makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

無学だった父の読書の思い出

2019-11-18 | 日記

    ♪♪・・・秋蝶・・・♪♪

                    

昨年の11月24日の撮影。

 

さて、先日のこと。

お客様に突然お土産をいただいた。

レジを済ませてもまた直ぐに並び直していらしたので、何か入れ忘れたかなと。

「これ台湾のお菓子なんですが、一週間ほど帰っていたのでお土産に買ってきました」

「食べてください」と二個いただきました。流暢な日本語です。

・・・って、この可愛いキュートなお嬢さんは異国の方だとそもそも知らなかった私でした。

 

もう一人のスタッフさんにもあげていいですか?

これこれしかじかでいただきましたから、あなたの分は事務所のテーブルの上におきましたよ。

帰りに忘れず貰っていってね、と。

クラッカーの中には、ドライ杏子がサンドされていました、多分、ドライ杏子・・だと^^;

封を切ったときは、確かにアジアンテイストの香りがしていました。

さりとて、スパイシーな感じではなく、やっぱりお菓子。

おいしくいただきました。

今度、来てくださった折には若い男子スタッフさんにも、「あの子」だよと伝えなくっちゃ。

 

また、ちょっと気になっていたパン屋さんに行ってきました。

「パン ・ ド・ムゥ」というお店。

オーナー職人さんは、元ボクサーでいらしたとか。

お芋、美味しかったです。が、デニッシュ生地にもっとバターの風味が欲しいかなと。

でも、美味しいですね。

さて、先日、友達と写真展に行った帰りの中での話を少し。

「お父さんとの素晴らしい話、良かった」と、彼女から後日メールがきました。

そうかなぁ・・。ただの貧乏話ですが   ^^;

無学の父がある日、本を読むようになったことです。

 

ある冬のこと。父は自作の堀炬燵を作りました。

6畳一間の茣蓙を敷いた居間の板をくり抜いて、四方を板で囲み、

その中に、風呂を沸かして出来た熾火を入れた陶器の丸いものが入っていたような・・。

そこへ四角い小さなちゃぶ台を置いて、その上からは、古びた、腐ったような薄いヘロヘロの毛布がかけてあったと記憶。

それでも嬉しくて私たちは肩を寄せ合って暖をとっていた。

風呂を沸かして熾火ができあがるのを心待ちにしていたのだった。

私は学校の図書館で借りてきた本をそこで読むようになった。

主に伝記もの。江戸川乱歩の推理小説。そればかりだった。

同じものばかりで結末を判っていてもそれを承知でよ読むことが多かった。

炬燵では宿題も済ませたりしていた。

「ええかぁ、お前らは、勉強するのが仕事やぞ」

「父ちゃんは、勉強したくても出来やなんだ」

なんで?

「鉛筆もなかった、ちびた鉛筆が転がっていると、それを拾って指に持てやんほど使った」

「もっと、勉強したくてもできやなんだ」

「おまえらは教科書も鉛筆も筆箱もランドセルもある」

「ええかぁ、今のうちに一杯勉強しとけ」

そんな話を延々ときかされることもあった。もう耳にタコができたことだった。

 

ある日、父も本を読むようになった。

へぇ・・・。

あれほど、「俺は無学」と言っていた父が本を読めるの?

不思議だった。それでも父と肩を並べて読書タイムは嬉しかった。

一体どんな本?

それは薄いブルーの固い表紙の立派な本だった。

その本の名前は「人間革命」というもの。

そう、先日、友が誘ってくれた写真展の池田大作氏が書かれたものだった。

信者でもない、まして漢字も読めなかっただろう父がその本を何で入手したかはまた別の機会に書くとして。

 

で、友達に私はこう言った。

「父がその本の意味は理解していたとは思えない。読むふりをしていただけかも知れない」

「違うよ、だって、その本にはフリガナがふってあるんだよ」

「えっ?!  ・・・そうだったの?」

「だから、棚にはズラッと並んでいたんだね、私は難しい宗教本だと思っていたから覗きもしなかったけど」

 

友達の話は池田大作氏の宗教活動について結論つけて話しは終わったのだった。

不思議なこと。

何十年の時を経て、父の読書の不思議の謎が解けたことだった。