連載した新電電メモランダムシリーズは大幅加筆訂正後「相互接続クロニクル NTT 新電電 孫正義 1989~2005」としてキンドル電子出版いたしました。スマホ、ipad、キンドル端末でご覧いただけます。
<2000年はY2K問題で幕を開ける>
1月2日 政府がY2K問題で国内トラブル23件のみで深刻な影響なしと発表する。2月29日 郵便局のATM1200台が2000年問題で不具合を発生するなどを見たが結果的には何事もなく、あるいは過剰だったかも知れない2000年問題は事なきを得た。だが、昨今の原子力発電事故の深刻さをみるにつけ過剰な心配と言われるくらいが丁度よかった。この過去の事例からみても日本と欧米のリスクマネジメントに対する感度と対応に大きな差があり、日本のそれは相当劣っているとみるべきだろう。
{タイタス・コミュニケーションズでの経験}
日本国内では2000年問題が1999年になってようやく大きくクローズアップされはじめた。当時勤務していたタイタス・コミュニケーションズは米国USウェストやタイムワーナーの資本が25%ずつ入っており、米国の出資会社からは2000年問題で米国に比べて日本の対応の立ち後れと危機感のなさをしばしば指摘されていた。1999年の中ごろから米国USウェストからも2000年問題の専門家と称する人々が何人か来日し、彼らの指導の下で社内の各本部はそれぞれ対応チームを作成し、全社的な対応体制をとっていた。
具体的には情報システム部門が問題が潜伏すると疑われる社内業務用ソフトウェアを個別にチェックして網羅的に問題箇所を洗い出していった。会社の設立がまだ新しく、作成ソフトウェアも2000年問題を取り込み済みだったものと思われ、結果的にはそれほど大きな問題は摘出されなかった。そして、1999年大晦日には会社幹部全員が自宅で緊急スタンバイの状態となり、のんびりとおとそ気分にはじたっていられない正月を迎えた。しかし2000年の正月を迎えてもなんら2000年問題が発生しなかったので、ほっとした経験がある。
{2000年問題日本の対応}
2000年問題は、既に1997年頃からその深刻さが指摘されていた。1960年代のメモリーが256キロバイトとか言った時代のコンピューターを使ったソフトウェアの設計上、メモリーを節約する必要があり西暦年の表現でも最初の二桁を省略することが常識で、これが2000年問題の原因と言われていた。つまり1999年は99のみで表現していたために2000年は00年に戻ってしまうということで、ソフトウェア自身が理解できなくなって異常走行してしまうことが懸念されていた。膨大なソフトウェアのほとんどは2000年を迎えるまでに手直しされていても、稀にしか使用しないソフトウェアなどの一部にこのような二桁表現が潜んでいるとソフトウェア障害を発生する。1996年当時大手コンピューター会社が実施したユーザーアンケートでは2000年問題に対応済みと答えたユーザーはわずか7.7%、17.2%が作業中 残りはこれからというお寒い状況であった。
政府も1996年十一月に電気通信事業者、インターネットプロバイダー、メーカーが参加して「情報通信ネットワークの安全・信頼性に関する研究会」を設置して、電気通信事業者の対応状況の実態調査 情報通信ネットワークに発生すると考えられる問題とこれに対する対応策について検討していた。 又、1996年12月には社団法人日本情報システム・ユーザー協会にユーザー、ハードウェアメーカー、ソフトウェア業者等の専門家、有識者から成る二〇〇〇年問題検討協議会(座長は石田晴久東大教授)を設置して検討を行っていた。
しかし、1999年になっても当初は会社の意識はそれほど高まることなく、特段深刻に受け止められていなかった。大概の企業ではコンピュータ部門がチェックをして終了といったレベルで会社トップ自ら危機意識を感じて陣頭指揮に立っていたというのはなかったのではないか。
