今日はもうひとつ書きたいことがあるのよ。
ずっと気になっていた、大野病院事件。
今日、判決が出ました。
福島・妊婦失血死事件 産科医に無罪判決 地裁、医療ミス否定
無罪判決です。
私は医療に関しては全くの素人です。
ですから、判断の元となるものは、この事件に関して書かれた記事やブログなどです。
そういう素人の意見としては、この事件は無罪判決が出て欲しいと思っていましたし、この判決が出て、ホッともしました。
なくなった妊婦さんは、本当にお気の毒だと思います。
赤ちゃんは無事に生まれ、大きな喜びの日になるはずだったのに、
一転、大きなかな死にの日になってしまったご遺族の方々の思いは、
私には到底想像もつきません。
でも。
精一杯の手を尽くしても、助けられない事もあります。
全ての事態に備えて全ての手術を行うなんて事は不可能です。
残念ながら、この方の場合は、そんな不幸な症例であったように思います。
では、自分や自分の身内が同じような死を迎えた場合に、
そんなふうに納得できるかどうかは分かりません。
先日、友人のお母様がお亡くなりになりました。
数年の闘病の末で、当然覚悟はしていたものの、
家の中の何もかもがお母様の思い出につながり、
そのたびに涙にくれてしまうそうです。
覚悟をしていてもそうなのですから、
ましてや数時間前まで予想もしていなかった死に直面させられては、
納得できないのも仕方がないのかも知れません。
でも。
やっぱり、「でも」と思ってしまいます。
<大野病院医療事件>判決に被告は安堵 遺族は目を閉じ…
遺族の方が知りたい「真実」って何でしょうか。
逮捕、起訴、裁判で、その「真実」は得られるのでしょうか。
これ以上、控訴や民事訴訟を起こしたところで、
遺族の方が望む「真実」が得られるとは思えません。
この妊婦さんが亡くなってから、家の中に笑顔がなくなってしまったそうです。
でも、このままでは、せっかく生まれてきた子どもがかわいそうです。
このままでは、この子どもは、
自分が生まれてきたことや生きていくことを肯定できるでしょうか。
それが心配です。
少なくとも、この件に関しては、訴訟や裁判では、笑顔は生まれない。
誰も救われない。
そう思います。
そして、亡くなった妊婦さんも、
「真実」よりも、わが子の笑顔を望んでいるのではないかと思います。
この逮捕・裁判で、当の産科医の先生も大きな心の傷を負ったことは、想像に難くありません。それでもなお、「許されるなら、再び地域医療に貢献したい」との思いを持ち続けられていることには、感嘆いたします。
余談ですが。
私、持病の薬の副作用で、腎臓を悪くしました。
このまま全快しないようなら検査の必要が出てくるかも、と言われました。
その検査は、万に一つの確率だけれども、死んでしまうこともあるそうです。
「まず大丈夫ですよ。でも、危険性もきちんと説明しておかなくてはいけないようになっていまして。不必要に不安をあおることもないのだけど。」
と、先生は少々苦笑いしながら説明してくれました。
幸いその検査をする必要はなくなったんですが、その先生の診察中に、いきなり先生が席を立ち、いなくなりました。
そのまま20分以上放置された私。
これは多分非常事態が起きたのだろうなと思ったら、案の定、別件の検査中に患者さんの心臓が止まり(!)、緊急応援を要請されたのだそうです。
いや、そういう事情でしたら、何分でも待ちますから、私。
幸い、その患者さんは持ち直されたそうです。
でもね。
高度な医療になればなるほど、危険度も増してくるのよね。
以前だったら手の尽くしようがないことでも、「助けられるかもしれない、けど危険な治療」というものも存在する。
分かってはいたけれど、それを初めて目の当たりにしました。
医療に100パーセントの成功率を求めたら、患者自身が医療崩壊を引き起こしはしないかと、そんなことを心配しているひいらぎでした。
どうか、お医者様にも、ご遺族の方にも、平穏な日々が一日も早く訪れますように。
