空飛ぶ自由人・2

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夫婦別姓

2025年01月24日 23時00分00秒 | 政治関係

野党と与党の一部によって
「選択的夫婦別姓」の法案が国会に提出されようとしている。

日本においては、現在、民法750条で夫婦の同氏が規定されており、
戸籍法第74条で、夫婦が称する氏を記載して届けることになっている。
国際結婚の場合を除き、
婚姻を望む当事者のいずれか一方が
氏を変えない限り法律婚は認められていない。
夫婦、子供を含む家族は同姓であるべきだというのが基本だ。

それに対して、法律を改正して、
結婚後も夫婦が別姓であることを可能にする制度を、
「選択的夫婦別姓」(又は「選択的夫婦別氏」) と呼ぶ。

どうして夫婦を別姓にする必要性があるかというと、
結婚して名字を変えると
会社等でいろいろ不都合が生ずるというのが最初だった。
続いて、
姓を変えることが強制されると、
アイデンティティ喪失、間接差別、精神的な負担などと話を拡大。
訴訟も起きている。
憲法違反だというのである。

夫婦を同姓とする法規定が違憲かどうか争われた訴訟では、
最高裁大法廷は、
平成27年、
「夫婦や子供が同じ姓を名乗ることには合理性がある」と判断し、
「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、
その呼称を一つにするのは合理的」と続けており、
この判例は令和3年の大法廷決定でも維持された。
妥当な判決だろう。

「時代の要請」だという意見もある。
現在法的に夫婦同氏が規定されているのは
世界で日本だけであるので、
時代遅れだというのである。
だが、何も諸外国に合わせる必要はない。
日本には、世界に冠たる戸籍制度があり、
一つの家族が同じ姓を名乗ることで
社会の最小単位、「家族」を中心とした社会が出来ている。
戸籍は「家族の一体性」「家名・家系の一系性」を表す。
夫婦別姓・家族別姓は、
我が国が長年維持してきた戸籍制度の解体につながる。
つまり、夫婦別姓の問題は、
日本の社会の在り方に関わる重大な問題なのである。
便利か不便かという問題ではない。

「選択的夫婦別姓」の「選択的」が隠れ蓑で、
結婚する時、同姓にするか別姓にするかを
選択できるから、
選択肢が多い方がいいという、
多様性への対応だという。
しかし、その「選択」は夫婦によるものでしかなく、
子供にとっては「選択制」ではなく、「強制的」だ。

夫婦の姓が異なる場合、
子供が生まれたらどうするか。
どちらの姓を名乗ったらいいのか。
兄は鈴木姓、弟は山田姓などという事態も起こる。
同じ家に住む同じ家族でありながら、
姓が異なる。
しかも、どちらの姓を選ぶかは
生まれたばかりの子どもは関与できない。
つまり、「強制的親子別姓」なのだ。
そう考えると、
「選択的夫婦別姓」の呼称も、
「選択的夫婦別姓・家族別姓」と改めたら、
問題はもっとはっきりするだろう。

夫婦別姓を唱える人々の思考が足りないと思われるのは、
子供の姓の問題に考えが至っていない点だ。
子供の姓はどうなるのか
提出予定の法案では、
「出生の際に父母の協議で定める」のだという。
では、どちらの姓を子供につけるかで
夫婦が争った場合はどうする。
その時は、
「家庭裁判所は、
父又は母の請求によって、
協議に代わる審判をすることができる」
としている。
はて、家庭裁判所はどのような基準で判断するのか。
離婚の場合の親権では、
親の経済力などが判断の材料となるが、
姓の場合では、何を材料とするのか。
委ねられた家庭裁判所は困るだろう。
更に、その審判に不服の場合はどうするのか。
裁判が長引いた場合、
子供の姓の届け出はどうするのか。
この問題は、夫婦だけではすまない。
孫の名字をめぐって
双方の祖父母が争いになる可能性もある。
本来幸せな出産直後に、
子の姓を巡って親族間で争いが起こるのだ。
なにより、この問題について、
子供の意思は全く反映されない
「選択的」というが、
選択できるのは誰か。
生まれてくる子供にとっては
親の意向で強制的に「親子別姓」「家族別姓」となる。
ファミリーネームが喪失するという事態を
「選択者」である親は一体どこまで想定しているのか。

