豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

伊勢志摩旅行―金剛證寺編―

2015-11-23 15:56:41 | 小旅行
2015年11月21日、午前11時半ごろに内宮B駐車場を出立。

駐車場を出て左折してしばらくすると、すぐ目の前に伊勢志摩スカイラインの入口があります。

伊勢神宮駐車場の領収書を見せると250円オフの1000円での入場です。

絶景に対して、期待して、興奮しまくる僕。

少し上っただけで「おおっ、すごい、すごい」と目の前の景色に注意を促す。

基本、高所恐怖症だが、足元が確かな、山とかだと、ある程度、怖さを抑えられる。

せっかくの絶景を眺めながらのドライブだが、なんと、悠聖は爆睡ww

「なんのために来たのやら」と千鶴さんに話します、苦笑

昇りの途中の駐車スペースでいったん停めて、二人で、風景を楽しみます。

「おお、すごい」とか言っていただろう。



★道路脇の駐車スペースに停めて千鶴さんを撮影



★途中の展望スペースにて千鶴さん


あっちに何があるとか看板に書いてあるので、眺めながら、風景と比べる。

ワクワクしながら、ドンドン昇っていくと、建物が豆粒のように小さくなっていきます。

「何メートルくらいあるのかなあ」などと会話する。


12時ごろには金剛證寺の駐車場に到着したと思います。

千鶴さんは以前に来たことがあるらしく、あそこに、停めたよとか教えてくれる。

どうも弘法大師に縁があるお寺の様で「なんか、あちこちで会うよな空海さんは」との想いが湧く。



★神社入口の石段前にて千鶴さんと悠聖



★神社入口の石段前にて僕と悠聖



★石段を登り切った僕と悠聖を石段下から千鶴さんがパシャリ


石段を登り終えると仁王様の門があり、潜ると赤い太鼓橋と池が目に飛び込む。

これは天河神社や、丹生大師と似た景色だと思い、千鶴さんに言っていると「亀山があるよ」と彼女は言う。

見るとベンチに書かれた『カメヤマローソク』の文字。

出張ごくろうさまです、笑



★仁王門を潜った先で、僕と悠聖(この右側に太鼓橋と池がある)


順路に従って歩くが、幻想的な風景である。

悠聖は道行く人に「あん、あん」と挨拶をするので、おばちゃんに「可愛いなあ」と言われて満足気だww

よく覚えていないが、一番近くの仏さまに、みんなでお参り。

悠聖は賽銭を入れてお参りする所作を少しづつ覚えてきている。

その先の蝋燭を灯すと、危難の時に身代わりになってくれると言う仏さまにお参りする。

ローソク1本100円のを3本。


右側に阿字観マークの刻まれた石があり、持ち上げて一旦置き、左回りに回して真言を唱えるのを3回する。

そうして祈念したあとに、もう一度、石を持ち上げて、最初より軽く感じたら、願いが叶うらしい。

僕は、軽く感じたので、おそらく、願いを聞き届けられただろう。

ここで、なにを願ったのかは秘密であります、笑


更に歩いていく間に、もうひとつの仏さまを拝んだと思う。


階段を上ると本堂があり、前に線香をあげるところがあったので50円入れてあげる。

両脇には、虎と牛だったかなあ、生き物の像がある。

本堂は、弁財天と大黒様と、もう一つ、謎の仏さまが左側に配置されている。


日本三大虚空蔵菩薩の第一位らしい御本尊は見ることはできないが、どうも、20年に一度くらい開帳するらしいことが書いてあった気がする。

独特の神秘的な雰囲気があるが、興奮しまくっている、僕らは、ぜんぜん落ち着きがないww

お土産に『無事かえる御守り』を二つ購入して、本堂をあとにします。

お坊さん、めっちゃ雰囲気がある人だった。

御守りを買う時に、待っていたが、前の人に書道で、御朱印を書いていて、凄まじい達筆。


本堂を後にすると、表の動物たちの頭をなでなでして、自分の頭をなでなでするのを3人ともする。

ちょっとは頭よくなったかなあww


そのまま帰路に準じで駐車場まで降りていきます。

帰りに正門の前で、記念に、撮影をしておく。



★金剛證寺の鳥居の前で千鶴さんと悠聖


ここは、どうも神仏習合を象徴するようなお寺のようだ。

鳥居があったり、仏像と弁財天、大黒様が、一緒に安置されたり、と、神社とお寺の要素が、両方、入った建物の構造になっている。

弘法大師のゆかりのお寺は、このような感じの場所が多い気がする。


それから、トイレを済ませて煙草を1本吸い、次の目的地である朝熊山展望台へ向かったのでした。


あ!

