さて、2023年が明けました。
本日は、正月にふさわしい
「太公望」の話をしたいと考えます。
太公望と言えば、釣り人の代名詞のようになっています。
ですが、
太公望というのは、稀代の軍師であり、
「斉」の国の創始者であります。
“覆水盆に返らず”という諺がありますが、
これは妻に飽きられて去って行かれた、
太公望の話なんですね。
へえーそうだったの?なんて、
私自身も内心驚いているのですがね。
太公望は、
それほどの不遇と辛酸を舐めた苦労人だったようなのです。
その話を聞くと、
ソクラテスと同じ雰囲気・印象を抱くのは私だけでしょうか?
ダメ人間を絵に描いたような印象を与えるのですが、
ところがどっこい、
「斉」という国を創始したのですから、
これがどうしてどうして。
その太公望を調べていくうちに、
どうも普通の人間ではないなと、
私は感じたのですね。
よく言われる一般的な言い伝えを読んでみると、
太公望という人は、
毎日釣りをしていたというのですね。
そこへ、
周の国の西伯(文王)が、通りかかったのです。
その文王は太公望を見て、
「どうですか、釣れますかな?」と問いかけたわけです。
すると太公望は、
「俺は雑魚を釣っているのではない、天下を釣っているのだ。」
と、そう返事したという。
そこで、
その文王はその老人を見込んで、
自分の軍師(補佐役)に雇い入れたというのです。
あまりによくできた話でありますが、
「『史記』(司馬遷作)斉太公世家」に見えるエピソードから引用します。
周の西伯という君主が、
あるとき、狩りに出る前に占ったところ、
獲物は動物ではない、覇王の補佐役でしょう!とのお告げ。
そのまま狩りに出たところ、
渭水(いすい)という川のほとりで釣りをしていた老人に出会った。
話してみて、
その才能にほれ込んだ西伯は、
「私の父、大公は『いつか聖人が出てきて、我が国に隆盛をもたらすだろう』
と待ち望んでいたが、あなたがまさにその人だ。」と言い、
老人を補佐役に迎えた。
その老人(呂尚)の助言により、
周は国力を蓄え、
やがて、中国全土の盟主と仰がれるようになったという。
これは司馬遷が書いたとされる『史記』の内容です。
ところが、
この司馬遷は時の支配者によって、歴史を捏造した張本人なんですね。
で何が問題なのかというと、
その周という国は、中国の中の国ではないということです。
「周」と漢字一字であるので、
てっきり中国の事だと思い込み、
また中国の学者も支配者もそのように思いこませている。
ですが、これは違うのです。
どのように違うのか?
「周」とは、当時のエジプト王朝のことです。
ちなみに、
「殷」はインダス、
つまりインドのという意味のインダス王朝。
そして、
「夏」はシュメール王朝。
そして、燕はチベット、
楚はペルシャ。
ざっとこんな感じなんですね。
それらは高橋良典氏が解明されているのですが、
それら調べていくうちに、
高橋氏も詳しく述べておられないことがはっきりしてきた。
太公望と言われている人物は、なんと「ヨセフ」なんです。
当時のエジプトの宰相であったヨセフ。
多くの人民を引き連れてエジプトを脱出したと。
だが、その後どうなったのか、
誰も知らないのではないでしょうか。
一時中断します。
(つづく)