子供の問題一つ取っても、
選択性夫婦別姓は暗礁に乗り上げ、
新たな問題を生ずると分かるだろう。

世論も賛成・反対半々で、
まだ国民的合意があるわけではない。
そんな段階で、
今まで守ってきた制度を変えることが良いことなのか。

不便に対する解決策として、姓は従来通り一つで、
通称使用という案がある。
あるどころか、既に実施されている。
旧姓をそのまま使用することは大部分の企業で認められ、
会社勤めの人が呼称を変更することの不便さは改善されている。
住民票やマイナンバーカードで旧姓併記が可能。
旧姓での各種契約や本人確認も可能になっている。
免許証や銀行口座も旧姓で作ることが可能だ。
パスポートも旧姓併記が認められている。
これで十分で、
わざわざ夫婦別姓を導入して、
あらたな火種を起こすことはないのだ。

内閣府が令和4年3月に発表した世論調査では、
「別姓導入」は28.9%、
「現状維持」が27%、
「旧姓使用の法整備」が42.2%
つまり、導入に否定的な回答が71.1%だ。
それなのに、
なぜ導入を無理やりしようとするのか。

ごく最近の産経新聞の小中学生に対する調査で、
「新しい法律で家族が違う名字になる」ことに対して
「反対」が49.4%、
「賛成」が16.4%、
「親が決めたのなら仕方ないので賛成」が18.8%
続いて、
「法律が変わった場合、将来自分が別姓を選択するか」については、
「家族で同じ名字がよいので別々にはしたくない」が59.9%、
「自分の名字を大切にしたいので、別々にしたい」が13.6%

維新の吉村氏は、
「同一戸籍・同一氏の原則を維持し、
旧姓に法的拘束力を認めるやり方が現実的だ」
と語っているが、
それこそ現実的対処というものだろう。

導入に熱心な立憲民主党の野田佳彦代表は、
子供の姓の選択に関しては
「家族で決めればいいことで、
政府が決めることではない。
そういうことも含めて選択的であるべきだ」
という。
ここで「政府」を持ち出して反感を募らせようとしている。
政府が決めるのではない。
国の在り方が問われているのだ。
野田さんは立派な政治家だとは思うが、
野田さんともあろうお方が、
なぜこの問題に対しては血迷っているのか。
産経新聞がインタビューをしているが、
この問題の含む体質が現れている。
選択的夫婦別姓の意義は
「選べるという点ではないか。
同姓で不都合を感じる人がいるならば選択できるようにする、
改善するのは合理的な考え方ではないか。
それだけのことだ」
と軽い。
ことは国の在り方にまで拡大するまで思考が至っていない。
小中学生約2千人を対象に行った本紙調査で、
両親が別姓を選択した場合、
同じ家族で名字が別になることに「反対」が49.4%、
「賛成」が16.4%だった
と知ると、
「賛成が16.4%いるのでしょう?」
と言ってのけた。
もし、「反対」が16.4%だったら、
「反対は16.4%しかいないじゃないか」
と言っただろう。
これは、選挙結果が自分の思い通りになると「民意が表れた」と言い、
選挙結果が自分の思い通りにならなかった時には、
「民意と乖離している」と言うのと同じだ。
そして、
「なぜそこまで強く反対する人たちがいるのか。
よく分からない」
と言う。
ここに左翼的な体質がよく表れている。
自分の信条が正しいという視点からの物言いだ。

選択的夫婦別姓の法制化を望む人たちに
「国民の70%が賛成」という声があるが、
その根拠は2択のアンケートだ。
「旧姓使用の拡大」を法的に整備するという選択肢は
このアンケート当時はなかった。
3択を加えた令和3年12月の内閣府の世論調査では
「同姓維持」27%、
「別姓導入」28.9%、
「旧姓使用拡大」42.2%、という結果になった。

産経・FNN 合同世論調査も以前は
2択で賛成66.6%、反対25.5%だったが、
昨年9月に3択目を加えたところ、
賛成38.9%、反対12%、旧姓使用拡大46.5%と大きく変わった。