そういや、帰り際に、観光バスが入っていたな、豊の字があった気がする『TOYOなんちゃら』だったので、豊田の豊だなあとか思って覚えている、爆笑


≪たぶん、続く≫



金剛證寺―ウィキペディア参照―


金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。

山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。

本尊は虚空蔵菩薩である。

朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。

伊勢志摩旅行―伊勢神宮(内宮)編

2015-11-23 14:38:54 | 小旅行
2015年11月21日(土曜日)

午前5時ごろに起床し座禅40分を済ませてから出発の準備を整えます。

初日は伊勢神宮(内宮)とおかげ横丁、金剛證寺、朝熊山展望台と巡ってから、合歓の郷へ向かう予定です。

2日目は鳥羽水族館、海女小屋はまなみ、二見興玉神社と巡って、勢和多気の千鶴さんの実家へ帰る予定ですね。

6時半過ぎに悠聖を車に乗せて、母親に見送られながら出立。



★寝起き早々に車に乗せられた悠聖



★外まで見送りに出てきた母親と後ろで悠聖の相手をする千鶴さん


このあとガソリンの給油に井田川のスタンドへ。

ナビを設定して、伊勢自動車道を走り、途中、多気PAでタバコ休憩をします。

出発から1時間半ほどで伊勢神宮(内宮)に到着です。

やたらハイテンションだった気がする。

天気が晴れていたので「いつもの行いやな」とか話したww


駐車場は少し離れたB駐車場だったかな、に、止めた。

そこからベビーカ―と一緒に、みんなで向かいます。

途中でファミリーマートでお茶等を買うが、入口に、猫がいて、悠聖が戯れていた。

内宮の鳥居に到着してパシャリ。



★内宮の鳥居まで少し離れたところから悠聖と千鶴さん



★内宮鳥居前で僕と悠聖


時間が8時ごろだったので、人は多かったが、混雑まではしていなかった。

ベビーカーは砂利の上なので、ゆっくりとしか進みません。

ところどころで、階段とか、持ち上げないといけない場合もあり、結構、疲れます。



★宇治橋で記念撮影する千鶴さんと悠聖



★五十鈴川で手と口を清める前の千鶴さんと悠聖


このあと悠聖が巨木に抱き着いて、中々離れないという事件が勃発ww

なんとか引き離して、天照大神の正宮前でベビーカーを下へ置いておいて、参拝へ向かいます。

中々、神々しい光が、溢れている。

「お願い事をしないように」と千鶴さん達に言いながら、みんなで柏手を打って拝みます。

悠聖、得意の「アン!」と炸裂させていた。



★正宮下で、千鶴さんと悠聖



★正宮下で、僕と悠聖


そのあとで、天照大神の荒祭宮を参拝します。

帰路に準じて、池で鯉を眺めたり、お守りを購入します。

しばらく歩くと白馬がいる小屋がある。

目の前を巫女さんが歩いているのを見て、僕が興奮していると千鶴さんが「巫女さんの後ろ姿はめったに見れない」と言った。

馬小屋には『神馬』がいて、とても大人しくしている。

みなさん鑑賞しているが、悠聖は「あ、あー」と指さしていたような気がする。



★神馬前にて悠聖と僕


そのすぐ先の休憩所で、千鶴さんがオムツ替えをしている間にブログ更新です。

お茶もいただきました。

千鶴さんは実家に、ここで、電話をしていた。


そこから、おかげ横丁を散策です。

まあ、ここまで、悠聖ははしゃぎ回りで二人とも結構疲れている。


お豆腐ソフトを買って3人で食べます。

「おいしい、おいしい」と連発。

悠聖は、もっとくれとジェスチャーでアピールしていたww



★お豆腐ソフトをゲットした千鶴さん


その先にある赤福本店によって、お土産を買い、更に、店内でも食べる。

五十鈴川の見渡せる開放感のある席で、温かいお茶を飲みながら、のんびり。

だが、店を出ると、橋の方へと歩き出す悠聖。

