ドッジボールのルールのことではありませんので、先にお断りしておきますね。
私たちは、まず『個人』、次が『家族』、それから『町内』『学校』『職場』などに、いろいろな集団に所属しています。
『日本』もそうだし、『アジア』も大きなくくりです。
当然いくつかの集団に同時に所属しているわけでもあります。
そして、私たちが社会生活をおくる時には、無意識のうちにルールを守ろうとします。
例えば、「朝、何時に起床するか」ということを考えると、会社は○時に出勤だから、学校は○時に始まるから、○○時には家を出なければならない。また朝食は○○時だから・・・とか、いろいろな決まり事やルールを守ることを前提に行動しようとします。
それは、『より大きな集団』の決まり事を、『個人』や時には『家族』よりも上位において考えることを知らず知らずのうちに学んでいて、あるいはしつけられているから、すんなりと行動を起こすことができています。
ところが、中にはそういうルールを学ばずに大人になっている方たちがいます。
また、増えてきています。
彼らの考え方では、常に『個人』である自分が最上位に位置づけられています。
なので、自分のルールに集団を合わさせようとします。
しかし当然そんなことはできませんので、周囲との摩擦やトラブルが頻発してしまいます。
先に書いた例だと、さすがに始業時間を変えろとまでは言わないにしろ、「起きられないから遅刻しても仕方がないじゃないか。」だから「注意される覚えはない。」と開き直るくらいはあります。
仕事がらみではしょっちゅうですが、身の回りでもこういうタイプが増えてくると、なにが常識なんだかわからなくなってきますね~(泣)
私たちは、まず『個人』、次が『家族』、それから『町内』『学校』『職場』などに、いろいろな集団に所属しています。
『日本』もそうだし、『アジア』も大きなくくりです。
当然いくつかの集団に同時に所属しているわけでもあります。
そして、私たちが社会生活をおくる時には、無意識のうちにルールを守ろうとします。
例えば、「朝、何時に起床するか」ということを考えると、会社は○時に出勤だから、学校は○時に始まるから、○○時には家を出なければならない。また朝食は○○時だから・・・とか、いろいろな決まり事やルールを守ることを前提に行動しようとします。
それは、『より大きな集団』の決まり事を、『個人』や時には『家族』よりも上位において考えることを知らず知らずのうちに学んでいて、あるいはしつけられているから、すんなりと行動を起こすことができています。
ところが、中にはそういうルールを学ばずに大人になっている方たちがいます。
また、増えてきています。
彼らの考え方では、常に『個人』である自分が最上位に位置づけられています。
なので、自分のルールに集団を合わさせようとします。
しかし当然そんなことはできませんので、周囲との摩擦やトラブルが頻発してしまいます。
先に書いた例だと、さすがに始業時間を変えろとまでは言わないにしろ、「起きられないから遅刻しても仕方がないじゃないか。」だから「注意される覚えはない。」と開き直るくらいはあります。
仕事がらみではしょっちゅうですが、身の回りでもこういうタイプが増えてくると、なにが常識なんだかわからなくなってきますね~(泣)