酔芙蓉も既に花はすべて落ち、淡い緑の葉のみが繁っている。モッコウ薔薇もシュートが伸び気味で、手入れの悪い髪の毛のように見苦しい。気を入れて手入れをしなければ。
鉢の金魚は元気に泳いでいる。直径30センチの睡蓮鉢のなかに完全なサイクルができあがっているらしい。めだかとタニシの姿が見えないが、底にいるのか、冬眠に入っているのかもしれない。めだかはあるいは、と心配している。一月半ぶりに帰宅して赤い金魚が鉢に揺らいでいるのを見るとほっとする。
庭先の森の葉も淡い黄色みを見せており、その木に絡まる蔦の中には紅葉しているものもある。赤道直下の真夏日からいきなり深まる秋に接してもさして違和感はない。60余年にわたって体が記憶している秋なのだ。
サラリーマン時代は日本にいても、年によってはこんなものだったかもと。仕事に明け暮れてはっと気がついたら夏もとうに過ぎていた。こんなこしかたばかり送っていては実質的には生きていないのと同じだろう。そうでない年も多いので、よかった。
薄氷 金魚の孤独 極まれり