空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

新年挨拶

2023年01月01日 23時00分00秒 | 身辺雑記

皆様、

明けまして
おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

今年の夢は、

1.ウクライナでの戦争が終わり、平和を取り戻す
2.中国の習近平体制が倒れ、中国が世界の脅威でなくなる
3.北朝鮮が体制崩壊し、拉致者の帰国がかなう
4.安倍晋三氏に代わる、日本を委ねることの出来る政治家の出現
5.コロナの終結
6.海底埋蔵資源「燃える氷」メタンハイドレートが実用化され、
  エネルギー問題と地球温暖化問題が解決される
7.世界の荒れ地開墾政策の実行により
  世界食糧危機が回避される

など。

昨年は「私にとって、今年は節目の年となりそう」
と書きました。

それは、私の持論である
「人間は75歳で駄目になる」
という年齢に到達したからです。

さいわい、昨年一年は
「駄目」の兆候がなく過ごすことができました。

内視鏡検査でも、
エコー検査でも、
特に悪いところは見つかっていません。
血圧も安定しています。
どこも痛いところはありません。

しかし、前立腺の生検で、
ガンではないものの、
ガン発生の前段階という診断が出ました。
数年以内にガン発見→前立腺全摘手術
に進みそうな模様。

私の周辺でも、
所属するサークルの主要メンバーの死、
近い親戚のリンパ腫発見
など、
年齢が進むにつれての
必然的状況が進んでいます。
病と死
その話題が増えることでしょう。

死なない人間はいません
それ以前に、老化は人生の必然
残った年数を数える歳になりました。

そういう意味で、
残された日々を大切に生きたいと思います。

年の始めに当たっての
新たな誓いでした。

 


癌ではありませんでした

2022年11月17日 23時00分00秒 | 身辺雑記

今日は、2週間前に行った、前立腺生検の結果を聞く日
1~2時間は待たせることが普通になっている
この病院では珍しく、
予約時間より前に診察室に。
入るなり、医師が、
「癌細胞は検出されませんでした」
12本取った検体のうち、
11本からは癌組織は検出されず、
1本だけが、
「組織学的に一部に異型腺管を認めます」とのこと。
異型腺管
何のことだ。
癌ではないが、グレーゾーンだという。
(帰宅後、ネットで調べると、
「癌の一歩手前状態」と。)
そこで、今までと同じく、
採血でPSA値を調べながら、
急激に増加するようなら、
再度生検をするということになった。
(MRIは不要で、最初から生検するという)
つまり、今までと同じ状態の継続

実は、今回は「癌です」と告知されるものと覚悟していた。
その場合、
「全摘手術をして下さい。
ダビンチでやってもらえますか」
と言うつもりだった。
そして、入院・手術はいつか、
着替えはどうするか、
今度は医療費上限の手続きをちゃんとしよう、
しかし、今度の手術では、
尿道カテーテルというのを挿入されると聞いた、
付ける時は麻酔後だからいいが、
取る時は、ものすごく痛いらしい、
また、最初の排尿も痛いらしい、
痛いのはいやだ~~~
などと妄想が進んでいた。

前立腺の摘出手術の後は、
後遺症として、2~3カ月、尿漏れがあるというぞ。
おむつをしなければならないか。
そうすると、外出は制限され、映画も観に行けなくなるかも。
映画のサークルには、そう告げなければならないな。
そうだ、手術前には床屋にいかなければならない。
いつにしようかな、
と、更に妄想は続く。

ので、拍子抜け
まあ、7年前、4年前のMRIでは何の所見もなかったのに、
今回、病変の可能性に言及されたのだから、
体内で何らかの変化が起こっていることは間違いなく、
いつかは医師に癌を告げられる日が来るに違いない。
それまでの執行猶予
とりあえず、ほっとした。

 


駒場散策

2022年11月13日 23時00分00秒 | 身辺雑記

先日、娘と一緒に渋谷に出て、

井の頭線で、ここ↓へ。

踏み切りのところで下の商店街に降りて、


↓この店に。

11時半開店時には、15人ほどの行列が。

↓の生姜焼定食を食べるために来ました。

というのは、早乙女太一のYouTubeに


ランチを食べる、という番組があり、
そこで、この店が紹介されていたからです。

つまり、娘の聖地巡礼に付き合った形。

この生姜焼き、
見たこともないような大判の豚肉を
さっと炒めてたれをかける、という料理。

これがうまい上に、量が多い。
若い男性にはたまらない。

隣が肉屋さんでしたから、
そこで肉を仕入れていると思われます。

食事の後は、↓へ。

東大の駒場キャンパス

3,40年ぶりでしょうか。

駒場農学校→東京農林学校→東京帝国大学農科大学→東京帝国大学農学部と変遷し、
1935年、本郷向ヶ丘にあった
第一高等学校と校地を交換して移転し、
一高は、新制東京大学に包括され廃止になるまでここを校地に。
そして新制大学移行により、
旧制一高に代わり東京大学教養学部がこのキャンパスに設置されたもの。

