豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

ハニカミ

2014-08-31 12:04:30 | 日記
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こんにちは!

明るい太陽のように輝きわたる最高の皆様!


本日は11時ごろまで寝ておりました豊田です。

朝起きてトイレと洗面だけ済ませてから、いつものように座禅を1時間しました。

もう、ほんっと酷い!

妄念、悪想念、過去の痛み、昨日の愚痴、ありとあらゆる油のようなねちっこいアホ思考が我が魂を取り巻いてワイワイがやがやと攻めてきやすw

集中、集中と体に帰ると、今度は感覚の麻痺、さらに姿勢の不自然さ、内的意識バランスの崩壊を眼にしなければならないという・・・・・・狂気!



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しかし不思議なことに忍耐して続けていると静かな、真摯なる心、ハートが癒されている状態に移行していきます。

お風呂で体を流すように、心の鏡の曇りが取り除かれている。

これはもう習慣にしなければいけない。

全員が毎日、座禅組んで、心の曇りを払って精気を満たせば、アホナ嫉妬心で攻撃するようなことをしなくて済むのにね(爆笑)

深刻な顔したサラリーマンさんたちは大嫌いなんだよね、昔からwww

ごめん、苦笑。


座禅を終えてから、バガヴァットギーターの読書3つの章。

タイトル忘れたw

至上神への信愛こそが全てだ!

ここに現れた物資性の源泉は神なんだよ。

それを忘れて、自分が行為していると錯覚しているのだ。

まあ、それも楽しいんだからいいんだけどね。


僕のように若い頃からスピリチュアルに魅入られてしまった人が、解決に困ったときに、このような情報に触れると、己の疑問が解放されて、社会に帰れる。

僕が感謝する人たちは、皆、同じようなことをしていたんだ。


出会ってきた様々な人たちが、それぞれユニークな仕方で僕を導いている。

感謝以外のなにもありません。

ありがとう×100万回言っておきましょう(爆笑)

出会ってくれてありがとう。


結局、大切なものは心、ハートの純粋さなのです。

純粋な心さえあれば、太陽のように魂が晴れ渡るのです。

そして神は晴れ渡った魂が空いっぱいに広がったときに微笑むのです。

やあ!

ひっさしぶりだねー。

という具合にw


そして魂は絶対に、それに気がつきますよ。

ニッコリ笑う、白光の優しさと、静粛の安心感が満ち満ちているのだから、気がつくに決まっています。

これは幼い頃には常に知っていた状態なんですよ。

小学生は、皆、知っていたりするのですw

理論哲学を知らないから、言葉にして、説明はできないだけなんですよね。


自我を身に着けて、この先にある、生命に帰り、更に社会に帰り、このハートを実際の眼の前にある真の現実(リアリティ)に定着させていく。

ここは非常に、非常に難しい。

みんな簡単だと勘違いしていると色んな人が言ったり、本に書いてあったりします。

あの伝説の名著、バガヴァットギーターにも書いてありますよ!

もちろんグルジェフさんも言っています。


このことに気がつくのは1000人に一人で、更に、そのうちの1000人に1人が至上の目的地に到達するらしいのです。

100万分の1の競争率(爆笑)

でも実際は、ぜんいんが、そこにいるんだね。


人を見るときに、その人の悪想念を見るのではなく、生命と光を見なくてはならない。

なぜなら、あなたが出会う全ての人が悪想念感染しているからだ。

地球は悪想念の惑星なのだ。

しかし、悪想念を見ずに、魂を見たら、悪想念は逃げ出す!

いたたまれなくなって、その場所にいられなくなる。


恥ずかしくて居心地が悪い、くすぐったい気持ちにさせてやるのだw

それが優しさでしょう。

え?

なんか恥ずかしいなあとなるのです。

あなたの優しさに触れると僕はいたたまれなくなるのです。

頬を染めて、苦笑いw


これの反対バージョンをやれば、あっという間に世界は笑いに包まれるでしょう。

たぶんw

相手にくすぐられたら、くすぐってあげるのです、心臓にある魂を。

深刻な顔してるアイツは、悪戯に笑ったのではないですか!?