なのに、野党と与党の一部は、
遮二無二法案を通過させようとする。
もし自民党の一部が通過に加担したら、
今度こそ自民党岩盤支持層は
完全に自民党を見放すだろう。

共産党の田村智子委員長は選択的夫婦別姓の導入に
「もう実現するしかない」と強い意欲を示し、
「ジェンダー平等を進めていく上で不可欠だ。
国会の中での議論を求めたい」
と、はやりのジェンダー平等まで持ち出している。
やはり「多様性」の問題だ。

私はこのブログで、
「日本を弱くしたいメンタリティーの人々」のことを度々書いたが、
これもその一つではないかと思う。
日本の社会が長年培ってきた「家族」という、麗しい最小単位を
バラバラにして、日本の良さを崩壊させようとする、
その動きの一つではないのかと思えてならない。

 


小説『夜行秘密』

2025年01月22日 23時00分00秒 | 想い出ポロポロ

[書籍紹介]

カツセマサヒコの長編第2作。
川谷絵音(かわたにえのん)率いる
ロックバンドindigo la End (インディゴラエンド)のアルバム、
「夜行秘密」(2021年2月)に触発された小説。


14の章からなり、
章の題名は、アルバム収録の14曲から取られている。
(順番は変わっている)
2021年7月に発刊。

宮部あきらという映像作家を巡る群像を描く。

宮部あきらは、ある映画の脚本を担当したことでブレイクし、
それ以降、破竹の勢いで仕事をし、
会社を立ち上げ、ワンマン経営で
様々な映像作品を世に送り出して来た。
その宮部に新進バンドのミュージックビデオの依頼が入る。
その製作の過程で触れ合う人との交流と、
マネージャーからパワハラ、セクハラで
訴えられての凋落と破局を描く。

各章ごとに視点となる人物が変わる。
宮部あきらのファンで一時期恋人となった女性、
ミュージックビデオ制作を依頼したバンドのメンバー
(岡本音色という、川谷絵音を彷彿させる名前)
その恋人で、後に宮部あきらとも同棲する女性、
その女性と駅の待合室で会話して共感した男性、
セクハラ、パワハラを告発した女性マネージャー、
宮部あきらの両親、
そして、宮部あきら本人。

これらの人物が接触する時、
その内面の喪失と苦悩と後悔と絶望が共鳴しあう。
パワハラ、セクハラ、DV、SNS による誹謗中傷、
性的マイノリティ、など 
現代の問題が盛り込まれる。

宮部あきらを初めてこの目で見たとき、
私は恐れ多くも、
自分はこの人と似ている、と思いました。
もちろん外見の話ではなく、
思考や思想の話でもありません。
ただ、自分が誰にも必要とされていないことを自覚し、
あらゆるものに嫌気が差した人だけが漂わせる空気。
そのようなものを感じて、
ああ、この人は、私と同じだ、
絶望していたのは、私だけじゃなかったんだと、
そう思えたのです。

最後の一行、
――それは、彼女と僕だけの秘密です。
が重い。

ヘビーな物語で、読後感はすこぶる悪いが
これがカツセマサヒコの世界だろう。

文庫版には、
カツセマサヒコ×川谷絵音の特別対談
が付いている。

 


海鮮バイキング② 渋谷 玉手箱

2025年01月21日 23時00分00秒 | グルメめぐり

2日続けて海鮮バイキングの話題。

昨日は豊洲のいろはを紹介しましたが、
今日は渋谷の玉手箱を。

ここ渋谷センター街の一番奥、

このビルの地下にあります。

これが店内。

いろはのような高級感はありません

テーブルも一人用は、こんなに小さい。

ここから食材を自分で取ります。

刺身の陳列もなんとなくしょぼい。

この裏に浜焼きの材料があります。

海鮮だけではありません。

なにも、ここでカレーを食べなくても。

カニだけは豊富。

まず、刺身。

続いてカニ。


花咲カニ。

カニは食べるのに時間がかかります。

続いて浜焼き。

火力が弱いのか、時間がかかります。

制限時間は90分
いろはは70分でした。

最後にエビも一匹。

これでランチは男性税込み9878円
女性は9380円。
日本人とインバウンドと価格に差をつけており、
インバウンドは1000円高い。

いろはより割高ですが、
カニとエビを丸ごと4匹も食べられましたから、
よしとしましょう。

 


