まさおレポート

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埴谷雄高・独白「死霊」の世界 を眺める

2021-09-20 | 小説 カラマーゾフの兄弟

埴谷雄高・独白「死霊」の世界 | 埴谷 雄高, NHK |本 | 通販 | Amazon

どうにも暗そうで手に取り読んでみるのも躊躇する「死霊」。

だが出かけたあとに家の鍵を忘れるという事態になった。家族は長谷川町子記念館にでかけていない。さて3時間ほどどう過ごすか。

こんなとき思いつくのは図書館だ。そして目に付いたのが

埴谷雄高・独白「死霊」の世界

「死霊」の著者自らがインタビュー形式で気楽に語っているので読みやすい。難しそうなところ、面白くないところはどんどん飛ばして読み進むと3時間が過ぎ半分ほどが読み終わった。読んだというよりも目に付くところを眺めたという方が正しい。だからいい加減なメモであることをお断りしておきます。


虚体という言葉が目に付いた。

埴谷雄高はこの言葉を数学の虚数を頭に作り出したと見た。目に見える存在の背後にあって気が付かないが、たしかに説明可能になる数学の虚数を文学に置き換えると虚体となる。

マクベスの「キレイは汚い 汚いはきれい」もおぼろげながら虚体で納得できそうだ。虚数の座標軸をどこに置くかで写像は変化し、きれいにも汚くもみえる。

無限大も虚体への入り口だとするとブラックホールはまさにその通り。ブラックホールのなかは虚体というにふさわしそうだ。

ニュートリノは質量がほとんどゼロの粒子だが質量がほとんどゼロであるから虚体と言われるとなんとなく納得できる。

数学や物理学、とくに量子力学は虚数がないと始まらない。この人は数学や物理学、とくに量子力学の虚数から文学の虚体を思いついたのかもしれない。そんな気がした。

混沌やのっぺらぼうがでてくる。これも虚体だと言われると虚数のメタファからそうかなと。実数部分だけではなく複素関数としてみるとこの世、あの世にはさまざまな混沌やのっぺらぼうがでてきそうだ。


ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」でイワンに「神がいないなら作られなければならない」と言わせている。

これはイワンが「神がいない」と言っているのではない。神は存在すると信じているが人々に意識されるようにしなければならない。それには虚数、複素数(あるいは虚体)の見事な発見のようにしっくりくる神が発見されなければならないと言っているのではなかろうか。


非ユークリッド幾何学が理解できないと世界が理解できないと嘆くイワンは哲学というものを、自然を未知数とする単なる数学とみなしていた人物として描いている。ある時期までドストエフスキーはそのように思っていたのではないか。つまりイワンはある時期までのドストエフスキーの投影であると読める。

哲学というものを、自然を未知数とする単なる数学とみなすべきではありません…。いいですか、詩人は霊感のきわみにおいて神を洞察する、つまり哲学の役割を果たすのです。つまり詩的な喜びとは哲学の喜びなのです…。つまり哲学も同じ詩なのですが、ただし最高度の詩だということです!「兄への手紙」


仏教では初期仏教から大乗経が作られたのだが洗練された仏教が「作られなければならない」と言い換えるとしっくりくる。

埴谷雄高は仏教よりもジャイナ教をしっくりくるものとして作り出したらしい。(実際のジャイナ教ではなく作り出したと述べている)


宮元啓一著「インド哲学七つの難問」から。

a (紀元前6~5世紀に起こった)仏教では、たとえば不殺生戒は、なるべく無益な殺生はしないようにしようという程度でよし(三ジュ浄肉は口にしてもかまわない)とされるのにたいし、(ほぼ仏教と同時代に起こった)ジャイナ教では、不殺生誓戒は、何が何でも守り抜かなければならないものとなる。p38

b 仏教やジャイナ教が興ったことにより、ヴェーダの宗教は大きな打撃を受けた。・・・この失地を回復するために、・・・膨大な数の先住民族を・・・取り込んだ。その結果、ヴェーダの宗教と先住民族の宗教とが習合して、新しい民衆宗教としてヒンドゥー教が形成された。・・・かれらはそこで犠牲祭をやめ、仏教などにならって供養を宗教儀礼の中心に据えた。

図々しくも、昔から自分たちだけが完全な不殺生を守ってきたのだと宣言した。

・・・仏教的な戒ではなく、ジャイナ教的な誓戒を選択した。 これは、真実となった誓戒こそが、あらゆる大願を成就する力をもつとする、古くからのヴェーダの宗教のころからあった強い信念とよく合致するからでもあった。p40


輪廻転生、空は虚数・複素数のメタファを生命の営みに置き換えたもの、つまり虚体だ。

どうもこの巨大な小説はそういうことをいいたいらしい。

眺めただけで読みもせずに感じたことをあつかましく書き散らしたがいずれ読むときの参考にメモしておきます。


 非ユークリッド幾何学と呼ばれる分野では、平行線は交わる。これがドストエフスキーの時代の最先端数学であり、非ユークリッド幾何学をイワンに述べさせている。1881年2月9日に死んだドストエフスキーは虚数はおそらく知らなかっただろう。(日本では、東京数学物理学会が1885年に記事で "Impossible or Imaginary Quantity" を「虚数」と訳している)

知っていればイワンの述懐はまた違った表現になっただろう。


ストレプトマイシンの話 身につまされる。

日本では、1950年より科学研究所(理化学研究所の前身)が生産に着手。1951年10月には30トンタンク3基を稼働させ、国内需要の1/3を生産する規模にまで拡大させた。

埴谷雄高は10年結核で寝たがストレプトマイシンの筋肉注射で回復した。

埴谷 これがなければ生きていけなかった。

わたしも同じだろう。幼少時に結核性関節炎にかかり、ストレプトマイシンの普及しだした小学5年に回復した。


ドストエフスキーもシベリア監獄に収容されたが埴谷雄高も拘置所に長くいて壁に向かって「死霊」の想を練った。

どちらも凄い体験でこれは修行僧の体験を超えているかもしれない。結核で10年ロスをしたために完成が遅れた。それで欠点が見つかって書き直して書き直して遅れた。結核を患わずに書けばとうに完成していただろうが、それはそれで不満が残る。どちらがよいともいえないというところが虚体の書き手にふさわしい気がした。


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