の北限と
南限がぶつかるエリア。

海に向かう方向には南北ともに高い山が存在しないから、

日本海型気候と
太平洋型気候が交わる!

伊吹山独自の石灰岩地質が
森林の発達を妨げ、
日照が確保された状態が
低木草の光合成を促す。

ハーブが育つための稀有な
好条件をかねそろえた地域。

野草のハーブはなんと280種類以上。

岐阜県春日村では
明治時代、薬事法も今ほどの
縛りがなく、ハーブは村民にとって
「物々交換」
(米があまりできない気象条件のため)
や現金収入を得るための
一大産業だったようだ。

今でも、この地域では
初夏から秋にかけて毎日のように
野生のハーブを採集して、
それを食べるだけでなく、
その日々の体調に合わせ
配合した お茶や入浴剤などを
利用している。
まさに現代に残った
「 和のアーユルヴェーダエリア」
と言える。

以上、伊吹山情報。

ふむふむ~
今も残るエリアとは
言えないかもしれないけれど、
私の住んでいるこの辺の地域の人でも
野生のものと日々の暮らしに
活用している方は
たくさんいるのではないかしら

ちょっと和ハーブから
それるけれど

伝わってきたものを、
いいものだからと
自然体で繋いできた人達がいる。

この辺りだと
在来食物や
養蚕とか

そんなふうに
自然体でやってこられた方の
お話は、心にしっくり
伝わるものですね

あ~
なんか気持ち良くなって
眠たくなってきた~






和ハーブ 日本最古のハーブ園

2013年11月22日 | 和ハーブ
江戸時代奈良「宇陀」で
ハーブの栽培研究に熱心であった
葛製造業の「森野通貞」が、
多様なハーブを幕府に献上した。
功績が認められ、
当時唯一の私園の経営が認められた。

(江戸幕府8代将軍の徳川吉宗は
薬草に強い関心を持ち
全国の薬用品の調査最終を行う
採薬使の派遣を熱心に行っていた)

日本最古のハーブ園「森野旧薬園」は
300年前と同じ状態で
森野さんの子孫に管理され続け
無形文化財にも指定されている

この宇陀エリアは
「阿騎野」とも呼ばれ
宮廷人の狩猟地として知られている。
飛鳥時代には
「男が鹿を狩り、角を取っている間、
女は薬草を摘んでいる」と、
昔からハーブエリアだったことを
伺わせる記録があるとのこと。

ふ~


和ハーブ おなしまみの和ハーブ

2013年11月22日 | 和ハーブ
日本オリジナルの薬草が、
ゲンノショウコ(現証拠)
ドクダミ
センブリ(千振)
カシドオシ(垣通し)など。

ヨモギ(蓬)は
アイヌ民族、本州・四国・九州・
沖縄と、日本全国どこもかしこも
「最も重要で生活に密着していた」
和ハーブ代表と言える。

ドクダミ茶はおばあちゃんが
よく飲んでた。
体さいいなだ~
(カラダに善いのだ~)と
美味しそいに飲むものだから
飲ませてもらった。
くあ~苦んげ!ばーちゃん!
と思ったのを
よく覚えている
子供には必要ないのか?

家庭科でヨモギ餅作ったよな~。
あれ、小学生のころ?高校?

ちなみに、
「漢方」と言う単語は中国には
存在しないんだって。

漢方とは、
平安時代に日本に導入が始まった
中医学が、和薬の一部と融合しながら
発展したもの。
経験値も加味されて
江戸時代に集大成されたもので
日本独自の伝統医学を指す。

漢方とは
日本独自の伝統医学だったのね

和ハーブ 日本初のハーブ処方薬局とは

2013年11月22日 | 和ハーブ
日本初のハーブ処方薬局は、
大阪の四天王寺の一つ
「施薬院」だ。

飛鳥時代に
聖徳太子が建設した。

いろんな薬草育てて、
貧しい病人たちに薬を施す施設を
建てたそうだ

奈良時代に入り、
東大寺正倉院には
聖武天皇の遺品として、
日本各地で取れたハーブや

中国僧の鑑真が持ち込んだとされる
インドのアーユルヴェーダの薬草の
現品、記録が残っている。

妻の光明皇后が「施薬院」を立てた際使用された。

ということだそうです