空飛ぶ自由人・2

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小説『風の果て』

2023年04月06日 23時00分00秒 | わが町浦安

[書籍紹介]

藩の首席家老・桑山又左衛門宛に果たし状が届く。
昔、同じ道場で友情をはぐくんだ、野瀬市之亟からのものだった。
又左衛門は市之亟の消息を探る中で、
30年前の片貝道場で過ごした日々に思いを馳せる。

15、6歳で入門し、
道場で親しく過ごしたのは、
上村隼太、杉山鹿之助、野瀬市之丞、寺田一蔵、三矢庄六の5人。
鹿之助以外は、次男、三男坊の部屋住み
(家督を相続できない身分の男子で、まだ別家に婿入りせず、実家に留まっている者)で、
どこか釣り合う家への養子縁組を探している。
行き先がみつからなければ、
「厄介叔父」(冷や飯食いのまま年を取り、実家の世話になっている者)になって、
肩身の狭い思いをして生きるしかない。
鹿之助だけは、家老の家柄の長男で、
ゆくゆくは藩の中枢に入っていく身だが、
身分差のある隼太たち4人とも気さくに付き合ってくれた。
しかし、鹿之助が家督を継いだ時、
4人の身分差は決定的なものとなる。
あこがれていた千加を鹿之助が娶ったことで、
隼太は、青春の終わりを感ずる。

物語は、果たし状を受けた後の又左衛門の去就と、
5人の若者の青春群像を交互に描く。
主人公の現在を又左衛門、
青春時代を隼太(はやた)の名前で表記して区別する。
杉山鹿之助は、杉山忠兵衛と名を改める。

青年時代を同じ道場で過ごした若者たちは、
やがて家柄に従い、あるいは結婚を通じて、
全く違った人生をたどることになる。

寺田一蔵は2人の中では最も早く縁談がまとまり、
50石で勘定方の宮坂家に婿入りした。
しかし、妻の身持ちの悪さが原因で刃傷沙汰を起こして脱藩
討手の市之丞に斬られる。
その死に様は悲惨を極め、
市之丞の心に深い傷を残すことになる。

野瀬市之丞は最後まで冷や飯食いで、
婿にも行かずに厄介叔父になった。
剣の腕が優れていることから、
脱藩した一蔵に対する討手の1人に選ばれ、
一蔵を斬ってからますます変人ぶりに磨きがかかった。
又左衛門が筆頭家老に昇進した後、
果たし状を送りつけてきた。

三矢庄六は、わずか20石の普請方である藤井家に婿養子に入り、
開墾工事で肉体労働にも参加。
新吾という息子がいて、藩校では秀才のひとりに数え上げられている。

こうして、30年の間に、
5人のそれぞれの人生はまったく別の歩みとなる。

個人の能力よりも、
家柄がものを言う時代のこと。
「上士は下士と交わらず」と言われ、
藩の中でも、厳格な身分差別があった。
その中で、隼太は、
藩のうるさ方で郡奉行・桑山孫助の家に婿入りし、
その農政に対する情熱で、
郡奉行、郡代へと出世し、
ついに、中老として、執政の中に入り込む。
そして、かつての友・筆頭家老の杉山忠兵衛と対立し、
最後には、失脚させる。

藩は借金だらけで、
借り主との交渉の成功が執政の功績とされ、
本質的には何の解決策もない。
その中で、又左衛門は、
荒れ地・太蔵が原を開墾すれば
3千町歩もの田地が得られると考えられ、
ただ、谷川から水を引く方法がないために実行できなかったのを、
水の手を確保する手立てを講じ、
領内の富商、羽太屋から資金を引き出して開墾着手に成功し、
その功績を藩主に認められて郡代に昇進し、
その後さらに中老に昇進して執政入りした。

百姓を締めつけることだけを考える執政の中で、
百姓の実情に通じた又左衛門は、
新たな耕作地を作り出して、
藩士と農民に課せられた苛政を改善する。

こうした、一人の男の出世に伴う
心境の変化が、大変ていねいに描かれる。
成功したかに見える主人公の胸中にも、
寂寞とした風が吹き抜ける。
中老になった途端、周囲に人が群がって来る。
賄賂めいた金も渡される。
更に家老になると、もっとそれはひどくなる。
私利を追究することはしないものの、
その環境に又左衛門は陶酔に似たものを感ずる。
これが権力を持つということかと。
その快感に又左衛門は酔う。

忠兵衛との確執の本質も分かっている。
忠兵衛が又左衛門の執政入りに反対したことを聞き、こう言う。

「忠兵衛は、むかしの仲間であるわしが
応分の出世をすることは格別の文句はなかったろうが、
中老となると話が違うと思ったかも知れんな。
中老、家老は家柄で決まると思っているのだ。
ひと口で言えば、
忠兵衛がそういう考えているところに、
わしが土足で踏みこんだ形になったわけだろう」
「忠兵衛が言う家柄は軽んずべきものではないが、
そこに固執すると
藩はいまの時勢を乗り切れぬ。
そのことを、わしはいずれ忠兵衛にわからせてやるさ」

市之丞との果たし合いで、倒した後、
ただ一人残った友の庄六を訪ねて、又左衛門は言う。

「庄六、おれは貴様がうらやましい。
執政などというものになるから、
友だちとも斬り合わねばならぬ」
「そんなことは覚悟の上じゃないのか」
庄六は、不意に突き放すように言った。
「情におぼれては、家老は勤まるまい。
それに、普請組勤めは
時には人夫にまじって、
腰まで川につかりながら
掛け矢をふるうこともあるのだぞ。
命がけの仕事よ」
「・・・」
「うらやましいだと?
バカを言ってもらっては困る」

命をかけて貫いた開墾も、
さほど大きく藩を変えることにはならず、
又左衛門の勝利は苦いものだった。

やがて、徳川幕府が倒れ、
藩もなくなる時が来る。
その時を知ったら、
又左衛門はどう思うのだろうか。

久々に読んだ藤沢周平の長編小説。
堅固な骨格、多彩な人物配置、
練り上げた事件など、
やはり、長編小説でも素晴らしい手腕を見せる。
時を忘れて読んだ。

週刊朝日に1983年10月から1984年8月まで連載し、
1985年に単行本化、
その後、文庫に収録された。

2007年に、NHKでテレビドラマ化された。

又左衛門に佐藤浩市、
杉山忠兵衛に仲村トオル、
野瀬市之丞に遠藤憲一
という布陣。
8話として放送されたが、
第8話はオリジナル。

 



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