豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

古代中央アジアの神秘

2014-04-29 12:00:17 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。



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こんにちは!

執着が自然に流される光のシャワーを浴びている皆さん。


まあ・・・雨降ってますがw


昨日は一日中、グルジェフさんの本と睨めっこしていて、疲れ果てました。

そして電気を付けたまま寝ていて、母親に怒られるw

しかも、嫁さんと電話しているときに母親と口げんかになるという嫌な感じでした。

まあわたくし、こんなもんです。


本日は連休最終日ですので、ブログを更新しまくりたいと考えてますが、できないかもしれません(爆笑)


しかしまあ、みなさん、グルジェフさんの言っていることは、凄まじく高度ですね。

どの宗教の人が読んでも、自分の宗教と同じ事を指していると言うそうです。

中央アジアのトルキスタンで何かあったのだと思いますが、

たぶん、超古代のエジプトのスクール(アトランティス?)が中央アジアのトルキスタン周辺に移転していたのではないでしょうか?

なぜトルキスタンかというと、グルジェフさん自身がトルキスタンに何度も言及しているからです。

また中央アジア発祥の、ゾロアスター教、ボン教があり、これはチベットや日本の密教、禅、また仏教の如来蔵思想などにも影響しているらしいじゃないですか!

そして日本の正倉院には中央アジアからの宝がたくさん置かれているという。

つまり古代の中央アジアには、凄まじい根本宗教があったのではないだろうか?

まあもちろん「スーフィ」の影響はあるに違いはありませんが、あの辺り、アムダリア河とかの記述とか考えると、ゾロアスターの教えがどういう風に形成されていったのかも含めて、かなり興味があります。

中央アジアとチベットの『ゾクチェン』が繋がっているともネット情報ではあります。

まあしかし、隠された僧院を発見したグルジェフさん、凄まじい執念としか言いようがありませんね。



  トルキスタン                   
                 『出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 トルキスタン(Turkestan/Turkistan)は今日テュルク系民族が居住する中央アジアの地域を指す。原義はペルシア語でテュルク人(Türk)の土地(-istan)である。
 トルキスタンは、西トルキスタンに含まれるトルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギスタン・カザフスタン・タジキスタンと、東トルキスタンとも呼ばれる中華人民共和国の新疆ウイグル自治区(ウイグルスタンとも)からなる。

 歴史
 「トルキスタン」とは、「テュルク人」(Turk-)という単語に「~が存在する(ところ)」(-istān)を意味する接尾辞が付属したペルシア語での他称に由来するものであり、「テュルク」と呼ばれる一定の人間集団が集まり住む地域を指す言葉であって固有の地名に根ざした名称ではない。そのため、前近代においてはその地域的な範囲は明確ではなく、イスラーム時代以降はマーワラーアンナフルと呼ばれた中央アジア南部のオアシス都市の地域の北方に広がるテュルク系遊牧勢力がいた領域を指す漠然としたものであった。一方、スィル川の中流にはヤサヴィー教団の始祖アフマド・ヤサヴィーの廟墓があることで有名なトルキスタン市(古名ヤス)がある。
 13-14世紀のモンゴル帝国時代、いわゆる東トルキスタンは天山ウイグル王国のウイグル駙馬王家があったため、この地域はおおよそウイグリスタンと呼ばれ、15世紀からはチャガタイ家のアブル=ハイル・ハンなどモグーリスターン・ハン家の領域を本来モンゴル高原を指していた「モンゴル人の住むところ」を意味する言葉であるモグーリスターンなどと呼んでいる。西トルキスタンは変わらずマーワラーアンナフルと呼ばれていた。これはティムール朝末期のバーブルの時代でも同じであった。これらの地域を「トルキスタン」と一括する慣習はロシアなど19世紀以降のことである。
 13世紀以降はモンゴル帝国、次いで後継の汗国に支配される。

 テュルク人とその国家
 国名 人口 構成民族比率 面積 GDP 一人当たり 備考
 カザフスタン 1,683万人 カ46%、露35% 272万km2 1,184億ドル 7,800ドル
 キルギスタン 464万人 キ60%、露10% 20万km2 77億ドル 1,600ドル
 トルクメニスタン 424万人 ト77%、ウ9% 43万km2 270億ドル 5,700ドル
 ウズベキスタン 2344万人 ウ76%、露6% 44万km2 441億ドル 1,700ドル
 タジキスタン 605万人 タ64%、ウ24% 14万km2 69億ドル 1,000ドル イラン系のタジク人が多数派
 新疆ウイグル自治区 2000万人 維45%、漢41%、カ7% 165万km2 320億ドル 1,600ドル 中華人民共和国の自治区
 アフガニスタン 2800万人 パ45%、タ32%、ウ9% 65万km2 200億ドル 700ドル トルキスタン外

 ※テュルク系(カ=カザフ人、キ=キルギス人、ト=トルクメン人、ウ=ウズベク人、維=ウイグル人)
 非テュルク系(露=ロシア人、タ=タジク人、漢=漢民族、パ=パシュトゥーン人)
 上表のように面積はカザフスタンが桁違いに広い。人口はウズベキスタン、ついでカザフスタンが多い。一人あたりの所得はタジキスタンが目立って低い。
 アフガニスタンはトルキスタンには含まれないが、その国内には1000万人程のテュルク系民族が居住する。

 近代以降
 西トルキスタンは帝政ロシアの支配下となり、帝国がロシア革命で倒された後は社会主義共和国が作られ、ソ連の傘下に組み込まれた。その際、各共和国の国境線は人為的に引かれたため、民族分布とは必ずしも合っていない。ソ連崩壊とともに1991年に悲願の独立を果たした。しかし、独立以降も経済的・軍事的には未だにロシアの影響は強い。中央アジア連合創設への提案も行われている。
 東トルキスタンは清の乾隆帝に征服されて以来、清朝→中華民国→中華人民共和国と異民族による支配が続いている。1933年および1944年にソ連の後押しで東トルキスタン共和国を立てたが、いずれも短期間で消滅している。その後大量の漢民族が国策的に移民してきており、駐留する人民解放軍とあわせるとウイグル人よりも多くなると言われている。 また、1950年代から1960年代にかけてはカザフの新疆脱出が発生した。現在は、独立運動各派は中国政府に非合法化され弾圧されている。そのため、東トルキスタン独立問題は米中間等で人権問題として問題視されてきた。なお、独立運動各派は、2004年9月に東トルキスタン亡命政府をアメリカで樹立している。

 その他
「トルキスタン」は、ロシア帝国時代には、西トルキスタンの南部であるウズベキスタン・タジキスタン・トルクメニスタン一帯と、さらに狭い地域の名称として用いられたこともあった。



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