止めるとギャン泣きしながら、道路を転びまわりおるww


なんとか、起こし上げると、しばらく歩いて、豚捨の串カツを千鶴さんと食べる。

結構うましです、笑

寝転がった招き猫の置物を見て癒されたりしながら、食事の場所へ向かう。

『とうふや』というお店へ行きたがっている千鶴さんだったが、11時からかもしれないので、すし久というお店へ。

建屋には宇治橋に使われていた木材が再利用されているらしい。

店員さんに、めっちゃ相手されて喜ぶ悠聖。

食べている時に「はやく食べなよ」と急かしまくっていたら、ここにて、千鶴さんブチ切れですww

悠聖は五十鈴川を見て喜び、窓を開けたり閉めたりするので、止めるとギャン泣き。

疲れるぜ……。



★すし久で食事を待つ千鶴さんと悠聖


なんとなく機嫌の悪い千鶴さんと3人で車へ向かいます。

途中でタバコを吸ったら、千鶴さんが、またまた怒っていた。

駐車場の近くのお店で『おかげ犬サブレ』というお菓子が売っていて、可愛いので購入する。


荷物を載せると、煙草を1本吸って、次の目的地『金剛證寺』をナビで設定して、出立です。


≪たぶん、続く≫



伊勢神宮―ウィキペディア参照―

 伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。
 
 正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。

 他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。

 神社本庁の本宗(ほんそう)である。


 二十二社(上七社)の一社。
 
 また、神階が授与されたことのない神社の一社。
 
 古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。
 
 明治時代から戦前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

注目すべき老師との出会い④

2014-10-13 12:47:51 | 小旅行
車へと戻る道で祭り神輿を担ぐ大人と子供、僧侶の方々。

笑顔で清めの塩をまく。

おそらく家族なのだろう、楽しそうに会話をして手を振る。

日常の一シーン。


車へと戻ってどうしようか考えた。

カフェに前日電話をしているので、翌日の法話があるか確認しよう。

母親が心配しているので家へ帰らなければならないが、この、時間は、自分の時間としてやらなければならないことがあるのだ。

またナビで、カフェへと向かいます。

丁度おなかも減っていたので食事をしようと思っていましたが、ケーキのカフェでした。

焼チーズケーキとホットコーヒーを注文する。

しばらく落ち着いてから「昨日電話したものですけど、明日の予定はどうですかね?」と聞いてみる。

「あ、今日こられたんですか?」

「ええ、今日は、あの、朝の座禅会に参加してきました」

「そうなんですね、明日はあると思いますが、一応、聞いて見ますね」

と言ってくれました。


老師の語録が本棚に置かれていたので、読んでみる。

どうも、老師のお父さんも有名な方らしく、その新聞記事か何かの切り抜きがファイリングされていた。

パラパラと眺めているとカフェの方が「これ、もらいました」と老師の言葉が書かれた小さなパンフレットのようなものを見せてくれた。

「いや、ないです」

「じゃあ、あげます」

「ありがとうございます」

と、いうことで、それを読みながら時間をすごす。


しばらくすると老師に聞いてくれたようで、今から会って来たらどうですかと言われました。

「え!? それは、ちょっと一体一は勇気が・・・・・・汗」

「そんな怖い人ではありませんから、大丈夫ですよ」ニコッと優しい。

「あ、じゃあ、行ってみます」

「そうしたら、明日も来てもらっても大丈夫ですし、台風が不安でしたら、帰ることもできますね」という、なんという親切心!