東大入学者は、2年間の前期課程をここで履修、
2学年の途中で志望と成績により、専門学科に振り分けられ、
3年になったら、本郷キャンパスに通うようになります。
(教養学科を専攻した学生は、そのまま留まる。)

正門は、旧制第一高等学校正門として1938年頃に完成したもの。

正面の時計台のある建物は、
1号館で、1933年完成。


登録有形文化財に登録されており、
主に外国語クラスの授業に用いられています。


科類と第2外国語でクラス分けされ、
語学の時だけ、クラス全員が集まる仕組み。


私のクラス名は「41S1 13B」で、
「41年入学・理科Ⅰ類、13番のドイツ語クラス」の意。
今でもクラス会やズーム会合をやって交流しています。

普段は時計台の内部には入れませんが、
年に1、2回、学生・教職員を対象に公開されています。

一高時代からの建造物で現存しているのは、
1号館の他、正門、101号館、900番教室(講堂)、
駒場博物館(旧図書館の一部)、同窓会館の一部のみ。

これが900番教室


旧制第一高等学校講堂。


1938年完成。


教養学部で最も大きい教室で、
人気のある選択科目や法学部の専門科目の講義が行われています。

東大紛争のときに、
作家の三島由紀夫と東大全共闘の学生たちとの討論が行われたのは、
この教室。

紅葉に色づいています。

ここがキャンパスのメインロード。

この先は新しい建物が連なります。

元々は、学生寮があった場所。

駒場寮は、一高時代からあった寄宿寮で、
地方出身の学生には、安価に借りられ、
授業にもすぐ出かけられる便利な部屋でした。
安価と書きましたが、
記憶では、1カ月の家賃は100円。
驚くことはありません。
当時の授業料が年額1万2千円。
月千円だったのですから。

1935年に建設。


旧制高校寄宿舎の多くが木造なのと異なり
鉄筋コンクリート構造の3階建てが3棟。


北寮、中寮、明寮と称されていました。
学生が自治的に運営し、
1部屋は約24畳で、
6人部屋だった時代、3人部屋だった時代があります。
オープンスペースでしたが、
後にダンボールやベニヤ板で仕切られ、
実質個室風になりました。
病院の大部屋と同じですね。


サークル単位に部屋が割り当てられ、
そこに行けば誰かがいる、という環境でした。
サークルに入っていない学生は、
独自のグループを作って入っていました。

部屋はちらかり放題で、
怠惰な生活をする者も多く
私の学友の一人は、
「ここに入ってから、寝てばかりいる。
寮食の中に、“なまけ薬”でも入ってるんじゃないか」
と嘆いていました。
食堂が併設されており、朝・昼・晩と食事が出来ました。
寮生に限らず、誰でも寮食堂を利用することができましたが、
私は食べたことはありません。

1年に1度部屋替えが行われ、
その際は、棟が変更されて移動しました。
そうでもしないと、掃除をしないからだ、と聞いたことがあります。

食堂の一角のスペースが、
「駒場小劇場」という劇場として利用されており、
野田秀樹の夢の遊眠社や、如月小春などが知られています。
使用料は無料、約300人収容可能な演劇スペースでした。
駒場寮廃寮後は「駒場小空間」が代替となっています。

キャンパス再整備計画の一環として、
廃寮となる旨、1991年から計画が進められていましたが、
反対する学生が籠城、
2001年8月22日に強制執行が行われました。


