私たちの仕事は、一時保護した方たちが、今後どのように生活をされていくのかお手伝いをするわけですが、あくまでも決定されるのはご本人であって、私たちがお膳立てをすることはできません。
でも、この自分で決めることが、本当に難しい
なぜ出来ないか、難しいのかの事情は様々ではありますが、ひとつには、これまでの人生経験において、自己決定する機会を与えられなかったり、ひどくなると、自分で選択し、決定することが許されない環境に長期間おかれていたために、自分で決める力が養われていない事が多いと思います。
人は、その年齢によって、それなりに自分で考え、選び、決める力を持っています。
小学生でも同じです。
大人の方が情報量は多いですし、子どもたちを自分が正しいと思う方向へ導こうとします。
ですが、大人サイドがあまりにも干渉しすぎると、子どもたちは自分に自信が持てなくなったり、すぐにあきらめる事で自分を守ろうとして、自分で選び決めることをしなくなってしまいます。
親子関係であればなおさら、親は「これは絶対子どものため」と思っているし、子どもは子どもで、不満があっても親から「お前のためだ」と押されると我慢をせざるを得ません。
しかし、何かおかしい、自分はこうしたくないという思いを内包したままであると、いつかの時点で表面化してきます。
かといって、何もかも子どもの願いを叶えてやることが良い訳でもありません。
それは「子ども自身が、何かを決めるにはどうすれば良いかを真剣に考え、選ぶ訓練の場」を親が与えていないと思えるからです。
日頃様々な親子関係、家庭環境に触れながら思うのは、大人であることに安住せず、いくつになっても自分を変えていけるような、柔らかな自分でありたいと言うことです。
自分で選び決める時、こんな柔軟さもまた大切だと、この職場に来てあらためて感じています。
でも、この自分で決めることが、本当に難しい
なぜ出来ないか、難しいのかの事情は様々ではありますが、ひとつには、これまでの人生経験において、自己決定する機会を与えられなかったり、ひどくなると、自分で選択し、決定することが許されない環境に長期間おかれていたために、自分で決める力が養われていない事が多いと思います。
人は、その年齢によって、それなりに自分で考え、選び、決める力を持っています。
小学生でも同じです。
大人の方が情報量は多いですし、子どもたちを自分が正しいと思う方向へ導こうとします。
ですが、大人サイドがあまりにも干渉しすぎると、子どもたちは自分に自信が持てなくなったり、すぐにあきらめる事で自分を守ろうとして、自分で選び決めることをしなくなってしまいます。
親子関係であればなおさら、親は「これは絶対子どものため」と思っているし、子どもは子どもで、不満があっても親から「お前のためだ」と押されると我慢をせざるを得ません。
しかし、何かおかしい、自分はこうしたくないという思いを内包したままであると、いつかの時点で表面化してきます。
かといって、何もかも子どもの願いを叶えてやることが良い訳でもありません。
それは「子ども自身が、何かを決めるにはどうすれば良いかを真剣に考え、選ぶ訓練の場」を親が与えていないと思えるからです。
日頃様々な親子関係、家庭環境に触れながら思うのは、大人であることに安住せず、いくつになっても自分を変えていけるような、柔らかな自分でありたいと言うことです。
自分で選び決める時、こんな柔軟さもまた大切だと、この職場に来てあらためて感じています。