『真っ向勝負』って何?
最近、関西地区ではやたらとこのフレーズを見聞きします。
で、どうもこのフレーズの意味するところが、やけに矮小化されたような印象が強まってきていて、とても息苦しいです。
曰く「山鳴りボール」「時間稼ぎ」は卑怯千万で許し難いと、そうしたプレイを指導する指導者・チームはあってはならないと、そのように聞こえます。
あわせてよく言われているのは、「逃げない」「卑怯なまねはしない」等々であるようですが、結論だけ先に言うと、これらはすべて『主観』に寄るのではないでしょうか?
自分や子どもたちたちが嫌な思いをしたから、それで結果負けてしまった。相手が正々堂々と打ち合っていたら違っていたかもしれないと、そんな事も聞こえてきます。
しかし、それはそれで言い分はあるし、自分たちはそういうプレイはしないと、そこでとどめているのであれば何も構わないわけですが、どうもそのラインを踏み越える言動があると届いて来ます。
要するに、『真っ向勝負』をしないチームは許せないみたいな、そう思えるチームに対して攻撃的な姿勢が見えてくると話しはまた別でしょう。
過去にも書いたことがありますが、うちもそれは見事な「時間稼ぎ」プレイにはまり負けたこともあります。
でもそれはそれが相手チームの作戦であったり戦術であり、それに嵌ってみすみすボールを支配され続けたうちの力不足でしかなかったんです。
パワーに欠ける時、技術面で不足があるとき、どういうチーム状態にあっても、子どもたちの良いところ、出来ている事を集めてつなぎ合わせてチームを作っていく中で、十人いれば十人の、百人いれば百人の指導者の考え方理想があるはずなのですから、いろんな考え方ややり方があるもんだとお互いに認め合うなり、気に入らなければ距離を置くなりするだけでは駄目なのでしょうか?
どうも潔さとか真っ向勝負礼賛が、ちょっとおかしな方向へ向かっているような気がしています。
最近、関西地区ではやたらとこのフレーズを見聞きします。
で、どうもこのフレーズの意味するところが、やけに矮小化されたような印象が強まってきていて、とても息苦しいです。
曰く「山鳴りボール」「時間稼ぎ」は卑怯千万で許し難いと、そうしたプレイを指導する指導者・チームはあってはならないと、そのように聞こえます。
あわせてよく言われているのは、「逃げない」「卑怯なまねはしない」等々であるようですが、結論だけ先に言うと、これらはすべて『主観』に寄るのではないでしょうか?
自分や子どもたちたちが嫌な思いをしたから、それで結果負けてしまった。相手が正々堂々と打ち合っていたら違っていたかもしれないと、そんな事も聞こえてきます。
しかし、それはそれで言い分はあるし、自分たちはそういうプレイはしないと、そこでとどめているのであれば何も構わないわけですが、どうもそのラインを踏み越える言動があると届いて来ます。
要するに、『真っ向勝負』をしないチームは許せないみたいな、そう思えるチームに対して攻撃的な姿勢が見えてくると話しはまた別でしょう。
過去にも書いたことがありますが、うちもそれは見事な「時間稼ぎ」プレイにはまり負けたこともあります。
でもそれはそれが相手チームの作戦であったり戦術であり、それに嵌ってみすみすボールを支配され続けたうちの力不足でしかなかったんです。
パワーに欠ける時、技術面で不足があるとき、どういうチーム状態にあっても、子どもたちの良いところ、出来ている事を集めてつなぎ合わせてチームを作っていく中で、十人いれば十人の、百人いれば百人の指導者の考え方理想があるはずなのですから、いろんな考え方ややり方があるもんだとお互いに認め合うなり、気に入らなければ距離を置くなりするだけでは駄目なのでしょうか?
どうも潔さとか真っ向勝負礼賛が、ちょっとおかしな方向へ向かっているような気がしています。