しかし、米国は特にこの問題に危機を感じていたし、日米の意識の違いは相当なものがあった。欧米では2000年問題の影響で航空機会社のコンピュータや航空機の制御プログラムまでがおかしくなり、そのために航空機まで落ちるのではないかとの心配も利用者に広がり始め、従って2000年1月のフライトはキャンセルするといった事例などが連日報道され始めていた。
しかもこの問題はコンピュータネットワークを通じて波状的に世界に広がるといった風に喧伝されていた。かつてニューヨークの一台の電話交換機のソフトウェア故障が次々に波状的に他の交換機のソフトウェアに影響を広げていきニューヨーク全体の電話が不通になる事故があったが、その痛い記憶もまだ米国には残っていたのかもしれない。ちょうど、新型インフルエンザのパンデミックをおそれるのと酷似した風潮が広がっていた。国会でも野中国務大臣が次のように述べるなど、徐々に危機意識は高まっていった。
○野中国務大臣 コンピューターのプログラムが、二〇〇〇年で、この以降日付に対応しておらない場合はシステムが正常に機能しないという二〇〇〇年問題というのは大変重要な問題 対応を誤りますと、国民生活はもちろん、企業活動にも大きな支障を生ずる 高度情報通信社会の構築に向けた信任を揺るがしかねないこの問題に、重大な認識を持って取り組んでおるところでございます。
昨年の九月、小渕総理の指示のもとに、総理を本部長といたしまして高度情報通信社会推進本部を設置いたしまして、官民を含めた強力な取り組みを進める行動計画を決定したところでございます。
コンピューター西暦二〇〇〇年問題に関する行動計画 中央におきましては、大体、本年六月に原則的な模擬テストを完了いたしまして、危機管理に対応するようにいたしております。(145 - 衆 - 予算委員会 - 9号 1999年 平成11年02月03日)
<1月10日 AOLがタイムワーナーを買収>
当時勤務していたタイタス・コミュニケーションズの株25%は既に前年の1999年6月30日に米メディアワンに譲渡済なので、このAOLによるタイムワーナー買収劇に対してはまったく影響がなかった。1997年頃だったか、タイタス・コミュニケーションズの取締役会にやってきたテッド・ターナーが突然我々のオフィスに入ってきて握手した経験もあり、身近と言うほどでもないが関係の全くない企業でもない。米国の買収劇のすさまじさを肌身で感じることになる。
この買収劇は米国のオープンアクセス問題に新たな議論を生み、合併後のAOLタイムワーナーに対し、FCCが作成するオープンアクセスルールを競合ISPに提供する条件下で2001年1月に合併が成立した。
<1月19日 日米規制緩和会議 NTTの接続料金引き下げで合意できず>
この年は米側の接続料金値下げ圧力が極端に強まった年として記録される。ひとつの狙いは日米間の国際電話の相手国に支払う精算料金が米国の方が圧倒的に多く、その値下げを接続料金の引き下げで狙った事で、他の一つは接続料金が米国系通信会社の日本参入に伴う参入障壁となると考えられたためである。多国間交渉であるWTOと米国との2国間交渉である日米規制緩和会議の双方で攻勢をかけてきたことになる。
2013年現在、日米間の国際電話の相手国に支払う精算料金はKDDIなどとの企業間契約となっており、低廉化に充分貢献したものと思われる。米国系通信会社がアクセスチャージの低減化で日本で大躍進した例はない。米国通商代表部は米国系通信会社から陳情されると本気でその解決を図ったがその結果はどうか。どうもアクセスチャージが米国系通信会社の参入の本質的問題ではなかったのではないか。
2月9日には電気通信審議会が「地域通信網の接続料金の在り方について」を答申し、長期増分費用方式の導入を2000年末から4年かけて合計22.5%下げを提案する。
3月23日、日米規制緩和会議が接続料金で物別れで閉幕、3月30日にはUSTRが年次報告書で接続料金問題をWTOに提訴する可能性を示唆し、又10月12日にはUSTRが対日規制緩和要望書を作成しその中で日本政府がNTTの規制と株主を兼ねるのは不適当と批判する。
4月20日には自民党の野中幹事長がトマスフォーリー駐日大使と会談して4年間で22.5%の引き下げ以上の値下げは不可能であることを表明。
