サグラダファミリ
サグラダ・ファミリア大聖堂の「生誕のファサード」に立ち、目に飛び込んでくるのは、中央に鎮座する「生命の木」だ。
この糸杉の木は、永遠の命を象徴し、その枝に止まる白いハトは、神のもとに集う信者たちを表している。
アンティ・ガウディはこの「生命の木」を愛し、自らの手で細部にわたるまで監修した。
ガウディは31歳の若さでこのプロジェクトの主任建築家に就任し、人生の大半をこの大聖堂に捧げた。
73歳のある日建築現場からバルセロナの街へ歩いて帰る途中に路面電車にはねられ人生を終えた。質素な身なりをしていた彼は、事故後すぐには誰からも気づかれることなく、貧しい老人の事故として扱われたという。
未だにこの聖堂は完成を目指して建設が続けられている。
ガウディにとって、サグラダ・ファミリアは信仰の結晶であり、彼が生涯をかけて表現しようとした神への献納であった。
彼のデザインに溢れる自然のモチーフや有機的な形状は、生命そのものを賛美し今日も訪れる者の心を打つ。
そこかしこにクレーンが立ち並ぶ建設現場だ。正面のファサードは、左から順に、父ヨセフを象徴する「信仰の門」、イエスを象徴する「慈愛の門」、母マリアを象徴する「信仰の門」の3つから成る。
サグラダ・ファミリアの塔から見下ろすと緑の公園があり、池が静かに佇む。しかし、その池の水は濁り、鈍い色をしている。
街のごく普通の日常が広がっている。
バルセロナ特有の美しさを持つ建物もあるが、多くはどこにでもあるコンクリートの塊だ。バルコニーには洗濯物がかけられ、日々の営みが。
ガウディが脳裏に描いた未完成の教会とその周りで急ぎ足で過ぎ去る人々。偉大なサグラダ・ファミリアと、その足元に広がるありふれた日常。バルセロナは観光地としての「顔」を持ちながらも、その裏には雑多で生々しい「生活」が広がっている。
ガウディらしい曲線の窓からバルセロナが。
初期の建設現場の写真。1882年明治15年から建設が始まったがこれは1893年ごろの写真か。
サグラダ・ファミリアの進捗状況を踏まえると、2026年に予定されている完成は依然として実現可能な見込みだが、すべてが順調とは言い難い。
主要な塔やファサードの建設はかなり進んでおり、特に2025年にはイエス・キリスト塔の最終段階に入り、中央の十字架が設置される予定。
この十字架は、塔の頂点を飾る重要なシンボルであり、172.5メートルという高さまで完成すると、バルセロナのスカイラインに大きな変化をもたらす。
2026年にはガウディの没後100周年を迎えるため、その記念すべき年に間に合うように建設が進められている。栄光のファサードの完成や、いくつかの側屋根の建設、そして最終的な装飾や内部の仕上げ作業などが残され、工事が完了するには2026年以降も続く可能性が高いとされている。
目を引くのは、その独特な形状の柱やアーチの構造だ。
アーチ状の部分には円形のモチーフが整然と並ぶ。ガウディ特有の「形態は機能に従う」が具現化されている。
太い柱の上に重なる複数の層は「森林のような教会」というコンセプトに合致しており、建物を巨大な木々が支えているかの印象を与える。
ステンドグラスから差し込む光が壁や柱に反射し、色彩を生み出す。この光は時間帯や季節によって空間の雰囲気が変わるように設計されている。この光と影の効果により自然の中にいるような感覚を引き起こす。
窓から糸杉と白い鳩が手が届くかのようにま近に見える。
サグラダ・ファミリアの正面に位置する2つの柱の根元に、見逃してしまいがちな彫刻がある。ガウディが自然への敬意を示すため建築に取り込んだ「カメ」の彫刻だ。陸ガメと海ガメがそれぞれ象徴的な意味を持って並べられている。
写真に見えるこのカメは、海ガメで力強く、まっすぐ前を向いた姿勢をとり、大海原を進むような躍動感が感じられる。さらに、海ガメは移動する象徴であり、建築の支えとして未来へ進む力強さを表現している。
もう一方の柱にある陸ガメは、地上にしっかりと根を張る存在として位置づけられている。陸ガメの彫刻は、足元に広がる大地の安定感と、ゆっくりとした歩みを思わせる。その姿は、建物の安定性と永続性を表し、ガウディの自然と人間の調和を象徴している。
『カラマーゾフの兄弟』における「ホザナ」のシーンは、物語の終盤、アリョーシャが霊的な啓示を受ける場面に登場する。彼はイワンの冷徹な理性主義や父親の愚劣さ、兄ドミートリィの激情の中で揺れ動くが、最後にゾシマ長老の墓の前でアリョーシャの口から「ホザナ」という言葉が溢れ出す。
サグラダ・ファミリアの塔に刻まれた「ホザナ」はガウディの信仰の深みと神への賛美として捉えることができる。