ずっと気になっていた、大野病院事件。
今日、判決が出ました。
福島・妊婦失血死事件 産科医に無罪判決 地裁、医療ミス否定
無罪判決です。
私は医療に関しては全くの素人です。
ですから、判断の元となるものは、この事件に関して書かれた記事やブログなどです。
そういう素人の意見としては、この事件は無罪判決が出て欲しいと思っていましたし、この判決が出て、ホッともしました。
なくなった妊婦さんは、本当にお気の毒だと思います。
赤ちゃんは無事に生まれ、大きな喜びの日になるはずだったのに、
一転、大きなかな死にの日になってしまったご遺族の方々の思いは、
私には到底想像もつきません。
でも。
精一杯の手を尽くしても、助けられない事もあります。
全ての事態に備えて全ての手術を行うなんて事は不可能です。
残念ながら、この方の場合は、そんな不幸な症例であったように思います。
では、自分や自分の身内が同じような死を迎えた場合に、
そんなふうに納得できるかどうかは分かりません。
先日、友人のお母様がお亡くなりになりました。
数年の闘病の末で、当然覚悟はしていたものの、
家の中の何もかもがお母様の思い出につながり、
そのたびに涙にくれてしまうそうです。
覚悟をしていてもそうなのですから、
ましてや数時間前まで予想もしていなかった死に直面させられては、
納得できないのも仕方がないのかも知れません。
でも。
やっぱり、「でも」と思ってしまいます。
<大野病院医療事件>判決に被告は安堵 遺族は目を閉じ…
遺族の方が知りたい「真実」って何でしょうか。
逮捕、起訴、裁判で、その「真実」は得られるのでしょうか。
これ以上、控訴や民事訴訟を起こしたところで、
遺族の方が望む「真実」が得られるとは思えません。
この妊婦さんが亡くなってから、家の中に笑顔がなくなってしまったそうです。
でも、このままでは、せっかく生まれてきた子どもがかわいそうです。
このままでは、この子どもは、
自分が生まれてきたことや生きていくことを肯定できるでしょうか。
それが心配です。
少なくとも、この件に関しては、訴訟や裁判では、笑顔は生まれない。
誰も救われない。
そう思います。
そして、亡くなった妊婦さんも、
「真実」よりも、わが子の笑顔を望んでいるのではないかと思います。
この逮捕・裁判で、当の産科医の先生も大きな心の傷を負ったことは、想像に難くありません。それでもなお、「許されるなら、再び地域医療に貢献したい」との思いを持ち続けられていることには、感嘆いたします。
余談ですが。
私、持病の薬の副作用で、腎臓を悪くしました。
このまま全快しないようなら検査の必要が出てくるかも、と言われました。
その検査は、万に一つの確率だけれども、死んでしまうこともあるそうです。
「まず大丈夫ですよ。でも、危険性もきちんと説明しておかなくてはいけないようになっていまして。不必要に不安をあおることもないのだけど。」
と、先生は少々苦笑いしながら説明してくれました。
幸いその検査をする必要はなくなったんですが、その先生の診察中に、いきなり先生が席を立ち、いなくなりました。
そのまま20分以上放置された私。
これは多分非常事態が起きたのだろうなと思ったら、案の定、別件の検査中に患者さんの心臓が止まり(!)、緊急応援を要請されたのだそうです。
いや、そういう事情でしたら、何分でも待ちますから、私。
幸い、その患者さんは持ち直されたそうです。
でもね。
高度な医療になればなるほど、危険度も増してくるのよね。
以前だったら手の尽くしようがないことでも、「助けられるかもしれない、けど危険な治療」というものも存在する。
分かってはいたけれど、それを初めて目の当たりにしました。
医療に100パーセントの成功率を求めたら、患者自身が医療崩壊を引き起こしはしないかと、そんなことを心配しているひいらぎでした。
どうか、お医者様にも、ご遺族の方にも、平穏な日々が一日も早く訪れますように。