今日は 朝から晴れて
お布団も干せたよ~
そして 今日も東北旅行の続きです
はい これで終わりです
辿り着いたところは 高速を下りて
花巻市に
こんな風景の中を走り
辿り着いた場所は
ワタシは はるか昔にここに来たことが有るのですが
(今回とても綺麗になっていたのにビツクリしました)
とても 記憶に残っていたため
主人にも勧め 今回訪れる事に
記念館も作られていました
ワタシが 訪れた時には まだ こんな看板も何も無かったと??
高村光太郎 皆さんは どんな風に思い出されるでしょうか
高村智恵子さんのご主人
それとも 詩人・歌人・彫刻家・画家
東京生まれの光太郎が なぜ花巻?と思われるかと
光太郎は 東京の空襲でアトリエを失い
以前から親交が有った 宮沢賢治の実家に
昭和20年5月に疎開していたのです
8月には 宮沢賢治の実家も空襲にあい
10月には ここに住むことになったのです
(これは 2重に覆われていますが 木造の小屋です)
昭和13年に智恵子さんを亡くしたので単身
これは 光太郎が作ったトイレ(小用)
大用のトイレには 明り取りの光という字を抜いています
(ガラスに景色が写ってしまうので裏から撮りました)
雪深い場所で 一人色々考えていたのでしょうかね
地元の人・子供達とも仲良くしていたようです
7年過ごした後 東京に戻り
あの有名な 十和田湖の乙女の像を製作
除幕式の日には
昭和28年10月21日 紅葉を濡らす雨の中
光太郎は 「きよめの雨だね」と言ったそうです
完成後 「あれは智恵子夫人の顔」と言われるようになり
それを確かめたところ
「智恵子だという人があってもいいし そうでないという人があってもいい
見る人が決めればいい」 と光太郎は答えたそうです
ワタシも そう思います
人の作った物は 見る者の感性で受け止めるものですものね
体はモデルがいて 藤井照子さん(当時19歳)
東京のモデルクラブに所属していた方だそうですよ
高村光太郎 素敵な方だったんだろうなぁ~
長々と 東北旅行にお付き合いして下さり ありがとうございました
明日からは いつものblogに戻りますね