豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

ハート

2014-04-29 17:16:37 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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こんばんは!

親愛なる同胞の、みなさん。


自我の大騒ぎにすっかり、心奪われていた豊田真大です。


この現実世界は『わたし』の現れです。

静かにしてハートを感じていると、意識が何もかもを生み出していると分かるでしょう。

この光の大本がハートにある『わたし』


静粛の中にゆらめく無の世界は、心の潜在性が開花させている現れなのです。


自我に固執した我々は、いつも目の前の映像しか見ていないので、親愛なる人を忘れてしまいました。

あなたが本来『幸せである』ことは、全員が最初に生まれる前からいる場所なのです。


真我は何処にあるのか問い続ける意識は、真我の煌めきの反映なのです。

この煌めきは『意識』という煌めきなのです。

閃きが起こる大本は、ハートにあるので、存在の確立、や、恐怖の克服もほんとうはない。


絶望することも、ほんとうは必要ない。


だけれども、人間は絶望して、自分がちっぽけな無であることを自覚しないとハートへ向かわないのです。


休日で暇していたので様々なスピリチュアル情報を見ていましたが、そこに書かれていることは、

自我の大騒ぎです。

世界の拡大です。


普通に言って、自己を忘るるには、どうしたらいいか。

何もせず、源に帰るしかないのです。

源は、自分が体だとは認識していません。

そして、この源は、意識が帰ってくるとわかるのです。

ニコッと微笑むのです。


神の愛に抱かれるとは、この状態に完全に突入することだと思います。


僕はグルジェフさんとOSHOとクリシュナムルティを比較した場合、

クリシュナムルティは明らかに別次元に突入している存在だと感じます。

またラマナ・マハルシにも同じような『空気』を感じます。


全存在を感じている『わたし』が存在している地点は、更に深く入れる地点なのです。


頭頂から性の根源的エネルギーが抜けるという恍惚体験をよく目にしますが、これは、単に状態の変化です。

もちろん、通常の生活には比すべきもはない恍惚感に浸っているのでしょう。

しかしサマーディは、最終地点ではないのでは、ないでしょうか。


まあ体験もしていない僕が偉そうに言える立場ではないのでしょうが、心の奥にある『わたし』は、明らかに至福です。


今朝、起きたとき、

神が幻影を見せましたが、それは裸の女神に裸の赤ん坊が抱きついている、抱かれている絵です。

そして、その周辺にたくさんの人がいて、それを見ていました。




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