私はこの彫刻を見上げながら、モーツァルトの『レクイエム』にも同じ言葉が登場することを思い出していた。
サグラダ・ファミリアのナティビティ(誕生)ファサードにある糸杉の上に立つ十字架には、特別な宗教的・象徴的な意味が込められている。この糸杉は「生命の木(Tree of Life)」を表し、永遠の命や復活を象徴する。キリスト教の伝統において、生命の木はエデンの園に登場する生命の源とされ、復活や永遠の命の象徴と結びつけられる。
ガウディは自然と信仰の融合を視覚的に表現しようとしたことが伺える。十字架の上には白い鳩が描かれ、これは聖霊を表すシンボルで信仰者たちが神のもとに集まる姿を示唆する。
サグラダ・ファミリアの上部に見えるぶどうや麦などの象徴的な作物をかたどっており、キリスト教の聖餐(聖体拝領)に関連する象徴が含まれている。
中央に見える麦は、パンの象徴で、キリスト教ではイエス・キリストの肉体を表す聖体と結びついている。左右に見えるぶどうは、ワインやイエスの血を意味する聖杯。
「エヴァンジェリストの塔」(Evangelists' Towers)。サグラダ・ファミリアには、12使徒のための塔、福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の塔、そしてイエス・キリストと聖母マリアに捧げられた塔が設計されている。
サグラダ・ファミリアの塔の頂で、私はガウディの想像力と技術の結晶ともいえる壮大なモザイクを目の当たりにした。白い花をかたどったモザイクの曲線が、空に溶け込むかのように柔らかく光を受け止めている。
細かく砕かれた陶器の破片が嵌め込まれている。視線を上げれば金色のモザイクが太陽の光を薄く反射している。
ガウディが一つのモザイクに込めた祈りや敬意が、確かに私にも伝わってくる。
風を受けながらガウディの信仰と創造が一体となったこの空間に立ち余韻は長く続いた。
サグラダ・ファミリアの大聖堂内部にある天井。森の木々の葉が重なり合って光を遮る「葉むら」のように見え「森の天井」と。
天井を支える柱は樹木の幹のようにそびえ立ち、柱は上に行くほど細く枝が広がるように天井へと伸びていく。
ガウディは、自然の力学に基づいた構造を持ち込むことで、建物全体が成り立つように設計した。
天井は太陽の光が森の木漏れ日のように差し込む感覚を与え、生きた森が石に化した空間となりガウディが目指した「神の森」か。
サグラダファミリアの塔は、その複雑な模様と色彩で圧倒的な存在感を与えている。この塔の表面にもモザイクタイルが使用され、黄金や緑、白が織り交ぜられている。
タイルのモザイクはガウディの「光と影の遊び」を具現化している。光が当たると色彩が変化し時間や天気によって異なる表情を見せ、黄金色のタイルは輝きを放ち塔を彩る。
生命の木の上部をアップで撮る。
サグラダ・ファミリアの「受難の門」は、キリストの最期の磔刑を描写したファサードでガウディの没後に建設が始まり、後継者たちによって彼のビジョンに基づいて完成された。写真に見える彫刻群は、キリストが十字架を背負って歩く「ヴィア・ドロローサ(苦難の道)」の一場面を捉えている。
ガウディがデザインした他の部分とは対照的に、受難の門は非常に硬質で厳格な表現を持ち、キリストの苦しみをより直接的に伝えている。キリストが倒れ込む彫刻の粗い線は苦痛と絶望を象徴している。
受難の門の彫刻はガウディではなく弟子のジョセップ・マリア・スビラックスによって完成された。スビラックスのスタイルはキリストの受難の厳しさを強調している。門の上部には、磔刑に処されたキリストの足が見える。
十字架から降ろされたキリスト。原寸大の模型を実際に置いてみてチェックした後に実物を製作し設置したという。
サグラダ・ファミリアの受難のファサードに刻まれたこの彫刻群はイエスの十字架への道行きの場面を描いている。
写真に写っているイエス・キリストは、中央より左寄りに立ってこちらを向いており、棘の冠をかぶっている。イエスの姿勢や表情からは、彼が兵士たちに囲まれて裁かれる状況にあることが伝わってくる。彼の目線は正面を捉え、彼の受ける苦しみやその中での静かな受容を表現している。イエスを正面から向かい合う兵士たちとは対照的に、背を向ける人物は、人々がしばしば真実や責任から目を逸らす様子を表しているとか。
この彫刻は、サグラダ・ファミリアの「東のヨセフ門」にありローマ兵による「幼児虐殺」のシーンを描いている。この悲劇は、新約聖書のマタイによる福音書に記されており、イエス・キリストの誕生を恐れたヘロデ王が、2歳以下の幼児を殺すよう命じた出来事をもとにしている。ヘロデは、学者たちから「新しい王」が生まれたという報告を受け、王位を脅かされることを恐れてこの虐殺を命じた。