これぞ仏の心ではないのだろうか。


ということで、予想外の展開で、その日に会うことになりました。


またもやナビで設定して向かいます。

お寺へ着いて、お邪魔すると奥様が出て見えていたので「あの、老師が会ってくれると聞いたのですが・・・・・・」と超テンパッタ状態で、話します。

「ああ、そうですか」と言って「老師」と中へ入られます。

「どうぞ」と呼ばれたので、恐る恐る中へと入らせていただきます。

縁側にテーブルと椅子が2脚置かれており、そこに案内されました。

奥様がお茶を出してくれます。


「あの、悟りについてですが」と本題を切り出しました。

そのあとで2時間半くらいの会話で様々に教えてくださり、帰りには、DVDも貸してもらえるという恐れ多い、というか、めちゃめちゃ優しい人でした。

しかも車まで見送りに来てくださって「お気をつけて!」と言ってもらいました。

なんという親切心!

しかも突然、なんの約束も無く、ただカフェに現れた、この僕に、この心遣いと、しかも、僕の人生での最難関の疑問であった、真理についても諭してくれるという。

正に老師!

あまりの感動に、我を忘れてしまいましたw


要するにスッキリとして、問題が無く、特にやるべきこともなくなるという、ただ、この生かされている自己であるしか、元々ないのだという、そのところです。


僕が聞いた主なことは、

無我とは何か。

死の恐怖とは如何に克服すべきか。

この2点が個人的には主な疑問でしたが、もちろん会話の流れの中で、この問題を切り抜けていくことが、目的でした。

様々な話しをしていたので、正確な記憶はできていませんが、その話をしている時に、普通に話している、その話しているだけのときがあります。

あれ?

いま話しているだけですよね?

老師「そうだ」

僕「理解しようという働きがなければ、そこですよね」

老師「そうそう」

僕「てことは、何も問題はないということですか」

老師「そうそう、悟りだ、なんだって、全部、考え方の世界じゃない」


そういう認識が働く前に、もう、あるじゃない。

生まれてからずっと。


縁によってあるんですね?


そうそう、お釈迦様が言ったことは縁によってあるってそれだけじゃない。

縁起って言うけど、そこがね。


ということは認識がこけたらそこだけってことですね。


そうそう。

思いも、ただ起こっているんじゃない。


え? 思いもですか?


そうそう、それを自分の思いだと思ってる。

自分の思いだと思うから、良いとか悪いとか判断してるんじゃない。

ただそれだけのことじゃない。


じゃあ、この外の世界に証されるというだけではないのですか。


思いは難しいからね。

とりあえず、5感のことを言うわけで、最初はね。


思う前に思いがあるんじゃない。

それに対して、いいとかわるいとかやってるわけでしょう。


はい。


ということは、何もしないこと?


そうそう、この機能は機能のままにあるんだから、それに手を加えない。


なるほど!