海鮮バイキング① いろは

2025年01月20日 23時00分00秒 | グルメめぐり

先日行った「豊洲 千客万来」の3階の一番奥にあるのが、
海鮮バイキング いろは

昨年2月の千客万来オープンで知っていましたが、
混んでいるようなので、
1周年で初めて来ました。

前にも書きましたが、
私、「食べ放題」に弱いんです。

豊洲併設ですから、
食材の新鮮さは保証付き。

こんなにメニューが豊富です。

コースと値段。

ネットで午後2時の予約をしましたが、
空いていれば、予約なしでも入れるようです。


昼は4時まで。
夜は団体専用になっています。

130席で、広く、
こんな風に区切られています。

料理の並びは、ホテルのビュッフェなみ。

刺身コーナー。

カンパチ、タイ、サーモン、かつおたたき、
本マグロの中トロ、赤身など。

焼き物はホタテ、エビの他、
チキンや野菜なども。

揚げ物は、カニクリームコロッケ、マグロカツ、
カキフライ、鶏の唐揚げ、ポテトフライ。
温菜は海鮮アヒージョ、カニとウニのクリームパスタなど。

そしてズワイガニの脚が山積みに。

他にチラシ寿司、白飯、酢飯、スープカレー、
貝汁そうめん、あら汁。

デザートは、ケーキ、ゼリー、ソフトクリームなど。

ソフトドリンクも飲み放題。

マグロの解体ショーも市場休業日以外は毎日開催しています。

一皿目。刺身が厚く、新鮮。

2皿目はカニ。

3皿目は焼き物。

4皿目もカニで、5皿目は混合。

6皿目はデザート。

料理は閉店間際になっても品切れ無く
常時提供されていました。
店員さんの接客も良好で、
食べ終わった皿は、頻繁に回収しに来てくれました

1周年記念で本マグロ大トロも期間限定で食べ放題にて提供。

70分で、おなか一杯。

値段とのバランスも絶妙で、満足しました。

 


小説『明け方の若者たち』

2025年01月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

以前、「ブルーマリッジ」を紹介した際、
「有望で、やがて直木賞を受賞するだろう」
と書いたカツセマサヒコの長編第1作。

著者は、大学卒業後、
一般企業への就職を経て、
趣味で書いていたブログを機に
編集・ライターとして編集プロダクションに転職、
その後、独立
140字の投稿がTwitter のタイムラインを賑わせ、
若年層から絶大な人気を博す。
幻冬舎より小説執筆の依頼を受け、
2020年本書を刊行して、小説家デビューした人物。
ラジオのパーソナリティもつとめている。

主に二つの主筋で成り立つ。
一つは、大学の飲み会で出会った「彼女」と「僕」の恋愛
もう一つは、就職して、
「こんなハズじゃなかった」と
現実と理想との乖離に苦悩する日々。

すごく好きになって関係を持った女性が
実は既婚者だったと判明し、
長期海外赴任の夫が帰って来たことから、
三年半の付き合いの末、
別れることになって、
鬱々となる。
別れてみて、
こんなに好きだったんだと、自分自身でも不思議な気持ちになる。

仕事面では、印刷会社に就職して、
クリエイティブな仕事をしたかったのに、
総務部に配属されて、
何も生まない仕事に倦んでしまう。
「この会社じゃなくても良くなっちゃった」
同期で優秀な同僚の尚人との友情も育む。

20代前半の男子が陥るのようなもので、
もう少し歳が行くと時間が解決してくれるような課題。
多くの年長者が、
そんな時代もあったかなって思い返しながら読むだろう。

イチローでも本田圭佑でもないくせに
変な野心を持ってしまった僕らは、
こんなハズじゃなかった人生に振り回され、
ようやく諦めたときには、
周りからせいせいした表情で
「大人になった」と言われて生きていくのだろう。

時間はたくさんの過去を洗い流してくれるし、
いろんなことを忘れさせてくれる。
でも決して、巻き戻したりはしてくれない。
不可逆で、残酷で、
だからこそ、その瞬間が美しい。

23、24歳の生活を
「人生のマジックアワー」だと表現する。
著者はこの本を書いた時、34歳。

2021年に北村匠海の主演で映画化された。