まさおレポート

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「田中一村 かそけき光の彼方」荒井曜 書き抜き

2024-11-13 | 紀行 日本

患者の置かれた状況の悲惨さに心を痛めたが、一村の興味はすでに小路の両側に迫りくる植物の 有様に奪われていた。いったい何種類の植物が、この森の植生をかたちづくっているのだろうか。 

中心が空洞になったアコウの巨木が並んだ道の向かいには、これまた大きなイヌビワが青々した葉 を茂らせている。

人が隠れられるほど大きな緑葉を丸テーブルのように広げているのは、不喰芋だ。


「その小判のような模様は、シダの葉が落葉した痕なのです。幹と見えるのは、細い根が多数絡み 合ったもので、空気中から水分を吸収します。ここまで巨大に育つのは、この島が高温多湿であ るからです。

ヒカゲヘゴは、奄美大島から南の南西諸島や台湾、フィリピンに自生していますが、 一億年前の姿を、そのまま現代に留めているといわれています」

「ここに群生しているのが、キダチチョウセンアサガオです。梅雨時になると、この辺り一帯に二、三〇センチもある漏斗状の真っ白な花がたわわにぶら下がり、強い芳香を放って噎せ返るほどにな ります。非常に艶やかですが、強い毒性を持っているのでご注意ください」その説明が終わるや否や、一村は小川の土手を滑り下りて行った。中村が慌てて止めようとした ときにはもう遅かった。二メートル程あるその茂みに手を触れんばかりに接近し、葉の付き方や、菅の部位を観察し、素早く素描を始めた。開花時期の様子を想像しているのか、恍惚とした表情を 浮かべ、目を細めている。この植物も、一村が奄美大島で初めて出会ったものであった。 

キダチチョウセンアサガオに触れたら、必ず手ば洗ってください

 祝女というのは、奄美の土着的な信仰だそうですね」それを聞き、中村と松原 「祝女は、那覇世』といって いた時代の神官です。琉球王国から任命され、 奄美が琉球に統治されてこの島の祭祀一切を取り仕切る権力を持っていた。昔は、政治と祭は一体で、その独特で神聖な儀 式が今に遺されてきたのです」

ざっと見積もって、栄養価のある美味な食生活をするそれというのも、この島の物価は驚くほど高く、月々千七百円の家賃の外に・・・。

故郷から遠い地での病は流石にこたえ、・・・三日間のスケッチ旅行を敢行したせいもあり、かなりの疲労が溜まっていたようで、正月二日に一村の体調はようやく回復しつつあった。

もし、亜熱帯の自然の方から、その姿を絵絹に表すのに純金泥を要求してくるのなら、グラム単位で谷中の得應軒に注文しているが、岩絵具の質を落とすことなどできない。

残額は七万八千円であり、預金してあった。

カンヒザクラに歓喜の表情を浮かべ、しっかり構図を決めてシャッターを切った。

しばらくスケッチをしていると、村人が前の道を行き交っていく。群倉に向かう女は空の籠を背負い、そこから戻って村に帰る女性は、籠の持ち手を額にかけ、前傾姿勢で た籠を重そうに運んでいく。一村は、すかさずシャッターを切った。

奄美では三月終わりころの天気を「三月赤山」というらしいが、山の裾野には赤ならぬ白い穂が 一面についた。これはチガヤと呼ばれるイネ科の植物で、細い葉を立てて山裾一面に群生している光景は、春のススキの如くである。小笠原先生が、昔の人はこれを食べたというので、料理の腕を ふるって試食してみるが、今のところ美味ならず。

樹高二〇メートルもある常緑広葉樹スダジイやアコウの巨木が、五月の強烈な太陽を遮り、山道 は日蔭になっていた。アコウはガジュマルとおなじく、気根を垂らして宿主を絞め殺すクワ科イチジク属の樹木であるが、葉がもっと大きく、小枝といい幹といい所かまわず実をつける。ちょうど シーズンなので、小さなイチジクのような実が鈴なりについていて、手に取って口に入れるが、果汁 がなく美味くは ない。 ツバキ科のイジュの高木には白い可憐な花が咲き、浅葱斑と鳥揚羽が花の周辺を飛翔する光景は 幻想的だった。一村は小学生さながら昆虫網を持参していて、アサギマダラを捕獲することに成功。

「クッキールルルー」と暗くと本に書かれてい、今度は、「クララララ・・・・・」というドラミングが響いてきた。これは、 太穹木島である。

一時間ほど原生林のなかを登ると、ようやく視界がひらけ、今まで目にしたことのない絶佳が 名な大気にかすんだ展望のはるか彼方まで、深い緑の山に覆われた師がまるで臥竜のごとく海面に滑り出し、複雑に入り組んだ泊をつくっている。その手前にあって空を映す蒼玉の湾。彼方には笠利が遠望できる。

広葉樹の梢にいたが、シャッターを押した瞬間に飛び立ち、川辺の岩場に移動していった。現在進 めている構想では、岩上で嘴を開けて雌を呼ぶアカヒゲを描きたいが、岩場にこの野鳥を配置してもあながち間違いでないことを確認できた。

そして夏鳥は、アカショウビンだ。ここに飛来するのは、琉球アカショウビンだろう。図鑑の写 真によると、燃えるように赤い嘴は体の比率からみるとかなり大きく、黒曜石のようなつぶらな目が神秘的だ。鳴き声だけは長雲峠で聞くことができた。図鑑には、〈キョロロロロ・・・・・・と最後はか そけき声で消え入る〉との記述有り。繁殖期は梅雨時で、雨が降りそうなときに鳴くので、雨乞い 鳥、水乞い鳥とも呼ばれる。悪いことをして水を飲めない罰を受け、喉が渇いて雨を求めているの だとも、カワセミが火事にあい、水がなくて体が焼けて赤くなったとも言い伝えられているとの由。この鳥は、カワセミの一種なのだ。

また、(奄美十二カ月)の構想に彩りを添えて欲しいのが、オオアカゲラである。長雲峠でタラ ラララ・・・・・というドラミングを開いたが、雄が営巣にいそしむ姿をみてみたい。しかし、千葉寺の 六畳間で島臓に入れて、数々の小鳥を飼育していたときのようにはいかない。皆、天然記念物指定 の鳥たちなのだ・・・・・・。せめて写真に収め、デッサンに起こしたい。 

すっかり夜の帳が下りている。 一村は画家の想像力を働かせ、祖国復帰に燃え上がる群衆をそこに描き出そうとしてみたが、何処まで保の意に沿えたかはわからない。

奄美群島は日本列島の尾っぽのようで、僻遠の地ではあるが、文化果つるところではなかった。 古くは日本書紀に〈阿麻弥人〉と記されているのが〈あまみじん〉のことであり、奄美は上古の時代から大和朝廷と交流があった。

この島の老人たちの言葉に感じていた、どこか奥ゆかしく上品な韻律のある島口は、島嶼という環境に閉ざされたまま、日本書紀や古事記の時代の言語がそのまま遣ったもので、万葉の世と共通の単語が数多く現存して使われているからだと、中村民郎が教えてくれた。


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