いつも通る道に大きな木があります。例年今の時期にその木の下は、実が潰れ、道路は濃いえんじ色で汚れています。それは桑の実なんです。
ずいぶん前まで、それが桑の木とは知りませんでした。あまりにも大木過ぎて…。でもその実でわかりました。
私が育つ頃、私はおじいちゃんおばあちゃん子でした。祖父母と一緒の部屋で寝ていました。丁度年の離れた弟が生まれたこともあったのでしょう。
祖父母はお蚕様を飼っていました。お蚕様が来ると、私たちは隅の方へ居を移し、それこそお蚕様に部屋は乗っ取られていました。
夜寝ていると、お蚕様が桑の葉を食べる、ムシャムシャという音が子守唄とは言いませんが、聞こえてきました。
お蚕様は白く、今でいう芋虫のようですが、お蚕様を触るのはへっちゃらでした。今でも暖かい感触だけは思い出すことができますが、他のことはほとんど思い出せません。
ですから部屋がどのくらいお蚕様に占領されていたのか、1ヶ月位かそれ以上か。繭を作るころになると、全体が1m程の大きさで、5~6cmの碁盤の目のように仕切りを作った箱に、お蚕様を入れます。そこで口から糸を出し、繭を作ります。
祖母は繭を鍋で煮て、絹糸にしていました。そのとき出来るのが「むつご」です。また祖母は、その絹糸で機も織っていました。部屋の片隅には機織りが置いてありました。
繭は布団を作る時の真綿になったり、着物にもなりました。
いつ頃からか、実家へ行ってもその機織り機が目に入らなくなりました。
あの頃、私に「欲」というものがあったら…。祖母からもっといろんなことを学んでいれば…。祖父母からただただ愛情だけを注がれた私に、そのようなことを考える能力は生まれませんでした。
この時期、桑の実が落ちた道路を通る度、お蚕様のムシャムシャという葉をかむ音と、祖父母のことが思い出されます。
ずいぶん前まで、それが桑の木とは知りませんでした。あまりにも大木過ぎて…。でもその実でわかりました。
私が育つ頃、私はおじいちゃんおばあちゃん子でした。祖父母と一緒の部屋で寝ていました。丁度年の離れた弟が生まれたこともあったのでしょう。
祖父母はお蚕様を飼っていました。お蚕様が来ると、私たちは隅の方へ居を移し、それこそお蚕様に部屋は乗っ取られていました。
夜寝ていると、お蚕様が桑の葉を食べる、ムシャムシャという音が子守唄とは言いませんが、聞こえてきました。
お蚕様は白く、今でいう芋虫のようですが、お蚕様を触るのはへっちゃらでした。今でも暖かい感触だけは思い出すことができますが、他のことはほとんど思い出せません。
ですから部屋がどのくらいお蚕様に占領されていたのか、1ヶ月位かそれ以上か。繭を作るころになると、全体が1m程の大きさで、5~6cmの碁盤の目のように仕切りを作った箱に、お蚕様を入れます。そこで口から糸を出し、繭を作ります。
祖母は繭を鍋で煮て、絹糸にしていました。そのとき出来るのが「むつご」です。また祖母は、その絹糸で機も織っていました。部屋の片隅には機織りが置いてありました。
繭は布団を作る時の真綿になったり、着物にもなりました。
いつ頃からか、実家へ行ってもその機織り機が目に入らなくなりました。
あの頃、私に「欲」というものがあったら…。祖母からもっといろんなことを学んでいれば…。祖父母からただただ愛情だけを注がれた私に、そのようなことを考える能力は生まれませんでした。
この時期、桑の実が落ちた道路を通る度、お蚕様のムシャムシャという葉をかむ音と、祖父母のことが思い出されます。