腑に落ちましたw


めっちゃすっきり爽快です。


悟るも何も最初から悟ってる。

それが僕の最終回答です。

ああ、すっかり、その、解けましたw



<おわり>

注目すべき老師との出会い③

2014-10-13 11:53:16 | 小旅行
禅道場を出て仏像の間に戻ると、皆さん、拝佛をされてお経の本を手にされます。

そのあとで整列をして、読経。

僕は家が天台真盛宗なので、作法が、かなり違います。

周囲の人の真似をしながら、やっていく。

心が真摯な状態へと導かれていきます。

あ、般若心経の読経はあったので、これは同じだなあと思いました。


みなさん真剣で清々しいお姿に見えて神々しいです。


読経を終えると、お茶とお菓子をいただきながらのお話です。

何気ない会話の中にある、朗らかさ。

心が迷いの中にあらず、スッキリとしている様子がわかります。

僕も少し話しましたが、聞いているだけで、楽しめる。

ある年配の方は言いました。

「僕もね昔は悟りたいと思ってたよ」

自然に口をつく会話の流れの中の、その空気感がとても感じられる。

住職さんらしき方が「だんだん聞くことがなくなってくるんだよね」と言われました。

これという概念ではなく、そこにある、そのもの自体の流れが、ある。

あとで聞いた話では、この方は、老師の息子さんのようです。


石でもなんでもね。

人間の心が触れたら、意識があるとも言えるんだよね。

花でも、自動ドアでも、生きていても生きていなくても。

心が触れたら、そこに命が、触れ合いの中にあるんだよね。

可愛がってあげることだよ。

可愛がってあげることの中に、生命があるんですよ。


全体的に、そのようなお話しでした。

ある男性が「今日の話は深いねえ」と笑っていた。

このところ遠方からの参加者の方がくるようで、その人たちがお茶の時間の話は「雑談ばかりでつまらない」と言われるそうです。

確かに、普通の日常に有る会話ですが、その中にある、普遍的な触れ合い。

円と円で繋がった、この、人と人があって話しをする。

ただ一緒にいるだけで、ふと、会話を交わすだけで、内容は問題にされないのである。

思考の世界に入ると「それがどうした?」となってしまうだけで、本来は、どうしたも何も無く、ただ触れ合って生きている瞬間の楽しみなのだ。

そこしかない。


お茶の話が終わると散会となり、僕も部屋を出ました。

仏像の写真や、道元さんと如浄さんの出会いの像を撮る。

お寺の門を出ると地蔵さんが6体。

にこやかに

なごやかに

さわやかに

ゆるやかに

すこやかに

やすらかに

と、足元に刻まれている。

写真を撮って、嫁様に送信する、笑


お寺をあとにするとナビで銭湯を検索して入りに行きます。

千鶴さんに電話をして、衝動的な旅の全層を語るw

彼女は、基本的に優しいので、まあ、受け入れてくれることが多い。

そのあたりで負担をかけているのだろう。


お風呂に入ってコンビニで食事を買います。

車の中で、どうしようか考えてから、方向寺へと行くことにしました。

そこは17年前に、このような問題を考える契機となった場所ですし、この現在の、状況では丁度、行くのに良かったのです。


30分ほどで到着すると、お祭りがやっていました。

たまたま来たのが、お祭りの日というのも、いいなあと思います。

そのまま歩く。

500羅漢像というのがあって、山の中に、地蔵さんが無数にあります。

なんとなく神秘的なイメージ。

お寺へ着いて拝観料400円で中へ入ってみる。

達磨さんの像や、様々文化財の展示をしていました。

お釈迦様の像を間近に見られる特別拝観がされていて、近くからボーっと眺めていました。

歩く。

無言で歩いていると花火がドーンと鳴りました。

ドーンとなる、その音が、なにか祝福してくれているように感じてしまう。


スリランカから委譲された仏舎利が収められているようで、拝みます。

高きところから山を眺める。

朝から座禅等をしたからか、心が静まって、なにやら清々しい。

お祭りのために、お坊さんや、学生さんや、雅楽をされる方々など、たくさんの方がお寺に見えているようでした。

一通り、歩いて還る。

昔、セミナーを受けた研修センターがどうなっているかを見てみようと思い、階段を上ると、そこは!

更地だった!!!!

なんと、無くなっているのだ。

ああ、ここだったかな??

と思ったが、石垣だけが残っていて、それは、その昔、そこで瞑想した石垣ではないか。

石垣だけが残っていて、消失しているとは!


これを見たときの、もう、これで、恐らく、僕は、この疑念からほんとうに解放されるのではないかと思いました。

何かの縁の流れを感じてしまうのです。


黙々と考えながら山を降りて車へ向かいます。



<つづく>

注目すべき老師との出会い②

2014-10-13 10:51:30 | 小旅行
衝動的に家を飛び出すと、コンビニでお茶を買い、Yくんへ電話する。

時間があいていたら一緒に行こうと思ったのですが、大変忙しい状況です。

神事に関する仕事の準備で、いろいろとやることがある様子でした。

ガソリンを入れて、ナビで禅寺付近へ出発します。


10月12日、日曜日の朝に座禅会があるという情報を見たので、それに参加しようと思ったのです。


ドライブしていく間は、様々な、過去の出来事を追いながら、いい気分です。

ひとりだと寂しくなるかなと思っていましたが、案外、そういうこともない。

逆に構われなくなること、日常からの脱出感があって、楽しい、楽しい。


2時間半ほど走って、目的地周辺の市街地で食事を楽しんでから、深夜に寝ます。

車中泊ですね。

5時半ごろにおきてきて、お寺を目指しますが、ナビの設定を間違えて少し迷う。


お寺が見えてきて車を止めるが、朝早すぎて、ほんとうに座禅会が開催されるのかなとか、いきなり連絡もなしで行っていいものなのかとか、もしかして一般の人ではなく、その宗派の人しか参加できないのではないかとか、とにかくドキドキしてしまう。

一応、ここであっているのかを車を降りて見てくることにした。

入り口を見ると○○寺とあり、間違いない。

その横に『仏道とは自己なり』と刻まれている!