恥ずかしそうに、ハニカミナガラネwwwww


このときの心の中での合言葉は「照れるなよ!」です(爆笑)


と、今日の妄想劇場でございましたあ。

純粋さに勝るものは、この世界、物質世界にはあ、り、ま、せ、ん!!!!

魂の目覚める方法教えます(無料でっせw)

2014-08-30 06:22:01 | 日記
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おはようございます。

自然なる本能と感情に、智慧の光を注ぐことで、清浄なる魂を実現した皆様!


本日は4時過ぎに起床して座禅1時間、無事に終えました豊田です。

いつもの如く、echoとExcellaを味わいながら『バガヴァットギーター』の読書も楽しみました。

真の離欲の章と瞑想のヨーガの章。


座禅も仕事も昨日から妄念の世界が渦巻いて、簡単に迷いの心に揺さぶられる状態が続いています。

真我の安心感にスイッチが入るのは思考の力でも心の決意でもない。



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何かをプラスしようという意識は、迷いの心を対象に縛ってしまい、逆に、肉欲と切望の世界への埋没を出現させる。

どのように振り払ってみても、この取り巻くような欲望妄念をさっぱりさせて、清浄なる魂の世界には入れないと思ってしまうくらいである。


しかし沈黙が支配したときは、このスイッチの転換が起こるのである。

この沈黙は行為を捨てることである。

感覚と対象との触れ合い、また、愛情欲求、つまりは本能と感情の自然なる切望が、心を迷いの中へと誘っているのだが、この、活動から一歩はなれて、客観視することで、沈黙の中へと入る。

魂とのリンクができると真摯なるハートが安心の状態へ解けるのでハッキリと分かる。


サットワ(清浄)とラジャス(刺激)とタマス(怠惰)の物質の三性質の働きが胸に入って、無意識のうちに心を支配している。

悪想念と迷い、怒りと高慢、欲と憂いが現れたら、ラジャスかタマスのどちらかを特定させて、それを心で呟きます。

ラジャス、ラジャス、ラジャス・・・・・・。

タマス、タマス、タマス・・・・・・。

そうすると少しだけ心の隙間ができるので素早く大空からの意識光を眉間に集めて、鼻腔を通過する空気との感覚接点を注視することで、迷いを断つ。

この際にサットワと呟いても効果があります。

このサットワという日本人には馴染みのない言葉が意外に良かった。


自らの心を惑わす、悪想念の力を減退させるには科学的に、客観的に自己を観察している状態を維持する努力がいります。

シンプルに表現すると「体と心に気をつけている」ことが必要です。

どのように悪想念が働いているのかというと、欲望を基点として、自己を幸福にしようという発想からですね。


どのように展開するかというと、見るものによってです。


目が対象と触れ合って感覚機能が働き、これらの対象の刺激を味わって『自己満足』したい、自己を幸福にしようと思い『あれがほしい』または『こうなってほしい』と心が迷走しだす。

どうやって?

このように『方法を模索する』中で悪想念が沸いてきます。


これらのバージョンは様々にあって、例えば『他人の不正に怒る』というバージョンもありますが、この場合も、自己の幸福が阻害されているという欲心が深く省みると必ずあります。

するとまた、悪想念が沸いてきて、怒りと憂いに包まれているわけです。


目にするものによって幸福になりたいという欲求が基本で、この欲求が叶えられないので、あれこれと妄想したり、後悔したり、恨みつらみを持っていたりするので、悪想念は、その弱点に起因して沸き起こっているわけだ。