広場に響く喧騒の中、石造りの門の入り口に、一人の女性が腰をかけていた。帽子のつばを少し傾け、杖を両手に抱えて、まるで長旅の途中で一息入れているかのような風情だ。鮮やかな赤い服は、石造りの冷たさとは対照的に、周囲に温かさをもたらしている。
彼女の手には地図が握られているが、地図を見ることはない。きっと、その目の前に広がる風景や、この場に至るまでの道のりが、すでに彼女の中に刻まれているのだろう。年を重ねた旅人の姿は心を揺さぶる。
一息ついた後、彼女は再び立ち上がり、杖を手に、また次の場所へ向かうのだろう。
写真に見える「Oració」という言葉は、カタルーニャ語で「祈り」という意味だ。
建築のディテールからも、石の彫刻やステンドグラス風の円形デザインが見て取れる。この「Oració」が建物全体の宗教的テーマと密接に結びついており、訪れる人々に祈りの重要性を思い起こさせる。
この部分が鋭い刃物のように表現されているのは建物を静的な構造物としてではなく、自然の一部であり、成長し進化するものとして捉えていたからだろう。鋭利な形状は、植物が芽を出し、枝が空に向かって伸びていくような、自然界の生命力を表現している。
この鋭さは緊張感や動的なエネルギーを象徴している。ガウディのデザインには有機的な柔らかな曲線と、鋭利で力強い直線が共存し自然の中で見られる柔らかさと厳しさ、生命の脆弱さと力強さを象徴している。
ガウディはこの部分を「刃物のよう」に表現することで、建物全体に緊張感と動きを与え、訪れる人々に深い感覚的・精神的な体験をもたらすことを狙っていたのではないか。
写真に見える「Sacrifici(犠牲)」という言葉と、そのそばに置かれた人物像は、キリスト教における象徴的な人物か、もしくはキリストの受難における重要な役割を担った存在を表していると考えられる。
シモン・キレネ人は、新約聖書に登場する人物で、イエスが十字架を背負ってゴルゴタの丘へ向かう途中、体力を消耗したイエスに代わり十字架を担ぐことを命じられた人物。
聖ペテロは、イエスの最も近しい使徒の一人であり、キリスト教において非常に重要な人物。彼はイエスの受難に対して、3度もイエスを否認した後、深い後悔と悔恨の中で信仰を取り戻した。
献身と犠牲を体現するすべての信仰者や聖職者を象徴している可能性もある。彫刻の人物は、キリスト教における自己犠牲や献身を象徴する人物、あるいはそれを象徴する普遍的な存在としてガウディによってデザインされた可能性があるという。
この写真に見える3つの塔の上部には、果実や植物を模した装飾が施されている。
左側の塔にはブドウの房のようにも見える。ブドウはキリスト教において、特に聖体拝領に関連してイエス・キリストの血を象徴する。
中央の塔も、ブドウの房や果実のような装飾が施されており、豊穣や生命力を象徴している。
右側の塔の上の麦はキリスト教においてパンの象徴であり、聖体拝領で使われるパンがイエス・キリストの肉を表す。
サグラダ・ファミリアの「生誕のファサード(Nativity Façade)」は、サグラダ・ファミリアの中でも特に詳細な彫刻で飾られ、キリストの誕生とそれに関連する場面を描いた作品だ。
このファサードはアントニ・ガウディが生前にほぼ完成させた唯一のファサードだ。
羊飼いや天使、キリストの降誕にまつわるシーンが細かく彫刻され、中心には聖母マリアと幼子イエスの姿があり、イエスの誕生を祝う様々なシンボルが周囲に広がり「生命の奇跡」を強調している。
写真に見える「IHS」は「イエス」のギリシャ語の頭文字で多くの教会や宗教建築物に使われている。
ラテン語の「Iesus Hominum Salvator」(イエス・キリストは人類の救い主)の頭文字として解釈されることもある。また、イエズス会の紋章にも使われている。
この写真に見える塔は、サグラダ・ファミリアの「生誕のファサード(Nativity Façade)」の4つの塔で各使徒に捧げられている。
聖バルナバ(St. Barnabas)4つの塔のうち、最も右側にある塔。
聖シモン(St. Simon)右から2番目の塔。上部にシモンの象徴が刻まれている。シモンはイエスの使徒の一人。
聖タデウス(St. Thaddeus)左から2番目の塔。塔の上部にはそれを象徴する装飾が施されている。
聖マティア(St. Matthias)最も左側の塔。
この彫刻に見られるカメは、「生誕のファサード(Nativity Façade)」に設置されている彫刻の一つで陸亀(リクガメ)を表現している。このファサードにはウミガメもいる。使い分けは不明だ。