廃寮後跡地に駒場コミュニケーション・プラザがなどが建てられました。

生協


コンビニみたいだ。

学生食堂

東端にある駒場池


2008年12月に学内公募によって正式名称が「駒場池」、
愛称が「一二郎池」と決定されました。
本郷の三四郎池に対応して、「一二郎池」


実は、今回の散策でマップを見るまで、
池の存在を知りませんでした。
どうして、と思いますが、
当時、学生寮から奥は魔界のようで、立ち入らなかったのか。

資料を調べたら、
昔は池の周辺は立入禁止だったというから、
そのせいかもしれません。

「入学前に一人で見ると浪人する」や
「入学後に一人で見ると留年する」
などといったジンクスがあるといいます。

学生会館は、前と同じ場所に。

中はこんな。

倉庫代わりにも使っているようです。

この場所に、
合気道部の稽古道場がありました。


毎日、昼食後、稽古をしていました。
今はどこに行ったやら。

山手通りに面した裏門

この並びに小学校の時の同級生の家があったが・・・

まだあった。

その並びに、
娘がみつけたカフェが。

こんなテーブルで、アイスフロートを。

下にアイスが沈んでいて掘り起こすスタイル。

コーヒー豆を売っており、
繁盛しているようです。

その後、松濤町を通って、渋谷まで歩きました。

娘と一緒に巡る、過去の世界
先日は幼少期の故郷を訪ねましたし、
死期が近いのではないかと心配です。

 


入院しました

2022年11月05日 23時00分00秒 | 身辺雑記

実は今日まで入院していました。
場所は、家から5分の順天堂大学付属浦安病院

といっても2泊3日の「検査入院」
2019年7月の時と同じ、
前立腺生検(生体組織診断)です。

3年前の生検でガン細胞は見つからず、
半年ごとの診察を受けて、
様子を見ていたのですが、
血液検査でPSAの値が下がらないため、
久しぶりにMRI検査をしようということになり、
その結果、「病変の可能性あり」という結果が出たので、
では、前立腺の組織を調べましょう、ということになった次第。

PSAとは、前立腺特異抗原(prostate specific antigen) のことで、
前立腺の上皮細胞で作られるタンパク質。
ガンなどが出来ると血液中に移行するので、
その数値を見ることによって
前立腺がんの早期発見に役立っています。

というか、PSA検査が普及したために前立腺ガンの発見が増え、
今では、日本男性のガンで最も多いのが前立腺ガンだといわれています。

前立腺ガンが増えたもう一つの原因が、
寿命が延びたことで、
昔は前立腺がんで亡くなる前に他の病気で亡くなっており、
別名「長生き病」ともいわれ、
高年齢の人がかかる病気だった。
医術の進歩によって、
長寿となったため、
長生きするだけ前立腺がんにかかる確立が高いのだという。

今回、入院前にやることが増えました。
それは、PCR検査
事前に↓のようなものが渡され、


このスポンジ部分を5分ほどしゃぶり、


上の棒を引っ張ると、
スポンジが圧迫され、
沁み込んだ唾液が溜まる方式。
これを入院2日前に病院に提出し、


陽性だったら、入院延期の連絡が来る。
さいわい陰性だったようです。

というわけで、
11月3日の午前10時にパジャマなどを持って入院し、
この日は何もなし
通常手術前日に行われる麻酔に対する説明も、
日程の都合で前週の土曜日に済ませたので、
本当に何もない。
何も朝10時に入院でなく、
夕方からでもいいのに。
部屋は4人部屋で、
ご覧のとおりカーテンで仕切られていますので、
個室と同じ。


プライバシーはも守られています。


コロナの関係で面会はなし。

廊下。

窓からの景色は↓。

とにかく第1日目は、
ご飯を食べて、横になっているだけ。
ああ、入浴がありましたね。

昼食は↓。

夕食は↓。

これで一食460円も取ります。

前回の入院で退屈さに辟易したので、
今回は、娘から借りたタブレットを持参。


これでYouTubeもNetflixもプライムビデオも
ディズニープラスも見放題です。


WiFiへは、
テレビカードの一部として購入。


3日分で200円。


9時消灯。
1日目の夜は、ケビンズイングリッシュルームを見たり、
中国映画「星明かりを見上げれば」と
ドイツ映画「西部戦線異状なし」を見たり、
「ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋」を見たりして、過ごしました。

2日目は手術
朝食は抜き。
かわりにアルジネート・ウォーターというのを飲まされますが、


これも一食にカウントされ、460円。
へんなの。
ネットで1個170円くらいで買えるのに。

私の手術は、2回目の9時45分から。
本を読んでいると、
9時30分に呼び出しがかかり、
エレベーターで2階に降り、
徒歩で手術室に向かいます。
ここの棟には手術室が16あり、
「4号室」は欠番。
「死」を想起させるからでしょうか。
なのに、「13号室」はあります。
外人には使わないのか。
手術室に入ると、
いるのは女性ばかり。
うわ、この人たちの前で、
あの恥ずかしい姿勢をさせられるのか、と恐怖。
後で麻酔医と執刀医の男性が現れましたが。