こういった人間の諸活動は実は、自然現象なのである。

自分が独特の行為をしていると皆、勘違いを起こしてしまっているのだ。

本能(感覚)と感情(好き嫌い)は生活習慣の中で違いを生み出したので、まるで、人と違う自分が存在しているかのように思える。

この本能と感情に埋没して、本来の自己を見失った。


この問題を切り抜けることは、人類にとっての最重要課題であると思われます。


大空に意識を合わせて、そこに理解力という眼が働いていると想像してください。

丸い意識が、眼が、宇宙全体に、大空に広がっている。

この大空からの視点、または感覚、意識が、自分です。

この自分が、体と外界の区別なく世界を統一的に見ているのが客観意識です。

そうしてこの天の意識が、自分の体の眉間の部分に光を、意識光を照り返していると想像してみてください。

この光が、呼吸の接触点、つまりハートから大空に向かって展開して、その展開された世界が、今、あるのです。


そして、この、呼吸の接触点、鼻腔の空気通過の感覚と、吸って吐く、その瞬間にとどまる場所にある実体である魂は、この時点では眠っているのです。

しかし、ここで、現在自己意識、いつもは悪想念しか生まない、この自己意識が、この空気の接点に大空からの意識光を眉間を、また鼻腔を通して、見て感じていると、この魂が自分に気がつく瞬間がやってきます。


魂が気がついたら、今度は世界を見渡します。

光り輝く、神の世界が現れたら、これを見ているのは誰か。

この夢を創っているのは誰か!


眠っている魂は、今ここであると同時に、眠りの中、夢の中、また様々な次元、瞑想の中、神の中、にあり、同時に、これらの全てを越えていると気がつくはずです。

眠りの意識は起きている間にも現れているのです。

つまり、人類は眠っているということに気がついた人は、もう、覚醒することに疑いはありません。

この眠っているという認識は、非常に、非常に重要なのです。


と、まあ、アホが妄想しましたwwww

一期一会を生きている

2014-08-29 07:24:21 | 日記
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おはようございます。

精神統一の火の中に諸々の悪業を消失させた清涼なる皆様!


本日は6時ごろまで寝ていました。

座禅1時間をして『バガヴァットギーター』の知識のヨーガの章を読む。

時間がないのであわててブログを書いています。


今日の座禅は凄まじく連想が渦巻いて、集中が途切れました。

昨日はとても深く入っていったので、その反動も大きくなるのだろうかと想像します。



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グルジェフさんだったか、キリストさんの例えで、きれいに掃除された家に悪魔が以前よりもたくさんの仲間を引き連れてやってきた話があったと思いますが、継続的に自己を沈黙の中に入れないと、すぐに、感覚の対象との接触に心奪われて、妄念と執着心が以前よりも酷くやってくるようです。


昨日はYくんが地底人伝説とUFOと中観についてのメールをくれました。

中々、おもしろいですね。

この世界には知らないことがたくさんありますが、常識というものは古い考えに縛り付けられています、このような状態から逸脱したいという願望が、様々な伝説に繋がっているのでしょう。

これは奇蹟を求めたウスペンスキーと同じとも言えます。

「この現実の薄い皮膜の向こうに事実が存在することは疑いないと思われた」とグルジェフさんと出会う前の思考を彼は表現していました。


様々な秘伝や伝説は、人間の真我への希求の表れではないでしょうか。

この法則のうちにある人々は自然なる活動の中で、神への道を歩んでいるわけですが、しかしながら、神は、この現実を食べて生きているわけです。

体験というものには計り知れない価値があり、こういう意味で欲望にも、もちろん価値があるわけですが、もしも神への合一という道を行くのであれば、感覚欲が弊害になるというわけですね。

だから生きる上において感覚と対象との接点に欲望を喚起するのは自然なことですし、また、神が実現した人が感覚と対象との接点に歓喜するのも自然なことなのです。

この不自然なる感覚の超克をしなければならないのは、真理を見出したいという願望が他の願望を凌いでしまった、絶望した人々です。

社会の可能性、世界の進歩に期待するのであれば、そうではないと考えます。


正に奇跡的な仮和合の世界で、終焉を知りつつも、花火としての一期一会を楽しもうというのは日本文化の伝統的価値観で、仏教の解脱の境地で生きる素晴らしい世界観です。

禅は、この一期一会の世界を知りつつ楽しんでいるのです。

無と有は渾然一体となって、執着心だけが、除かれているというわけだ。

まるでゲームを楽しむかのように、真剣に、また気軽に、生きていこう。

この人生は、目の前の真実は、神様からのプレゼントなのだ。


2度と再び送ることのできない、貴重で、神聖なる、人々のドラマを我々は身をもって体験しているのである。

苦から逃れたい人が、絶望した人が、道を歩み、真理を知ったら、再び社会の中で安楽に過ごすのである。


悟ったら酒も煙草もねーちゃんとのえっちも、みんなおっけーやでえwwww
BY『宇宙一いい加減な博士』(爆笑)

