「なぜ叱ってはいけないのか」

このことに疑問を持たれる方が多い。
まず初めに伝えておきたいことがある。
「母性的なものが満たされていない子には父性的なことは伝わらない」
母性的なものとは、いつも言っている「甘えやワガママなどを含めた自分の全てを受け入れられる基地をいい、
父性的なものとは、社会のルールや決まりを伝える役割を持つ。
母性的なものの次に父性的なこと
という順番があるのだ。
逆になることは決してない。
母子家庭の子供でも立派に育つ理由は、父性的なものは、何も父親だけではなく、先生やお友達など、いくらでも代わりがいるからだ。
このことを知っていただいたうえで
母性的なものが満たされた子は、叱られた時に「バレた」「ウザい」…などと傷つき、怒り、反抗的な気持ちにはなりにくい。
ではなぜ「叱ってはいけない」と言うかというと
叱責は言葉の内容よりも感情の方が強く伝わるからだ。
思い出して欲しい
子供の頃、親に酷く叱られた経験はないだろうか…
そして叱られたことは鮮明に覚えているのに、「なぜ叱られたか」は覚えていない。
叱責は、即効性もある強い薬のようなもの。
その副作用も考えなければいけないのだ。
学童期に繰り返し受けた叱責の副作用が、思春期あたりに「万引き」「家出」「暴力」「リストカット」…などとして現れる。
これに親はびっくりするわけだ。
まさか自分が「叱責」という強い薬を投与したことを忘れてはいまい。
叱るのではなく「工夫」をして欲しいのだ
どうしたらで出来るようになるか、これがダメな事だと伝えるためには「どう伝えたらいいか」を工夫して欲しい。
例えば門限を守れなかった時、鍵を閉めて懲らしめる親がいる。
伝えたかったことは
「誰かにさらわれるかもしれない」
「事故に遭うかもしれない」
などといった不安から鍵を閉めて懲らしめているのだろうが
普通に「無事に帰ってきてくれて安心した」
「無事に帰ってきてくれてありがとう」
と、伝えればいいだけの事。
そうすれば子供は「心配をかけたな」「今度からは時間を守ろう」と思うのだ。
強制ではなく誘導
押しつけではなく提案
伝えたいことこそ、「丁寧に」伝えて欲しい。
そして出来るまで「待つ」
誰かが言っていた
「待てる親は子育て上手」なんだそうだ
出来ているかは別にして、私もそう思う。
