30数年前の宮城県沖地震を経験しているカエサルとしては、ちょっとやそっとの地震は平気なつもりでいたのだけど、このときのやつは「ちょっとやそっと」などというものではありませんでした。「凄い、凄い。こいつは、あのときより凄いぞ」なんて思いました。
不謹慎な話なんですけど、このとき、カエサルは喜んでいました。非日常的な、凄い写真が撮れるんじゃないかと思ったのですよ。揺れが治まるや否や執務室に飛び込んで、メチャクチャになっている室内からカメラを探し出しました。「ひゃっほー、凄い、凄い」みたいな発言を連発していたと思います。不謹慎きわまりない話ですけど、このとき室内にいた同僚からは、「あのとき、カエサルさんがはしゃいでいるのを見て、何か、少し、落ち着いた」と言ってもらったりしています。こういうときにはしゃいでいるというのも、あながち悪いことじゃないんじゃないかと思っています。
東日本大震災には、大地震・大津波・原発事故という3つの要素があるわけですけど、このうち、カエサルが直接経験しているのは大地震だけです。この記事では、その大地震の話をしたいと思います。津波や原発のことまでは考えないことにします。
年に一度は、この大地震のことを振り返ってみたいと思っています。そうしたことは、昨年もやっているわけで、同じような写真を使い、同じようなことを書くというだけのことになるかもしれません。あるいは、前に言っていたこととは矛盾するようなことを書くことになるかも知れません。
でも、いずれにせよ、大地震のことを振り返る意味はあると思っています。あるいは、意味なんかないのかもしれないけど、カエサルの気持ちとして、振り返らざるを得ないのです。
3月15日には電気が来てくれたんですけど、それまでの4日間はこんな感じの生活でした。カエサルはこういう状況を楽しんでしまう人なので、けっこう元気にやっていました。
もちろん、電気が来たときは嬉しかったですよ。飛び上がっちゃいました。インターネットとかを復旧させて、あちこちの人たちと連絡をとりあったりして・・・。
でも、同時に、津波被災や原発事故のことを考えねばならなくなってきました。その意味では、辛かったです。むしろ、電気のなかった時期の方が愉快に過ごしていたかな。
家族総出で水を汲みに来ている人たちと挨拶をしたり、世間話をしたりして、楽しかったという印象の方が強いくらいです。
このときの、ご近所の方とのふれあいみたいなの、忘れたくないと思うのですがね。2年も経つと、どうもダメですね。じわりじわりと忘れているような気がします。
まったく営業していなかったというわけではないみたいなのですが、営業していたとしても、時間が限られていたり、購入できるものが限られていたりします。
それに、凄まじい行列。カエサルは一度だけ見たことがあるのだけど、怖かったです。何でも撮りたがりのカエサルが、怖くて、写真を撮ることさえできませんでした。
以来、スーパーとかには近づくことさえできなくないという状況が続きました。
カエサルんちはゴミ屋敷なので、どこに何があるかわからなかったりします。探してみたら、かなりのインスタントラーメンがありました。買っていたのを忘れて、また買ったりしていたのですね。これは、ラッキーでした。しばらくの間は、これで生きていけると思いました。
いざとなったら、コレを食べようと思っていました。言うなれば「心の糧」です。
スーパーに行列ができるのは、いいのです。それが誰かの迷惑になるというわけではありません。でも、ガソリン渋滞は、交通障害になります。そのために、救急車両が通れないなどということもあります。
スーパーに行列ができるのは、しかたがないと思うのです。食わねば、死にます。でも、ガソリンがないと、死ぬか?
