豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

心の底からリラックス

2014-04-28 06:34:16 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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おはようございます!

命溢れる不思議の世界を冒険しているみなさん。

連休2日目は完全引き籠もりを達成した豊田です。

昨日は不可視の本をパラパラ読みながら、ゴロゴロ寝たり、ブログ書いたりしてました。

嫁様が久しぶりにメールしてきた(爆笑)


今、ブログ書き終わってデスクトップ見たら、何もしてないのに画面が変更されている!

白い渦巻きが黒い太陽に吸い込まれるような画像。

なんだか不思議だけど、勝手に画像が変わるのは怖すぎますね笑

まあ、恐怖に乗って開け放っておきますか(爆笑)


さて、本日は『リラックス』について書いてみたいと思います。

この言葉も僕は超勘違いしていたのです。

このリラックスというのは要するにストレスのない状態のことです。

安心していることです。

ですから、人によって安心できる空間というものには違いがあります。

ある人は家族との食事がリラックスタイムで、他の人はお風呂の時間、と違いますよね。

で、瞑想というのは『連想を止める』ことなのです。


人間には3つの連想が流れています。

身体、感情、思考の3つの連想が生まれてから、成人するまでに形成される。

そのあとはずっと流れっぱなし。

この中心点をどこに置いているかで、リラックスの意味が違ってくるのです。

身体中心の人は、身体を常に1番意識していますが、身体が1番分からない。

感情中心の人は、感情を常に1番意識していますが、感情が1番分からない。

思考中心の人は、思考を常に1番意識していますが、思考が1番分からない。


この連想のコアの部分を解放するとリラックスします。

身体の人は、身体を止めて、観察する。

感情の人は、思いを止めて、観察する。

思考の人は、比較を止めて、観察する。


意識の中心点を見いだして、そこを突くと、崩壊するのです。


重要なポイントは、連想は常に3つ流れているという点です。

しかし、この3つの例えば感情に意識がある人は、思いを通して身体、思考があるのです。

だから、思いを手放すと、身体、思考が『リラックス』する。

他も同様に、中心においた意識というものが存在するのです。

だから、自分の方法が、他人をリラックスさせないことは充分あり得るのです。

その人によって、方法を変えないといけない。


しかし、これを考えに入れても、最終的には『放心』になります。

明け渡しするということですね。

トータルな明け渡しは究極の瞑想です。

最早、自分はいない。

最高度にリラックスして純粋な美しさが爆発するのです。


僕は『思い』を中心に生きている人間なので、他者との繋がりに問題を抱えている。

中心を解放するには、この自分の問題点を無くすことが重要ですよね。

この場合『信頼』が芽生えなくてはなりません。

信頼が芽生えるためには、体験の共有が重要な要素となってきます。

出会いがショックを与えて、思いを解放して、リラックスさせるのです。

神への完全なる信頼が、僕の場合はリラックス、つまり安心を生むのです。


しかし、身体中心の人、思考中心の人は違います。

感覚で捉える身体中心の人は、思いを解放しても、それを感覚的に管理し続ける。

比較で捉える思考中心の人は、思いを解放しても、それを比較して管理し続けるのです。

だからリラックスするには、この中心点を解放させる必要があります。


感覚を解放するには、例えば大自然の中で、神気を感じて、そこに『感覚』を解き放つ。

比較を解放するには、例えば沈黙の中に静謐さを見いだして、そこに『比較』を解き放つ。

他にも様々に方法があるわけです。


だからリラックスを他人に教えてあげることは難しいと思うのです。

本人がリラックスできることが、他人にとってもそうであるとは限りません。


もし中心点が解放されると、間違いなく純粋さが爆発します。

これは、他の人から見てもわかるくらい、エネルギーが変容します。

リラックスして表情は和らぎ、身体は柔軟になり、豊かな情緒が感じられる。

その人の近くにいると安心と幸せがあることが見て取れます。


自分自身はもっとわかります。

感情が解放されたことで、身体が緊張しなくなり、思考も比較をやめます。

楽になった! と思うのです。

楽になった自分が、周囲を見渡すと、心がそこにあります。

心=自分=宇宙が、分離無く、全体として在ることがわかるのです。

それまでと全く同じ世界なのに、こんなに親密で美しい、幻想的な風景にいたのだと思います。

光り輝く世界です。


この至福に留まるには、注意と努力をしていかないといけません。

まだ一時的にしか垣間見ることができない、このファンタジーの世界、美の世界に自分を突入させていく。

疑いと恐れを取り除いていく。


ここで第2段階として『親しみと慣れ』を無くす必要があるのでしょう。

集中して突入する。

恐怖を感じながらも突入する。

瞬間、瞬間に、純粋な美しさを爆発させるのです。

生きていることが、既に、常に『リラックス』した状態になっていく。

このリラックスが寄るポイントは、神気であったり、神への信頼であったり、沈黙であったりする。

まだまだ様々に人によって違うのだけれど、この状態、自己喪失した状態。


連想が止まることによって、リアルな世界が、非常にリアルな世界が、ここにある。

この人生は贈り物である。

正に溢れんばかりの生への感謝が、神への感謝が沸き起こる。

なにが自分をリラックスさせるのかは、自分が1番わかっている。


解放が解放を生むというのは真理だとグルジェフさんも言っています。

ポイントは、自分の緊張している、その中心点を崩壊させることなのです。

中心が崩壊すれば、その他の中枢は自然にリラックスします。


寝転がることでも、音楽を聴くことでも、お風呂に入ることでも、座禅をすることでも、食事をすることでも、会話をすることでも、散歩をすることでも、料理をすることでも、本を読むことでも、カラオケに行くことでも、ドライブすることでも、なんでもいいんです!

連想が止まれば、いいんです。


連想を止めることが、瞑想なのです!

沈黙の恍惚感が、そこには必ずあります。

高揚するのです。

光り輝く世界が、その美しい純粋性を爆発させる!


あなたを苦しめるのは、思いですか? 感覚ですか? 比較ですか?




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