小山田圭吾について
東京オリンピック・パラリンピックの楽曲担当に選ばれた小山田圭吾
その名前が発表されるやいなや直ぐに批判が殺到し、辞任に至ったことは、皆の知るところだ。
学生時代に、障害者に対し凄惨な人権侵害を繰り返し(あまりに内容が酷すぎるのでここでは書かない)、それを大人になってから雑誌で嬉々として語っていたことが批判の的になったのだ。
育った家庭に愛がなかったのだろう
許され、愛され、包まれる心の基地がなかったのだろう…と思う。
もう彼は50を過ぎている。
直すことは出来ない。
そして彼に虐められた人は、今も苦しんでいるに違いない。
そしてもし、その子が自閉スペクトラム症だったら、もっと悲惨だ。
彼らの記憶力は凄まじい。
まるで今起きたことのように鮮明に、その時の恐怖をそのまま体感し、何度も何度も…何年経とうがフラッシュバックするのだ。
次男は自閉スペクトラム症です。
だから私は学校に付き添い、不意打ちで教室を訪問し、学校を休ませ子供を守ったのだ。
ここまでの虐めはなかったと確信している。
しかし、ここまでなくとも、生涯に渡り苦しめるような経験は必要ないと思っている。
自閉スペクトラム症の彼らは「苦しみの末得た喜び」が分からない。
体育祭などで、皆で力を合わせ目標に向かって練習を積み上げ、人間ピラミッドや大縄跳びを成功させる等の事に喜びを感じないのだ。
「苦しみ」は「苦しみ」として、それが「喜び」に変化することはない。
単調で変化のない、同じことの繰り返しが心地いい。
いつもの場所、いつもの人、いつもの道具に囲まれていると落ち着くのです。
クラス替え、学習発表会、演劇、運動会…
普通の子供ならワクワクするようなことが、彼らにとってはビクビクすることを知ってもらいたい。
学校が合わない子もいることを知ってもらいたい。
そしてそんな「合わない」子を無理やり行かせて「傷つける」のはやめてもらいたい。
小山田圭吾のような子供は、叱っても治りません。逆に叱ると「見られているところでは」お利口さんになるかもしれませんが、余計に酷くなります。そして小山田圭吾のような子供を治せるのは母親しかいない。
だから関わってはいけないし、関わらせてもいけない。
相手を変えるよりも、自分の子を守る方が早くて簡単だ。
「学校を休みたい」と言ったら
「なぜ?」と聞かずに休ませてあげて欲しい。
…いや逆に、なぜそれを親は知らないのか?と問いたい。
「学校で起きていることは分からない」などと言ってはいけない。
様子がおかしい
元気がない
朝、なかなか起きなくなった
食欲がない
サインは本当になかったか
学校の様子が分からないのなら見に行けばいい。
クラスのお友達に様子を聞けばいい。
あらゆる角度から子供の様子は知ることが出来る。
それを知らずに「なぜ学校に行きたくないの??」と聞いて、沢山ある「合わない」中から1つ「これこれだから」を言わせ解決しても
行けるようにならないし、行かせてはいけない。
先ずは心の基地を与えることが重要だ。