5月29日には自民党有志部会が米国政府に5項目を要望しインタネット回線負担の不公平是正などを訴える。(日米間のインタネット接続では日本だけが回線料を負担する事を不公平とみなす訴え。一方ではインタネットの発明は米国であるが他国に対しその知的財産の対価を一切請求しない事も米国側の反論としてある)他に米国内での携帯会社の外資20%未満規制の撤廃を要求。
6月12日 野中氏 ドコモ株売却原資で接続料金値下げを前倒しを要求。
7月11日には日米財界人会議が早急な引き下げを支持し、7月26日には平林郵政大臣が米国に書簡を送り、米国の外資25%以上に免許与えずとする法案の準備に懸念を表明。
10月6日にはITUが国際インタネット回線の維持コストと接続料を米国側も負担すべきとの内容を採択。米国は棄権した。これは強制力のない採択である。
EUとの規制改革対話でEUは監督機能の郵政省からの分離を要求。
12月13日にはNTTが接続料金の値下げを発表 市内交換機接続料 5.57円から4.95円へ 県間中継交換機接続料 10.64円から7.65円へ(いずれも3分換算) この値下げでNTTは1950億円の減収と発表する。
以上のようにこの一年はすさまじいほどの対日圧力がNTT接続料金値下げに向かっていることがわかる。NTTの非効率解消、特に社員のだぶつきは本来内部で解消されるべきであったがそれが即時に解消できないために長期増分費用方式の採用という世界でも例のない社会主義的とも思える計算方式を押し付けられることになる。長期増分費用方式の採用は実はNTTの社員だぶつきによる非効率の解消の苦し紛れの妥協策だったのだが、これは表立って議論されていないようだ。すでにNTTの団塊世代も定年退職を完全に終えた。長期増分費用方式の廃止を早急に検討すべきではないか。
<3月16日 NTTファシリティーズが東京ガス 大坂ガスと国内電力小売り事業へ>
株式会社エネットを三社で立ち上げる。この後2011年12月3日、城南信用金庫が脱原発のために東電の電力を使わずにこの会社を使うと発表していた。NTTは大きな局になるとジェット機搭載のエンジンを使った発電機を持っており、全国的にこの電力を提供すればこの時代に感謝される社会貢献ができると考えていた。この会社はガス会社とのジョイントなので当面は火力発電が主力だろうが、城南信用金庫の声明に接して、NTTの発電潜在力を生かした現実味のあるアイデアだと思った。
<4月5日 第二電電とKDDが合併合意>
京セラは15.3%トヨタは13.3%の持ち株比率で合意した。10月1日に合併。トヨタは日本高速通信株式会社とIDOを整理したが、KDDIで13.3%と大株主におさまり、失敗したかに見えたトヨタ通信事業参入も現時点では結果的に成功している。
<5月8日 NTTコム ベリオ買収をTOBでと発表>
8月15日NTTコムのベリオ買収問題で米国外国投資委員会CFIUSが国家安全保障上の観点から調査を開始したが米政府の通信傍受要請に協力することで合意し、クリントン大統領に問題のないことを報告した。8月30日にはTOBが完了した。
NTTコムの鈴木社長(当時)が6000億円を投じて進めたベリオ買収もその後ベリオが破たんして、大きな傷を受けることになる。鈴木氏はNTT持ち株会社社長の有力候補から脱落する原因になる。
8月にはNTTドコモがKPNに投資して失敗することになる。2001年1月と12月にAT&Tに100億ドル程度の出資をし、その投資で多額の損失を出している。
<5月30日 ケーブル連盟の公金横領事件>
ケーブル連盟の約1億円を私的な投機(大豆の先物取引)に流用し、失敗して損失をだし返せなくなって発覚した。郵政省から天下りした松田久夫常務理事・事務局長(元千葉中央郵便局長)が懲戒免職処分に。当時、私はかなりの頻度でケーブル連盟を訪れていたのでこれは驚愕の事件であった。
<6月5日 FCC AT&T メディアワン買収を承認>
