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日常の一場面を切り取って考察することに意味がないと書いたばかりだけど、書かなくてもいい、と宣言すると書きたくなる不思議。
今日は思い立って熱田神宮まで行ってきました。
慣れない名古屋道です。
車線変更したら、バイクが私を追い越して、こっち向いて思いっきり中指立ててきよった(;'∀')
びっくりしました。
中指立てられるとか、普通ないから。。。
私はそのバイクの兄さんに気づかず必死で車線変更しました。
兄さんにとっては危ない状況だったんだね、中指立てるほど。。
私は兄さんを傷つけようと思って行動したわけじゃないけど、兄さんにとっては嫌な状況だったので怒っている。
窓開けて「すいませんでしたーーー!」って悪かったなコノヤローって気分で叫びたい衝動にも駆られたけど、
心の中で「気付かなくてごめん」と言って終わった。
しばらく、中指立てられたの思い出してショックだったけど、そのうち忘れてた。
こういうことは日常でもよくあるなと思った。
こっちはそういうつもりでなくても、人が私にえらい怒っている。
私はそういうつもりではなかった、ということに自信を持ってもいいかもしれないと思った。
それでこそ、怒らせてごめん、と誠実に謝ることができるのかも。
私は自己防衛のために過剰反応してはいないだろうか。
「そっちこそチョロチョロしやがって」と相手の非を見つけて責めてみたり(笑)
「こっちは名古屋道怖々走っとるんだわ!」とか言い訳してみたり(笑)
そんなことに気付けたので中指兄さんありがとう(笑)
いろいろ受け入れていくために生まれてきたのではないかと思えてきた(笑)
いろいろなことがオーケーになるってことは、あれはダメ、これはダメと分離してた意識が薄れてっていわゆる「ワンネス」の感覚になっていくんではないかと。
戦わないってことは平和です。
中指と戦わずに謝った私は平和だな~ って思うんです。
中指中指書いてたらちょっと笑えてきてしまった。
しかし大事故にならなかったから笑えます。よかった。
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