ハートの目覚め

2014-08-28 05:24:55 | 日記
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おはようございます。

胸の奥底にある真摯なる心にあって、大安心の境地に達せられた皆様。


本日は、なんと2時半過ぎに目が覚めてしまいました。

時間に余裕があったので、のんびりと座禅1時間を済ませました。

そのあとでバガヴァットギーターのカルマヨガの章をウーロン茶と煙草、6Pチーズを食べながら読みました。

更にはブログめぐりですね。

阿部敏郎さんの『リーラ』をはじめ、いくつかのブログをほぼ毎日読んでいます。

色んな人の意見が読めるブログってホント素晴らしい!



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座禅で深く入っていくと、タイミングによってはストーンと心に落ちるときがきます。

今まで頭で考えていたゴチャゴチャした混乱から脱出して、透き通るような安心感に包まれています。

ヴァイブレーション(振動)が違うチャンネルに入ったかのようです。

ここにあるとき、何かを手に入れようとか、こうでなくてはとか、自分を変えなければ等々の努力がまったく必要ないと感じますね。

もう大空と魂のコンビネーションって最強じゃねえの?

と、いう感じで、ハートが全体に向かって完全開放されまくっています。


これは完全なる意図の放棄です。

例えば沈黙をキーンという音の中で感じている場合、それを追いかけようという意識が働いているのに対して、ハートが開いている場合は、静粛自体が、そこにあるので、無理に追いかける必要がないのですね。

己自身こそが沈黙であり、静粛になっているからです。

また追いかけていた開放感を手放すことにもなります。

開放感が、もう既に、ここにあるのだから、もう開放感を追いかけないのです。


心の奥にとてつもなく落ち着いた感覚があって、受け取る印象はまっさらな新鮮さがあって、大空から降り注ぐ優しい光が、全体を包み込んでいるようです。

求めていた安心は、ここにあったのだという感覚がします。

遂に見つけたぞー、という感じでしょうか(爆笑)



これが言語では描写不可能と言われる、真我の味わいではないのだろうかと想像しています。

大空とハートを繋ぎ渡す、この突き抜けた空気感。

そう!


世界の空気感はとてつもなく違い、情緒的で親密な状態になっている。

まるで親密さの温泉に浸っているような感覚である。

体も心もポカポカと火照っていて、それでいて清涼なのである。


この夢の世界を演じている我々は、常に『忘れ去られた私自身』に見守られているのだ。

魂の見る夢、その夢の世界にいる神々の戯れ。


大空とハートを繋いでいる、このヴァイブレーションの中に突入しよう!

きっと底知れぬ愛を感じることだろう。

これは私自身の魂(ハート)と宇宙を貫いた目覚めた真我と自我との融合なのである。

この融合があって初めて、自我は嘘と恐怖を手放すことができるのだ。


これがなければ絶対に無理なのです。


あなたは理知的な頭ではないし、体験の中心点である体でもない。

喜怒哀楽の感情でもないし、超越的自我意識でもない。

観照者でもないし、神でもないし、全体意識でもない。

この世界にある、認識できる、何一つとしてあなたではない。

結局、この世界を創造して、存在させているのは、あなた自身のハートなのだ。


この普遍的、夢の世界に充満している、光と生命は『あなた』という源から創造されて、維持され続けているのである。

この親しみのある、どこか懐かしい、大安心の根源であるハート。

この光と生命の源こそが、大いなる神であり、あなたの魂は、その一部なのだ。


そしてこの神の世界の光を世界で創り出しているのは実は、あなた自身なのだ。


悟った人は「私が消えて世界も消えた」と言う。

が、しかし、残ったものもある。

世界も私も消えたのに、残るものがあるのである。

それが、魂であり、親密なる空気であり、眠りの中の真の自己である。


朝、目が覚めても人類は眠っているのだ!


