札幌には10月ぐらいまでバイトをしていたでしょうか。
確か11月はじめにグリーのOB会があって、それまで札幌にいたと思います。
彼女とは結局色々な心のすれ違いがあり、恋人としては付き合うことが出来なくなってしまいました。
お互いにお互いが重かったのだと思います。実はこの頃すでに就職が内定していたのですが、時すでに遅く、もう札幌にいる目的もなくなった私はまた函館に戻ることを決めたのでした。
しかし、今回の別れはお互いに1歩前に踏み出すためのもので、ある意味吹っ切れていたせいか、前回ほどの悲壮感はありませんでした。
函館に戻るとB君からポプコンのテープ審査があるので一緒に行かないかと誘われ、2人で挑戦することになりました。
確か場所は函館のデパートの中に入っている楽器屋さんの小さなスタジオのようなところだったと思います。そこで、一人ずつ録音し、終わったあと講評をもらいます。
その時やったのは当時自分では1番だと思っていた「ラスト・フライト」と「時には恋人のように」でした。
「ラスト・フライト」は想像で書いた曲で、飛行機の窓から雲海の切れ目から日光が差し込む様を見ながらふと思ったことを曲にしたものです。
もういない恋人を追って最後に異国後へ会いに行く「ラスト・フライト」。
なぜかそんな映画のワンシーンのような情景が脳裏に浮かびました。
この曲はまだ録音していませんが、例のグリーでやったコンサートで1回だけやっています。ですから、作ったのは結構前だったのです。
しかし、この曲がきっかけとなり私はひとつの物語を思いつきました。
「ラスト・フライト」を中心にした何曲かでひとつも物語を作ろうと思ったのです。
まだ未完成ですが、このフォーク組曲?を完成させるのが私のこれからの夢でもあります。
もう1曲は「時には恋人のように」。これは前に聴いた方もあると思いますが、タイトルとは裏腹に派手な曲です。そしてサビの部分は当時でもよほど調子がいいときでないと出ない高音域でした。
私はこの対照的な2曲を何としても完璧に歌いたかった。私は勝負を賭けました。ギターの音を半音下げてチューニングしたのです。「時には・・・」のサビの部分を歌いやすくするために。。。
しかし、それによって逆に「ラスト・フライト」が低くて歌いにくくなり、結果として2曲とも中途半端に終わってしまいました。
講評では「高音はそんなに出るとは思わなかった。」と驚かれたものの「言葉の使い方が気になった。」というようなことを言われました。
それより、半音下げてまで望んだのに満足行くように歌えなかった自分にガックリ。。。
一緒に行った彼も「どうだった!?」と聞くと、顔をくしゃくしゃにして「ダメだった~。。。」とがっくり。
結果は2人とも不合格。
それでも、やることはやったし悔いはありませんでした。でも、変な小細工はするもんじゃない。
私はそれから年末はデパートの配送品回収やサンリオフェスティバルなどバイトに明け暮れ、それ以降B君には会っておりません。
いつの日か再会したいものです。
確か11月はじめにグリーのOB会があって、それまで札幌にいたと思います。
彼女とは結局色々な心のすれ違いがあり、恋人としては付き合うことが出来なくなってしまいました。
お互いにお互いが重かったのだと思います。実はこの頃すでに就職が内定していたのですが、時すでに遅く、もう札幌にいる目的もなくなった私はまた函館に戻ることを決めたのでした。
しかし、今回の別れはお互いに1歩前に踏み出すためのもので、ある意味吹っ切れていたせいか、前回ほどの悲壮感はありませんでした。
函館に戻るとB君からポプコンのテープ審査があるので一緒に行かないかと誘われ、2人で挑戦することになりました。
確か場所は函館のデパートの中に入っている楽器屋さんの小さなスタジオのようなところだったと思います。そこで、一人ずつ録音し、終わったあと講評をもらいます。
その時やったのは当時自分では1番だと思っていた「ラスト・フライト」と「時には恋人のように」でした。
「ラスト・フライト」は想像で書いた曲で、飛行機の窓から雲海の切れ目から日光が差し込む様を見ながらふと思ったことを曲にしたものです。
もういない恋人を追って最後に異国後へ会いに行く「ラスト・フライト」。
なぜかそんな映画のワンシーンのような情景が脳裏に浮かびました。
この曲はまだ録音していませんが、例のグリーでやったコンサートで1回だけやっています。ですから、作ったのは結構前だったのです。
しかし、この曲がきっかけとなり私はひとつの物語を思いつきました。
「ラスト・フライト」を中心にした何曲かでひとつも物語を作ろうと思ったのです。
まだ未完成ですが、このフォーク組曲?を完成させるのが私のこれからの夢でもあります。
もう1曲は「時には恋人のように」。これは前に聴いた方もあると思いますが、タイトルとは裏腹に派手な曲です。そしてサビの部分は当時でもよほど調子がいいときでないと出ない高音域でした。
私はこの対照的な2曲を何としても完璧に歌いたかった。私は勝負を賭けました。ギターの音を半音下げてチューニングしたのです。「時には・・・」のサビの部分を歌いやすくするために。。。
しかし、それによって逆に「ラスト・フライト」が低くて歌いにくくなり、結果として2曲とも中途半端に終わってしまいました。
講評では「高音はそんなに出るとは思わなかった。」と驚かれたものの「言葉の使い方が気になった。」というようなことを言われました。
それより、半音下げてまで望んだのに満足行くように歌えなかった自分にガックリ。。。
一緒に行った彼も「どうだった!?」と聞くと、顔をくしゃくしゃにして「ダメだった~。。。」とがっくり。
結果は2人とも不合格。
それでも、やることはやったし悔いはありませんでした。でも、変な小細工はするもんじゃない。
私はそれから年末はデパートの配送品回収やサンリオフェスティバルなどバイトに明け暮れ、それ以降B君には会っておりません。
いつの日か再会したいものです。