前立腺生検は、肛門に器具を入れて、
超音波による前立腺の画像を見ながら、
細い針で前立腺を刺して組織を採取すること。
(大体12本くらい)


従って、下半身丸出しで、
大股を開いて、会陰部(えいんぶ=肛門とタマタマの間)をさらします。

↑写真は、私ではありません。(念のため)

狭い手術台に乗り、
点滴の針を刺され、
下着とパンツを取られ(この段階では布がかかっている)
横を向いて体を丸めると、
尾てい骨図あたりに針を刺し、麻酔薬を送り込む。
そして、仰向けになり、顔には麻酔のマスクが。
前回はここで意識を失いましたが、
今回はその後もいくらか記憶があり、
何か下半身で操作をされている感覚が残ります。


恥ずかしい姿勢の自覚はありません。
あとは、ベッドに移されて、運ばれる記憶が。
そして、病室に戻り、安静にさせられます。
記憶は曖昧、
夢幻の世界を彷徨います。

2時20分頃、
歩行が許可され、
トイレに。
前立腺は尿道とつながっているので、
必然的に血尿になります。
あれ???
前回は真っ赤っかの鮮血のような血尿が出て仰天しましたが、
今回は最初だけ血が出て、後から透明な尿が出、
全体では茶色くなるだけ。
技術が進歩したのでしょうか。
お小水の分量はカップに受けて、
時間と出た量を用紙に記入しなければなりません。

再びタブレットのお世話になり、
ディズニー・プラスで「スター・ウォーズ」シリーズの「ボバ・フェット」を4本分。
半日の断食の後の夕食は、↓これ。

夕食後は、「ザ・クラウン」第4シリーズを次々と。
その間も2時間ごとに排尿。
点滴の保持台と一緒です。
9時の消灯後も「ザ・クラウン」を観続け、
11時半頃就寝。

翌朝は5時に血液採集があり、
やがて、点灯し、
タブレットを見ていると、
8時に医師が現れ、
血液検査も排尿も順調なので、
朝食後、退院の準備をして下さい、と言われ、
朝食↓となります。

これで460円とは。少々複雑。
朝も昼も夜も全部一律460円
誰か疑問を呈した人はいないのか。

(後で調べたら、
入院中の食事代の標準負担額は、
原則全国一律で「1食につき460円」と決まってるという。
でも、アルジネート・ウォーターが食事扱い、
というのは、納得できませんね。)

再びタブレットに没入していると、
会計の準備が出来ましたとの知らせが入り、
既に作っていた荷物を持ち、
ナースステーションに挨拶して、入退院受け付けへ。

ここでも「4」は欠番です。

支払いはカードで。
そして、徒歩で家へ。
家に一歩入った途端、
身ぐるみはがされ、
シャワーを浴びさせられました。

娘に感謝の言葉と共にタブレットを返しました。
タブレットがあれば、入院時の退屈は大変しのげると分かりました。

生検の結果が出るのは、11月17日
もしガンと判明したら、
即座に全摘、の覚悟をしています。
順天堂病院はダビンチの前立腺摘出手術に実績があるようなので。

 


演劇『ハリー・ポッターと呪いの子』

2022年10月26日 23時00分00秒 | 身辺雑記

今日は、赤坂↓ヘ出かけ、

娘と一緒にタイ料理↓を食べた後、

ここ↓へ。

TBS赤坂ACTシアター

舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を上演中。

劇場へ向かう階段には、
ハリー・ポッターの世界ヘ誘う様々なオブジェが。

本日の出演者の名前は、
↓こんな風に本の背中に書かれている。

開演前と休憩時, 終演後は
舞台を撮っていいという、 イキな計らい。

J.K.ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズの第8作目は、
本ではなく、舞台版としての登場。


ローリング、ジャック・ソーン、ジョン・ティファニーの3人がストーリーを作り、
ジャック・ソーンが脚本として完成。
演出を手掛けるのはミュージカル「ワンス」で
トニー賞の最優秀演出家賞に輝いたジョン・ティファニー


ローレンス・オリヴィエ賞では、
新作作品賞、演出賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、
ラインティング・デザイン賞、コスチューム・デザイン賞、サウンド・デザイン賞、
セット・デザイン賞の、史上最多の9部門を獲得
トニー賞では、演劇部門の作品賞、演出賞、装置デザイン賞、衣装デザイン賞、
照明デザイン賞、音響デザイン賞の6部門で受賞