すやすやと眠りながら、魂の描く夢の世界を冒険しているのである。

だから別に目覚める必要も無いのだが、苦しみが大きくなったら、目覚めてみるのもいいかもしれない(爆笑)

ほんとうは真理も修行もいらないのだ。

必要なのは、この自覚だけである。

空の向こうに広がる意識は、夢の大本である魂が展開させている。

そして宇宙大に広がった意識と人間の魂が繋がったとき、魂は自らに気がつき、この魂が世界と繋がったときに、夢の向こうの自己(彼岸)を知るのである。


この魂の目覚めのことを指して、人類は覚醒をしたと言うのである。

純粋ハートへ向かうのだ

2014-08-27 07:14:13 | 日記
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おはようございます。

心の奥底にある憎悪を払拭して清涼なる境地に立つ皆様!


本日は6時前に起きました豊田です。

座禅1時間も無事に終わりましたよ。

今日でそろそろ1ヶ月、毎日続いていると思います。

さいきんは過去の痛みからくる妄念の解放という気がしますね。

もちろん姿勢や感覚への注意も大事ですが、これを妄念が妨害するので、また眠りが妨害するので、この痛みと憎悪を手放さないといけません。



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もう完全に忘れているつもりでいたことが、座っているとモヤモヤと浮かび上がってきて、その過去の痛みの次元へと夢のように誘って行きます。

すると現在自己意識は眠ってしまい、感覚と姿勢への注意集中ができなくなる。

恐らく普段の生活でも、このような状態だと思います。

ずーっと体に帰って心を我から開放するよに努めると、この傷はフワフワと浮いて消えていくのが観察されます。

それに伴って感覚が回復するのとよく似た振動で、心が開放されていきます。

感覚が回復するときも、新鮮な力がそこに流れ出しますが、感情の場合も同じような経緯を辿っています。


どんどんと悪感情を吐き出してしまいますが、とんでもなく蓄積されてきた、この「恨みつらみ」パワーはまるで湧き水の如く、どんどんと噴出してきますね。

感覚と姿勢の回復がジワジワと進むように、こちらも、相当根気強く、毎日、毎日、洗い流さなければ、曇らぬ心にはなりそうにありません。


また感覚への欲望が毎日、復活していきます。

自己の純粋なるハートに安住すると、何もかもが新鮮に感じられますが、その新鮮さが、感覚の欲求を増大させるのです。

また心の愛情欲求、怒り、恐れ等々も、すごい勢いで、起こってきます。

そして周囲を見渡せば、皆、一様に、愛情欲求と、恐れと嘘で固められた偽の人格を表出しているではないですか。

もちろん本人は、そのような自覚などないですが、エゴの虚栄心と自己愛が、根本の行為というのは、即座に分かります。


新鮮なる感覚が、自分の欲望を刺激して、また、この周囲の人々の自然なる振る舞いが、自己を真理から引き離して、感覚の欲望、物欲、肉欲へと向かわせるのだ。

この単純なる戦いが、なんとも難しい。

結果を期待しない仕事をするように、義務として遂行するように強い思いを持たなければ、簡単に流されてしまいます。

一時的な快楽しか知らないのは、脳、つまり知性中枢だと思われます。

この司令塔が混乱して、感覚の快楽こそが、幸福の源泉だと思い込んでいる。

体や心は刺激を受けることで、一時的な錯覚状態に陥り、苦を快楽だと誤認識してしまうわけですね。


感覚の刺激を避けるために戒律があり、瞑想禅定を安定化させるために座禅があり、心を神へと結びつけるために念仏(マントラ)があり、智慧を身につけるために仕事がある。

これらの大本を支えるのは、全身全霊で神を愛することだ。

ここが揺らぐがゆえに、他の全てが、崩壊してしまうのである。

信仰心がまずなければ、他に費やす努力は、いい加減になるからだ。


今日こそは強い心でもって、現在を生き切ること実践しよう。

物欲・肉欲という巨大なる敵を倒すまで、邁進、し続けなくてはならないのだ。