・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんばんは!
大切な人たちの英雄として生きる最高の皆様!
本日は15時半過ぎに起床して、座禅1時間、無事に終えました。
そのあと『奇蹟を求めて』のエニアグラムの章を読みます。
ソとラの間のショック、ラソファの関係性、シの自動的ドへの昇華など、この辺りのオクターブとエニアグラムの矛盾点を理解するとおもしろそうです。
ソの不調和の解消が、シへのショックになるのだろう。
ミが浸透して、ソの地点で、このショックのミが合体している。
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つまり、印象を受け取った際の特殊な努力が、ミを問題の場所へ、つまり感情中枢へと運び、このソの地点で、最初のショックに対するミへのショックが必要となるというわけだ。
ソの不調和は、ドシ間のインターヴァルが短縮されている影響であって、このシは性中枢を現している。
そしてまたミファ間のインターヴァルは引き伸ばされており、このミは感覚(本能)を現している。
ここで新たなる印象というドを与えるのは、自己想起の努力である。
このドが、特殊な感情的影響をソまで運ぶが、このソの時点で、第2オクターブ、つまりショックのオクターブ(自己想起)のオクターブは止まる。
ここで次のショックが胸の位置で必要であるが、これは高まった本能センター、つまりミ12が感情的になっている状態での、高まった状態での、呼吸の接触点へのショックです。
これは個人的感情生活が、解消されることだが、ここにはシ12が関わっているのである。
つまりシ12、性中枢が、思考、感情と密接に関わっているので、ここに不調和が生じているのだが、これをショックが解消するわけです。
なぜグルジェフさんが、この種のショックに関して明確に述べなかったのかが、分かりますね(爆笑)
本能(感覚)と性(無感覚)の間に感情がある。
このバランスが、思考の連想に、また感情の罪悪感によって崩されているのである。
ここに与えられる2つの禅定と神への愛というショックが、これらのバランスの欠如を正すことで、人間は自己の内部にシ12を進展させ、これが新たなる生命を誕生させるのである。
この新たなる生命とは魂である。
であるからして、グルジェフさんは、人間機械には魂なんぞ、ないわい。
と、言ってのけたわけだ(爆笑)
確かに、自動的に、連想と悪感情、つまり悪想念汚染されている人格のみで生きている、反応的な人間機械には魂はないと言える。
実際はあるのだが、無いも同然だという意味でのないであり、新生とは、元々在る魂がまるで生まれたかのように心に感じられることを指しているのである。
つまり、グルジェフさんは現在自己意識の側、人間機械の側からの、視点で、道を述べているので、このような表現になっていくのである。
しかし事実としては、宗教の示してきた道と、矛盾しないのである。
ただ、理解があるので、この道を歩むのに、合理的に、科学的に、実際的に、進むことができ、それが『信仰心』だけを武器とする宗教にない部分である。
また神への信仰の下に生まれる狂信性、排他性、などの宗教における暴力問題に、完全に対応することができている。
ワークでは信仰心は必要とされないからだ。
自分の理解だけが、自分を進ませるとされるので、これは、非常に的確に、人間を導くことができるのだ!
しかし、僕は思う。
この道は的確に導くことができるが、理解するまでには、凄まじく時間がかかるのである。
神への全身全霊の愛、つまり、明け渡しは即座に達成させる。
それは、ここに放心することである!
解放することで、解放されるのが、最短の道なのだ!!!!
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ソとラの間のショック、ラソファの関係性、シの自動的ドへの昇華など、この辺りのオクターブとエニアグラムの矛盾点を理解するとおもしろそうです。
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つまり、印象を受け取った際の特殊な努力が、ミを問題の場所へ、つまり感情中枢へと運び、このソの地点で、最初のショックに対するミへのショックが必要となるというわけだ。
ソの不調和は、ドシ間のインターヴァルが短縮されている影響であって、このシは性中枢を現している。
そしてまたミファ間のインターヴァルは引き伸ばされており、このミは感覚(本能)を現している。
ここで新たなる印象というドを与えるのは、自己想起の努力である。
このドが、特殊な感情的影響をソまで運ぶが、このソの時点で、第2オクターブ、つまりショックのオクターブ(自己想起)のオクターブは止まる。
ここで次のショックが胸の位置で必要であるが、これは高まった本能センター、つまりミ12が感情的になっている状態での、高まった状態での、呼吸の接触点へのショックです。
これは個人的感情生活が、解消されることだが、ここにはシ12が関わっているのである。
つまりシ12、性中枢が、思考、感情と密接に関わっているので、ここに不調和が生じているのだが、これをショックが解消するわけです。
なぜグルジェフさんが、この種のショックに関して明確に述べなかったのかが、分かりますね(爆笑)
本能(感覚)と性(無感覚)の間に感情がある。
このバランスが、思考の連想に、また感情の罪悪感によって崩されているのである。
ここに与えられる2つの禅定と神への愛というショックが、これらのバランスの欠如を正すことで、人間は自己の内部にシ12を進展させ、これが新たなる生命を誕生させるのである。
この新たなる生命とは魂である。
であるからして、グルジェフさんは、人間機械には魂なんぞ、ないわい。
と、言ってのけたわけだ(爆笑)
確かに、自動的に、連想と悪感情、つまり悪想念汚染されている人格のみで生きている、反応的な人間機械には魂はないと言える。
実際はあるのだが、無いも同然だという意味でのないであり、新生とは、元々在る魂がまるで生まれたかのように心に感じられることを指しているのである。
つまり、グルジェフさんは現在自己意識の側、人間機械の側からの、視点で、道を述べているので、このような表現になっていくのである。
しかし事実としては、宗教の示してきた道と、矛盾しないのである。
ただ、理解があるので、この道を歩むのに、合理的に、科学的に、実際的に、進むことができ、それが『信仰心』だけを武器とする宗教にない部分である。
また神への信仰の下に生まれる狂信性、排他性、などの宗教における暴力問題に、完全に対応することができている。
ワークでは信仰心は必要とされないからだ。
自分の理解だけが、自分を進ませるとされるので、これは、非常に的確に、人間を導くことができるのだ!
しかし、僕は思う。
この道は的確に導くことができるが、理解するまでには、凄まじく時間がかかるのである。
神への全身全霊の愛、つまり、明け渡しは即座に達成させる。
それは、ここに放心することである!
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