ロンドンで2016年に開幕し、
ニューヨーク、サンフランシスコ、オーストラリア・メルボルン、
ドイツ・ハンブルク、カナダ・トロントの6都市で上演。

↓は、ニューヨークの劇場。

私が撮影。

「1部2部同時上演」と書かれています。


東京公演はアジア圏としては初めて、世界では7番目の上演となった。
ロンドンでは前編と後編を2本の芝居で見せる
2部制で上演されたが、
ブロードウェイにおいて前編を第1部、後編を第2部とする新バージョンが誕生。
だから、普通の作品(2時間半)より長く、
上演時間は休憩を含めて3時間40分

TBS60周年記念として、
ホリプロが制作を担当し、
劇場を大規模改修した
ハリー・ポッター専用劇場にて上演される。
上演期間無制限のロングラン形式。
ハリー・ポッター役を藤原竜也・石丸幹二・向井理のトリプルキャストで演じる。


本日のハリーは石丸幹二。

物語は、「ハリー・ポッターと死の秘宝」の19年後を描く。
魔法省の重役となったハリー・ポッターは、
37歳で、いまや三人の子の父親。
(ロンの妹のジニーと結婚。
 ロンはハーマイオニーと結婚し、
 ハーマイオニーは魔法大臣、
 ロンはいたずら道具専門店オーナー。)

ホグワーツ魔法魔術学校に入学するハリーの次男のアルバスを
見送る場面から始まり、
アルバスが4年生になるまでが描かれる。


アルバスは魔法学校の入学式に向かうホグワーツ特急の車内で、
の少年と出会う。
彼は、父ハリーと犬猿の仲である
ドラコ・マルフォイの息子、スコーピウスだった。

「逆転時計を使った過去の改変」が主なテーマで、
昔、三大魔法学校対抗試合で陰謀で殺されたセドリックを蘇らせるために、
アルバスとスコーピウスは、
逆転時計を使って過去に戻り、
セドリックの命を助けようとするが、
過去をいじったために、
元の世界が変わってしまう。
校長が交代していたり、ロンとハーマイオニーが結婚していなかったり、
ロンの娘が誕生さえしていなかったり、
果ては、ハリーさえ、殺され、存在しない。
その改変された世界を元に戻すために、
アルバスとスコープウスは、
逆転時計を使って度々過去に戻るが、
ついに、過去にとらわれたまま、
戻ってこれなくなる。
救出を求めてハリーと、ある方法を使って、
いる時と場所を伝えようとするが・・・

小説7作に登場する主要登場人物が年齢を重ねた姿で登場するほか、
死んだキャラクターも、
タイムスリップした際や、
改変が行われたあとの世界などでふたたび姿を現す。
ハリーの父母のことや魔法学校、敵のヴォルデモート、
ハリーとハーマイオニー、ロンの三人の関係など、
最低限の知識は必要だ。

事前にストーリーを読んだ時、
この複雑な話を、どうやって舞台で展開するのか、不思議に思ったが、
精密な舞台機構と、大ネタ小ネタ繰り出しての技術力で乗り切った。
特に、第1部の終幕、
死喰い人の造形は素晴らしいの一言。

最大の魅力は、「ハリー・ポッター」の世界観を
劇場で体感できること
小説の世界に入り込んだような舞台美術と衣裳、
次から次へと飛び出す魔法の数々、
知恵と技術を結集して創り上げた独創的な舞台。
音楽、サウンド、照明、体感する全てが、観客を魔法の空間にいざなう。
どんな稽古をし、
どうやって技術面との整合を取り、
どんな舞台リハーサルを繰り返したのか。
一つタイミングを外せば、
滅茶苦茶になってしまうのだから、
細心の苦労があっただろう。
しかも、舞台にのぼった30人の俳優が、
沢山の役をこなしながら、
舞台の暗転時、装置の出し入れも担当し、
転換も見事に素晴らしい。

技術面だけではない。
ハリーと息子の葛藤が物語の柱になっている。
英雄の息子であるプレッシャーに苦悩するアルバス、
子供との向き合い方に悩むハリー、
そしてアルバスとドラコの息子のスコーピウスとの友情。
素晴らしい人間ドラマとしても観られる。
ただ、セリフはもう少し抑えられなかったか。

才能ある脚本家、演出家、舞台装置家、技術陣が結集して初めて実現した舞台空間。
17000円が安い、と思える久しぶりの演劇体験だった。

舞台劇の脚本はシリーズの第8巻として書籍化されている。