カエサルは、自動車に乗るのはやめようと思いました。幸いなことに、職住接近。職場までは5kmくらいなので、徒歩通勤をすることにしました。
もし、職場まで遠かったらどうするんだ・・・と聞かれたら、仕事には行かない、上司から叱られるようなら仕事を辞める・・・などと答えたいところですけど、実際にできたかどうかはわかりません。でも、そうしたいと思ってはいます。
ああいう時期に、ああいう状況の中で、一般庶民がガソリンを求めてはいけなかったのだと思っています。それまで通りの、ふつうの生活をしようと思ったりしてはいけなかったのだと思います。
それまで、何も買えなかったというわけではありません。コンビニとかには行ったことがあるのですよ。カップラーメン1人2個まで・・・とか、そんな感じでの買い物をすることはできました。でも、スーパーには行けなかったのです。怖かったのです。
このときは開店時刻の10分か20分くらい前だったのだけど、この程度の行列です。開店後、10分くらいで入店することができたんじゃないかな。品揃えが十分とは言えませんでしたけど、贅沢さえ言わなければ、さまざまなものを購入することができました。
ラーメンだけのラーメンじゃなく、キャベツの入ったラーメン。これは、もう、本当に美味かったです。大地震後の最高のごちそうでした。
水道が出るようになったのも、この日(3月28日)からだったと思います。
職場の近くの飲食店が営業しているという噂を聞いたので、同僚の車に乗せてもらって、行ってみたのですよ。その店は営業していなかったのだけど、その近くの弁当屋さんがやっていました。ワンメニュー(おにぎり2個とタクワン、とか)だろうと思っていたのだけど、何でもできますよ・・・と言われ、唖然としました。信じられませんでした。
まず、電気が来て、やがて、買い物ができるようになり、水道が出て、キャベツの入ったラーメンどころか、焼肉や唐揚げの入ったお弁当まで食べることができるようになったわけです。日々、着実に復旧が進んでいたと言っていいと思います。
これは、本当に嬉しいことでした。明日は今日と同じかも知れないけど、明後日には何かがちょっとだけよくなっているかもしれない・・・と、そんな感じの日々が続いていたわけです。
カエサルは、「3月11日の大地震」と並べて、「4月7日の大余震」と呼んでいます。写真は、その翌日、4月8日のカエサルの執務室です。
3月11日の大地震のときにも、床一面が本の海になりました。でも、本棚が倒れたりはしなかったのです。
よく見て貰えばわかるかもしれませんが、この本棚、L字金具で壁面に固定されていたのですよ。こういうときのための対策はしていたわけです。正直なところ、そんなことまでしなくていいんじゃないの・・・と思っていました。でも、そんなことまでしていたおかげで、あの大地震のときでさえ倒れなかったわけです。
でも、その大地震のときに、本棚と壁との固定が緩んでいたのでしょうね。そのへんのメインテナンスをする余裕はありませんでした。とてもじゃないけど、ありませんでした。その結果として、この有様になりました。
同じようなことが、あちらこちらで起きました。大地震のときには落ちなかったもの、倒れなかったものが、このときにドサドサと落ち、バタバタと倒れました。こういうのは、本当に怖いと思いました。
大地震で、あちこちが通行禁止になったり、使用禁止になったりしたわけですけど、これくらいなら通れるだろう、使えるだろうというところは少なくなかったわけです。でも、ここに余震が来たら・・・ということを考えると、たしかに、通れないし、使えないのですね。この部屋だって、使うべきではなかったのかもしれません。
このときは、本当にめげました。大地震以来がんばり続けて「心の芯」みたいなものが、ポキリ、と音を立てるのが聞こえたような気がします。
だって、大地震のときにできた「床一面の本の海」は、片付けたんですよ。とりあえず人の通れるようなスペースを確保して・・・というあたりから初めて、1日や2日でできるような仕事ではなかったわけです。それが、この有様ですからね。
大地震のときは「がんばろう」と思ったんだけど、このときは、やる気をなくしてしまった・・・というのが実感です。
この日、カエサルんちにガスが来たんですよ。
1ヶ月ぶりで、風呂に入ることができました。
風呂はいいですね。いろんなことを忘れることができます。このときのカエサルは、この日の午前中に「やる気をなくしてしまった」ということを忘れちゃったような気がします。
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