人には仮面の人生なんてまっぴらだと思う人と仮面を演じきれる人の2種類がありそうだ。どちらがいい悪いではない。自分がどちらが好きかという選択になるだけだと思う。最近は時代の変化で仮面を演じきらなくても生きやすい時代に入ったのかなと思うことが多い。
稀代の経営者や政治家、宗教家などには仮面の人生を生涯かむり通した人が多いように思う。最後には仮面をつけている自分が自分だと思い込んで死んでいく。それはそれで一貫していて立派だしどうもそれが人として賞賛される。
中には途中でそろそろ仮面が本心と乖離し、どうにもこうにも合わなくなってきて外したいと思っても世間がそれを許してくれないケースが多そうだ。経営者では株主が、政治家であれば支持者が、宗教家であれば信者や檀家が猛反発する。「初心忘るべからず」が賞賛され、転向や裏切りなどと激しく非難され社会的存在を抹殺されかねない。
一方では漂泊の詩人や優れた学者、文学者、宗教者には仮面をつけて生きるのはまっぴらだと考える人も昔から大勢いる。西行や芭蕉、山頭火、相田みつをなど、あるいは岡潔、檀一雄、ランボー、モーツアルトなどなど。
もちろんある種の仮面を生きるためのよすがにしていて本心は異なる学者、文学者、宗教者、芸術家もいる。
わたしは仮面の人生は向かない。