トップ写真は小野神社の社殿です。
私はずっと武蔵国一ノ宮は埼玉県さいたま市の氷川神社(ひかわじんじゃ)だと思っていました。
だって横浜市の山下公園に停泊している氷川丸は、武蔵国一ノ宮の氷川神社にちなんで名付けられたって聞いていたから。
氷川神社は武蔵国一ノ宮であり三ノ宮でもあるので、武蔵国一ノ宮というと、小野神社と氷川神社になるそうです。
今月訪れた安房国一ノ宮が洲崎神社と安房神社の2つあることを知って驚きましたが、私は武蔵国一ノ宮が2つあることは今月になって知ったのです。
一ノ宮の解釈って難しいです。
隋神門。
ずいぶん新しめの狛犬ちゃん。
石の表面から見ても、デザインも歴史ある神社ではこんなに新しい狛犬ちゃんは珍しいです。
風神。
雷神。
隋神門の彫りものはとても細かくてステキでした。
風神。
雷神。
隋神門の彫りものはとても細かくてステキでした。
外壁には十二支が彫られていたり、波模様の彫りものもなかなか見られないようなタイプでした。
が、この門自体は私と同年代で築50年に届きません。
確かに材木の木目が意外とキレイで、枯れきった感じがしません。
※私の感覚なので材木の専門的な表現ではありません。
隋神門のすぐ近くにある南門。
こちらの方が古い門ように思いました。
境内の様子。
この狛犬ちゃんは朱塗りがあって、たてがみの彫り方に丸みがあるので、平成以降かと思っていたら、昭和末期でした。
昭和末期にはすでにこのまん丸たてがみ型の狛犬ちゃんが存在したのか!と初めて知りました。
境内のハート石。
境内のハート石。
縁結びの御利益があるそうです。
さてこの小野神社がある場所は、聖蹟桜ヶ丘駅(せいせきさくらがおかえき)の近くです。
今は住宅街の中にあります。
聖蹟桜ヶ丘駅周辺は、「平成狸合戦ぽんぽこ」や「耳をすませば」等の舞台になった場所です。
令和を迎えてすでに野山はなく、住宅街です。
そして大國魂神社から見て、多摩川の対岸にあります。
小野神社自体も、大國魂神社がある府中市とこの多摩市にある社に分かれているそうです。
これは多摩川の氾濫によって2つに分かれたとも言い伝えがあり判然とはしていないそうです。
私は多摩川のそれぞれの台地の上にあることから、多摩川の南側にある当社、北側にある府中市の小野神社が、敵の侵入に備えていたのかな?と捉えました。
古代において武蔵国は、都の支配が安定的な土地柄ではなく、古戦場が残る土地柄から言えば、いつでも遷座できる用意があったのかとも思いました。
古代の下総国一ノ宮香取神宮、常陸国一ノ宮鹿島神宮は、軍事拠点(要塞)の役割が大きかったのですが、これは水運による兵力の移動も可能でした。
一方、武蔵国一ノ宮小野神社は多摩川の中流域なので海からの水運は期待できません。
主に陸運に重きを置いていたような地形と感じました。
それにしても、大國魂神社と小野神社、車で20分もかからない場所にありました。
近すぎないか?と思いつつ、現在の埼玉県、東京都、神奈川県にまたがる武蔵国が広大だったことを考えると、この一帯は、まさに武蔵国の中心地だったことを物語っています。
この2つの神社の周辺域には、東京競馬場や多摩川競艇場、多摩川の少し下流に京王閣競輪場等があり、ギャンブル関係はなかなか充実した地域です。
また大國魂神社といったら、くらやみ祭が有名ですし、府中市郷土の森博物館と言えば過去に「アウトローたちの江戸時代」展というなかなか奇抜な企画展を開催しました。
古代から現代に到るまで、衆目を集めやすい「とっぽい」地域なのかな?とも思っています。
※とっぽい…気障で不良ぽっいという意味。1968年に府中市で発生した3億円事件の犯人像はまさに「とっぽいあんちゃん」。