当時、史上最大の買収劇だとされている。1985年に地域通信から撤退したAT&Tが15年ぶりに再びケーブル会社のネットワークを利用して地域通信に参入するとして大きな注目を集めた。1996年電気通信法の成立を受けて1996年2月8日に長距離・地域・無線・映像の総合サービス提供を表明していたが、表明4年後にこの巨大な買収劇が起きる。
司法省がリードしたAT&Tの分割劇も15年経てば世界は変化し、再び再統合の動きがはじまる。この年10月1日に始まるプライスキャップも米国に遅れること10年である。優先接続も同様である。米国追随型のしかも10年遅れの通信業界規制は常に時代遅れになる。
<6月27日 ジュピターテレコムとタイタスコミュニケーションズの統合を合意>
住商、リバティー各35%、マイクロソフト24%、東芝、伊藤忠各3%で合意する。統合後の持ち株比率はジュピターが圧倒的で統合という名の吸収となる。8月1日に合併、9月1日に統合完了し統合後の加入者は75万人。振り返り眺めるとトヨタのKDDI合併にみせた粘り腰を伊藤忠と東芝は持ち合わせていなかったことになる。
<7月 郵政大臣が「IT 革命を推進するための電気通信事業における競争政策の在り方」について諮問>
12月に一次答申を得、2002年2月に第二次答申を得る。第二次答申ではユニバーサルサービスの基金拠出についてNTTのみならず全事業者からの拠出を提言している点が画期的である。NTTの採算地域と不採算地域8つまりユニバーサル基金による補償対象)のコスト算出に長期増分費用方式を採用することが提言された。
NTTの研究開発責務(NTT法に研究開発の責務が規定されている)の解放も将来の検討課題として提案されたのも注目されるべきだろう。
<8月11日 日本交信網が接続裁定を申請>
日本交信網がNTT柏局での接続拒否と高額な調査費用に対して不満として総務大臣に裁定を申しでる。8月23日受理して審議会に諮問し、日本交信網の主張を認める。この裁定申請は零細通信事業者といってよい岩崎氏の日本交信網がNTTを相手どって裁定を起こすという事で注目を集めた。ソフトバンクの孫正義氏はこの裁定を申し出た岩崎氏の心意気を買って、2001年からADSLを開業した直後しばらくの間コンサルタントとして契約していた。
<9月 一種事業と二種事業の兼業が可能>
第一種電気通信事業と二種事業の兼業が両事業の会計分離を条件として可能になる。第一種と第二種と言う外形的分類の終了の兆しがみえたと言うべきだろう。
<10月1日 プライスキャップ方式導入開始>
米国では1990年9月19日に市内電話会社のプライスキャップ規制をFCCが導入している。10年後の2000年に日本にも導入。参考に以下にプライスキャップの式を示す。プライスキャップ規制は上限価格を設定することではなく、上昇率を規制する。値下げ傾向が見え始めた時代にプライスキャップは時代錯誤の政策と言える。
I:年間の物価指数変化率からX:事業者の年間生産性上昇努力率をマイナスするところがポイントで、Xの設定値がさじ加減になる。
Pt=Pt-1+Pt-1(I-X)
Pt :t年における料金水準の上限
Pt-1:t-1年における料金水準
I :年間の物価指数変化率
X :事業者の年間生産性上昇努力率
これはADSL事業者にとって極めて大きな意義を持つ接続約款の認可申請で、これをリードした郵政省の担当者の功績は大きい。
<10月25日 公正取引委員会がDSL会社(イー・アクセスの事と後に判明)の新規参入でNTTを独禁違反容疑で審議中を表明>
イー・アクセスがコロケーションの調査を申し出ていたが、その回答が遅れたことを参入妨害として公正取引委員会に訴えた。NTT本社には公取の強制立ち入り捜査がはいり、独禁法3条の疑いで警告を受けることに。
<11月16日 接続料規則が公布>
電気通信事業法の施行規則である接続料規則が公布され、長期増分費用方式による報告が義務づけられる。
第六条 事業者は、・・・第一種指定電気通信設備を通常用いることができる高度で新しい電気通信技術を利用した効率的なものとなるように新たに構成するものとした場合の・・・資産及び・・・費用を、・・・当該手順の適用の日までに整理してこれを総務大臣に報告しなければならない。
