豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

てきとー

2016-03-26 07:59:44 | 日記
おはようございます!

短文更新しとこうと思いまーす。

飲んで飲まれる豊田です。

ここのところは、南くんと、Yくんと、遊びながら、バーの人たちの草野球に参加したりしていました。

精神的には、すごーく、重い時と軽い時が、交互にやってきます。

昔の壊れていた時期のテンションが思い出される。

なんか、こう、正解とかないんだよね。

確かに空だけれど、実際、しっかり現実が、そこへ流れ込んでくるわけで、そこに、考えを当てはめていくと苦しいわけだ。

でも、大人になるにつれて、いろんな常識を間に受けて、純粋な精神が発揮できなくなる。

純粋さ、が、あれば、なんでも楽しいし、失敗も苦しいけど、また、笑える。

とか、思いますわ。

でわ、また更新しまーす。

てきとーにいこーww

鬱だぜベイべーw

2016-03-18 15:52:38 | 読者に人気の記事
そろそろ、更新いたしますw

えーっと、職場と家の往復以外に、ここのところ動いたのは、南くんとの飲みですね。

なんか、愛されすぎ、笑

あとは、千鶴さんたちのご機嫌伺いに、彼女の実家のある勢和多気へ。

なんか、嫌われすぎw

で、まったく帰ってくる様子が、ありません。

傷つきすぎた。

まあ、お釈迦様なら、望みを捨てて、煩悩の矢を抜きなさいとか、あるだろうかww

えーっと、あと、ファミリーレストランで友人と食事しながら会話しました。

まあ、いろんなひとが、豊田くんも、ついに、来るべき時が来たのだなあと思っているようだw


あんまり鬱なので、原始仏典に頼っている。

欲望がとか、認識作用がとか、書かれているけど、本来清浄な、その滅したものは、静けさ、沈黙のことだ。

でも、このような経典を読んで、大騒ぎする煩悩もあるw

執着は、無常に変せんする外界と内界に自己同一化していることである。

それが、頭と体だ。

この不二の世界から、出れば、そこが不動の滅であるが、そこは、認識不可能なのである。

あらゆる考え、あらゆる感覚の世界は、あるがままにあるのであり、それは、自然である。

これは、認識を通して気づくわけではない。

スッカラカンになれば、そうなのである。

スッカラカンは、わがものであるとか、こうであってほしいという思いが抜ける、相手にならなくなることである。

心の波が、静まろうと、騒ごうと、その先にある滅の、つまり無心の、そこは、安心である。

これは、難しくない。

ただのテクニックの問題である。

体から始めないといけない。

身体、頭、を見て、そして見ている、それを、つまりこれは内面のことだが、その内面を超えるためにら、目の前を利用するのである。

全部としてある。

その外界と内界の逆転、そのときに、それらの諸活動、の、いちいちから抜けている。

この力は、見る、気をつけている、そのようなものだが、それは、認識されない。

不可視のパワーが、この、向こう側の不動の滅へ運んでいくのだが、そこで、必ず、わかる。

て、また、意味不に書いてしまった。

まあ、嫁が出てって鬱なだけだろうなあ、笑

ほんでわ!

更新しとこ

2016-03-07 19:29:12 | 日記
こんばんは。

久しぶりにブログ更新しまーす。

今日は長男の悠聖が発熱したらしく、千鶴さんからメールがありました。

心配だから病院行ったら診断結果教えてねと、お願いしていたのに何も連絡がない、苦笑。

まあ完全に忘れられた存在と化している様子です。

更新が途切れてからは、自堕落全開の生活をしているので心痛が激しいww

座禅も読書もブログも計画も、何もしていませんが、まあ、それでも同じと言えば同じですね。

この間は、千鶴さんの様子伺いに多気へ行ったり、地域の合同委員会に参加しました。

あと、草野球の練習にも参加した。

まあ、呑んだくれも、激しいw

精神の面では、いろいろ思ったことがあるけれど、あんまり的を得たことが、書けない。

いいもわるいもないのだが、まあ、その辺のニュアンスは難しいだろう。

さっきはYくんの教えてくれたインスタというやつに登録したけど、写真を撮ることが少ないから使えるか疑問です。

なんか、楽しいことが、ないなあ。

まあ、ボチボチ、がんばるわww

でわあ!