新年明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます
えー、風の時代らしく、なにやら騒々しい2020年が終わり、新しい一年が始まりましたね
私はツイキャスに夢中になっていてブログの存在を忘れておりましたが、正月くらい更新しておこうかなと思います
今日は疲れていたので朝から布団でゴロゴロしながらYouTube視聴していました
円覚寺の横田南嶺老師の花園大学での講演で臨済のエピソードなどの回も見ました
あそこで、仏とは己自身なのだと解説がありましたが、この仏という言葉、どのように受け取ったらいいのかがイマイチわかりませんね
仏というのは姿形のない、本来、空性であるのが己の本質なることなのか
それとも、この六根の自然な働きのことを仏と言うのか
なんとなく後者の意味っぽいなとは思ったのですが、それで迷いが晴れるというのが、んー、どうしてだろうとわかりません
まあ、修行したことないのだから当たり前ですが、、、
馬祖と懐奘の瓦を磨いても鏡にはならん、坐禅して仏になるのではない
本来衆生皆、仏なのだ
それに気がついたら安心なのだというのが、禅の世界の基幹にあるとして、ふーむ、よくわかんないw
仏とは何なのかと聞いて、叩かれる
お前自身じゃないか!
と、
うーーーーーーーーむ
そうは言われましても、欲に塗れ、毎日、悩みや不安に、怨念に恐怖に縛られるところが抜けるわけでもないわけで、素人には難しいことです
私が、このところ、たまに実践しているのは、注意を、頭の世界から体に戻して、背中の中央部から首のあたりに、疼いている感じのものを消していくという作業です
よくわかりませんが、この背中の範囲から世界を包むような意識を発現していると、恐怖がスーッと落ち着くように感じます
ちょうど額の前方、斜め上空から光が増す感じと、この背中の疼きが昇華して、世界を包む感じが、同時に起きている感覚になっている
てなことで、新年早々、わたくしの独特の話をしてしまいましたが、今年も、たまあーに更新したいと思いますので、よろしくお願いします