<11月 高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT 基本法)>
電気通信事業者から見る限り、あまり関心をもたれなかったこのIT基本法であるが、多少関連するかもしれない記憶を探ってみる。
2003年頃に自民党の通信部会(だったかその会合の名称ははっきりと思い出せないのだが)に出席した時のことを思い出す。e-Japanの進捗状況を議論していて、政府側が、つまり総務省の顔見知りの役人たちが行政の電子化や医療カルテの電子化の進捗を報告しており、議員達はその進捗の遅れ、とりわけ医療の方が遅々として進まないことを政府側に厳しく指摘し、批判していた。政府側は医者がこのシステムを使いたがらない理由を縷々説明していたが、要はカルテの透明性を嫌うと言うことだった。
昼食時には自民党本部で御馴染みのカレーライスが出され、そのあとは離島の電話をどうするのかについてある議員が「すでに携帯電話が固定回線数を抜いたのだから、離島も固定電話にとらわれる必要はないのではないか」とユニバーサルサービスの在り方についての発言をしていたのが記憶に残る。
数年後にADSLの干渉問題でANEX-AのソフトバンクとANEX-CのNTTやイー・アクセスが対立した時には盛んにこのIT 基本法やe-Japanという言葉がきかれた。IT基本法で国民に低廉なブロードバンドの普及を目指すとしており、ソフトバンクの廉価なADSLサービスの普及と国際標準であるANEX-Aの採用は不可欠であり、IT基本法の精神にかなうものだという文脈であった。これがその後のソフトバンク側の主張を受けいれられたことと明らかに関係があるのかどうかは明らかではないが、総務省側の判断には影響したと推測している。
<12月6日 総務省 99年度の通信回数 移動系が固定系を抜くと発表>
契約回線数5800万を超える。10年前は90万弱であり、約60倍。この10年でこれほど伸びたものは類が無いのでは。
<12月8日 ISDN 1000万回線を超す>
1990年から始まったISDNはこの年1000万を超すが、翌年の2001年に1032万回線をもってピークを打ち、2012年末では436万と減少している。
当時のインタネットはISDNが人気で、我が家でもこのISDNでインタネットを楽しんでいたが、ある月に請求が三万円を超えて愕然としたのを記憶している。原因は娘の卒論完成にインタネットを多用したためで、わずか1年後の2001年から本格化するADSLでは定額で3000円を切ることになる。
<12月15日 NTT労組組合員の年金共済使い込み発覚>
1993年からNTT労組による先物取引に組合員の年金共済保険料300億円が使い込まれていた。当の保険会社である東邦生命が1999年に破綻してGEエジソン生命に移った事で発覚した。85億円のみを返金でうやむやに。津田委員長が早期退陣のきっかけとなるが、彼の委員長時代の事件ではなく事件の淵源は山岸元委員長の時代まで遡る。
<12月20日 英国ボーダフォンが日本テレコム株15%をJR西と東海から取得すると発表>
日本テレコムが外資により切り刻まれることになる第一歩。JR西と東海の持ち株譲渡は坂田、村上両トップにとっては驚愕の行動であった。取得総額は2500億円。
<12月26日 NTTがADSLを本格開始>
1999年(平成11年)12月に大分市の(株)コアラ、東京めたりっく通信(株)、及びNTT東日本、NTT西日本が試験サービスを開始していたが2000年12月26日NTT東西がADSLを本格開始する。
当時の報道では月額利用料金4000円 初期工事費19300円 下り最大1.5Mbps(1536kbps)/上り最大512kbpsでISP様との接続が可能とある。
<余話1>
この年4月から5月にかけて日米間の接続料金交渉は最も緊迫した時で、私は当時外資系通信会社にいた関係で、5月の連休中にもかかわらずアメリカ大使館の担当者から常に連絡が取れる状態を要請されたりした。