makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

藪入りと父

2015-01-16 | 日記

今日は「藪入り」でしたね

gooのブロガーさんが

サラリーマンの視点から書いていらしたので

私も歳時記を開いてみました

「藪入り」とは1月16日、「里さがり」、「宿さがり」とも言う

7月16日と二回あったそうで

使用人たちを父母の家に帰らせたり自由に外出させる日

かつて奉公人の公休日は

一年に二日しかなかったと言うことになります

先人の句にこんな句があります

『母と寝て母を夢むる藪入りかな     松瀬青々』

 

私は7歳で母を亡くしましたが

実父は3歳で母を亡くしたそうです

尋常小学校卒業するのを待ちかねて愛知県の菓子問屋さんに奉公に出たのでした

奉公先ではまだ誰も起きてこないうちから

掃除ををしたり子守をしたそうです

 

ある時、10銭だか1銭だかが仕事場に落ちていたそうです

今で言う10円、1円の価値になるんでしょうか

落ちていたと言うよりもわざと落としてあったと言うのがふさわしいようです

先ず、その子がお金に気が付くかどうか

気が付かなければ仕事をおろそかにしていることになります

それから、拾ったお金を懐にしまい込むのか

それとも届けにくるのかも試されたそうです

勿論、父は正直に届けたそうです

同じ丁稚さんの中には掃除が終わってから届ける積りでいたけど

忘れていたとかで翌日届ける子とか

完全に私物化した子もいたそうです

 

又、「他所様の窯の飯を食ってこい」と奉公に出された子もいて

やがては親の店を継ぐべく戻っていったそうです

また、奉公を無事勤め上げた者には

暖簾分けの制度もあったそうですが

父の奉公は喰いぶちを減らす為

父に限らずそんな子が殆どだったそうです

それでも持ち前の気転の良さで店主からは可愛がられていたらしい

が、先輩さんからはいじめられたとも聞いている

 

君主の草履を懐で温めたという足軽

後の豊臣秀吉公に風貌も似ていたとかいないとかで

付いたあだ名が「ひでさ」だったとか

^^

私は父似でショックを受けた

・・・「ねね」さん、ごめんなさい・・・

^^

 

さてその父の藪入りのこと

仲間が町へ繰り出すのを観届けてから

里へ帰って来ていたそうです

里には父親が待っています

愛知県からは木曽川、揖斐川を渡って帰ることになります

自転車の荷台には一斗缶に入ったお米を積んでいたそうです

それは不正なお米でした

半年間をかけて隠し貯めていたもの

お菓子を作るときのお米を毎日少しずつくすめていたのでした

紛れもなく父は米泥棒

^^;

「よう、見つからずに済んだことやったね」

「見つかっていたさ、米の減り具合で判とったはずや」

・・・

店主は父の横領を観て見ぬふりをしていたものと思われます

 

私がこの話を聞かされたのは小学生の低学年だったような記憶

あの時父は何を言いたかったのかしらん

正直になることの大切さだったのか

それとも貧困の親を思う子心だったのだろうか

その両方だったような気がする

でも父は米泥棒

^^;

 

今の私と言えば

父が渡ったその同じ川を車でスイスイと走る

しかも、積んでいるのはカメラ

行き先は「なばなの里」

^^;

 

今日まで「藪入りの」言葉さえ知りませんでしたが

こうして父のことを思う日となったのでした

昔の人々の生活や思いが伺える歳時記

ほんと奥が深いです

俳句を学んでいて良かったなと思うmakoでした

 

そして藪入りの句も作りました

その他、鶯餅・鴨でも投句

結果は鶯餅に先生の評価をいただきました

思い入れの「藪いり」の句は票はいただいたものの

先生の佳句にはならず

鴨に至っては今夜も含め未だ佳句には至らずでした

 

さて、今日のおやつはこれでした^^;

外(と)つ国の妹よりのチョコレート、ミント味

私好み、美味しい~^^♪

後味も悪くない

このチョコはお恵姐さんにも貰っていただきました

ピーナッツスナックとハンドウォッシュは熟女4人旅の

メンバーのお二人にそれぞれ好きなのを選んでいただきました

そしてこのチョコは自分の為にキープしてあったって訳です^^

私は無頓着ですが J 姉さんはどこのメーカーのものかご存知でした

流石です^^