くうあり

自分なりの気付きを綴るブログ  

相手の気分に反応しまくっていた私

2020-12-28 12:00:00 | こころ

(写真は、アクロバットサンタさんです。このくらい自己のスタイルを確立しても良いのではないか


感情的になりがちな自分なので、周りにいる人はできるだけ自分の気分に反応しないで「はいはい。そうだね。」って流したりあっかーく受け止めてくれたりしたらいいのになって思っていました。

自分も、特に本音が出やすい家族との関わりでは、相手の気分に左右されないで大きく構えられる人間になりたいってずーっと前から思っています。

難しいな〜と思っていましたが、ここにきて気が付いたことがあり、自分の在り方がようやく少しずつ変化してきてます。


今までは自分が否定されることが何より怖かったんです。

私は気が小さくて、ちょっとでも言葉で噛みつかれる感じがすると、すぐに噛みつき返して倍返しするようなところがありました。

揺るぎない自分というものがなく
自分が人に否定されることに敏感すぎました。否定されるとすぐつぶれてしまいそうで怖がっているようなところがありました。

しかし最近分かってきたことは、人が自分にぶつけてくることなんて案外当てにならないということです。

「いつも話を聞いてない」と言われたとしても、私が本当に聞いてないかどうかは人に言われたからとて一般的に絶対的に真実だとは言えないものです。私は私なりに聞いているつもりなんです。相手は、自分が聞いてほしいと思っているレベルに足りないと怒っています。

人は、自分の中に抱えているわだかまりを私にぶつけてくるだけで、わたしには直接的な非がないことも多いということを最近実感してきました。

だから、気ままに発される人の言葉にいちいち振り回されると自分を見失ってしまいます。

そんなふうにどこかで気がついているととても冷静でいられます。


メールの返信が無いと、私が何かまずかったんだろうかと心配してましたが、相手にこちらが分からない何かの事情があるのだろうと想像力が働くと慌てなくなってきました。


「何かまずかったですか?怒ってる?」と深掘りして聞いてしまっていたのは、相手のスペースを尊重して受け止める器がわたしにはなかったのです。いつも自分が悪いか悪くないかをはっきりさせたがっていましたよね。


そんなことははっきりさせてもしょうがなく、平和にいい関係を築いていくためには受け止めて受け流すことが大切なのだと思います。

相手に求めるより先に私がそのような器の大きな人間になればいいだけでした。

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