うわっ、きた、コレ。

かっこいいじゃないかああああああああと痺れてしまう(笑い)

しかし、入り口は工事中のように止めてある。

うーん、やっぱり開いてないのだろうか??


一度車に戻って、コンビニへ行き、トイレを済ませてコーヒーを買う。

座禅中にトイレに行きたくなったら不味いという恐怖心があったのであります。

とにかく、この時点で、半端ない緊張状態にありました、笑


お寺へ戻って恐る恐る、中へと歩いていく。

うーむ、不審者だと思われたらどうしよう・・・・・・。

一般人は参加不能だったり、連絡もなしはさすがに不味いよなあ。

と、横見ると、車が2台連れ立って走ってくる。

あ、これは、禅会に参加する人たちではないだろうか。

よく目の前を見ると、大きな駐車場があるではないですか。


どうも僕はお寺の裏に止めてしまったようで、入り口は別にあったのでした。

禅堂らしきところから、女性が歩いて見えたので「おはようございます」

「あの、座禅会に参加したいんですが・・・・・・」

この時点で凄まじく、挙動不審な僕(苦笑)

MAX緊張じょうたい突入中であります!

「あ、こちらですよ」と門の向こうを指してくれる。

「あの……一般でも大丈夫ですか??」

「大丈夫ですよ」と向こうへ歩いていかれます。


おお良かった!

お寺の禅堂の入り口に立って中を覗き込む僕。

誰も居ないのかな?

ガラガラと扉を開けて中へ入ると、仏像の間です。

右横の部屋の端のほうで、寝転んでリラックスしている男性の方が居る。

これは、もしかして、そんなに気を使わなくてもいいのかと思い、賽銭箱の横で胡坐をかいて座っていた。


すると!

あとから見える方々が、みなさん、礼儀正しく拝仏をして浄銭をする。

しまったと思ったが、まあ、あとからしましたw

次々と人が見えて、初めての女性2人も来て見えるようでした。

僕はなにをしたらいいのか分からず、ぼけっと座っている。

みなさん、歩いて奥のほうへ行っているが、トイレだろうかと思っていると、親切な男性の方が「はじめてですか?」と声をかけてくれた。

「あ、はい」

「僕が説明するので着いてきてください」

「ありがとうございます」

おお、救われたと思いましたw

で、拳とパーを胸の前で合わせてくださいと言われたので、そのようにして歩きます。

階段の前で「ここからは、しゃべれませんので」

「あ、はい」

これは、本格的な雰囲気になってきたなと思っている僕。


階段を下りて、禅道場が目に入ってくる。

うわっ、めっちゃ本格的な道場があるんだと思って、緊張します。

あの面壁して座る、よく映像でしか見たことがない、座禅場です。


前の男性の所作を真似して礼を尽くして、座る場所へと昇る。

座布団を2枚重ね合わせた上に、丸い枕のようなフワフワしたものがある。

その上に座るので、家で座布団を2つ折りにしてやっていたときよりも楽である。

楽というか、気持ちいいくらいだ。

「左足を右足に乗せて、左手を右手に乗せて、あと薄目で」と男性が教えてくれます。

家でやっているときは、目を瞑っていましたが、教えられたとおりに座ります。


朝の風と鳥の声が気持ちいい。

いつもは感覚に還るという循環リラックス法をしていましたが、ここでは、なにも考えずに、ボケーっと座っていました。

静けさが凄まじい。

静けさに触れるというのは、このことかという深まった静けさ。

何の人間の動きも無い。

自然、そのままの静けさが、心地いい。

心地いい。

その気持ちよさに触れながら、ボケーっとしていたら、鐘の音が鳴る。

ああ、ここに触れる。

この、ここに鐘の音が触れるのである。

静けさと鐘の音が触れあるこの己の、そこのそれ。


ふっと振り返ると、人数が凄く増えていて、こんなにたくさんの人がいて、あの静けさかと驚嘆する。


例によって、前の人(今度は女性だった)の真似をしながら道場を出ました。



<つづく>