この化城喩品の化城とは城壁で囲ってある幻の街のこと。
私は苦行のことを人間のロマンだと思い、笛を吹くことだと思っています。笛を吹くことがどうしてロマンなのかは、いつか申し上げるつもりですが「ええなあ!という人生」法華経
紀野一義は苦行のことを人間のロマンだと言った。そしていつか申し上げるつもりですと言い残してこの世を去った。
仏、諸の比丘に告げたまわく、大通智勝仏阿耨多羅三藐三菩提を得たまいし時、十方各五百万億の諸仏世界六種に震動し、其の国の中間幽冥の処、日月の威光も照すこと能わざる所、而も皆大に明かなり。其の中の衆生各相見ることを得て、咸く是の言を作さく、此の中に云何ぞ忽ちに衆生を生ぜる。
又其の国界の諸天の宮殿乃至梵宮まで六種に震動し、大光普く照して世界に遍満し、諸天の光に勝れり。
中間幽冥の処、日月の威光も照すこと能わざる所というのは我々の意識の奥深いところでこころの奥に真っ暗、意識の働きはまったく役に立たないところ。
フランクリンはフロイドの弟子で我々の無意識の奥に性欲がありそれが行動の源泉だといったフロイドの説がどうしてもそうは思えないことをナチス下のアウシュビッツ収容所で知った。収容所である人が老いた人の身代わりになってガス室に行った。そういう人を見てその思いに至った。そしてそれらの事実を速記で小さな切れ端に書き留めてそれを戦後に「夜と霧」として出版した。
無意識のもっと下の方の意識に聖なる意識がある。仏教では阿頼耶識、さらに下9番目に阿摩羅識があるとされている。これが中間幽冥の処と云う。
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時に一人の導師あり 強識にして智慧あり 明了にして心決定せり 険きにあって衆難を済う
一人の男が隊商を引っ張っていく。疲労困憊した人々に神通力で幻の大化城を見せる。
汝等此の城に入りなば 各所楽に随うべし
諸人既に城に入って心皆大に歓喜し
皆安穏の想を生じて自ら已に度することを得つと謂えり
ひとつひとつどうしても通らなければならなかったところを苦しんで通るか面白いと思ってとおるか。氏は「ほー 面白くなってきやがった」と声に出して言う。声に出していうのが大事で面白いとか、可愛いいとかいわなければいけない。そうすると苦しいことも越えていけると言う。
導師息み已んぬと知って 衆を集めて告げて
汝等当に前進むべし 此れは是れ化城ならく
我汝が疲極して 中路に退き還らんと欲するを見る
故に方便力を以て 権に此の城を化作せり
汝今勤め精進して 当に共に宝所に至るべしと言わんが如く
宮沢賢治の「屈折率」を紹介して彼は業因縁だったと言う。
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりももっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラッディン 洋燈とり)
急がなければならないのか
宮沢賢治は縮れた亜鉛の雲へ、陰気な郵便脚夫のやうに歩いて行った。化城喩品の楽しみの世界、休息の世界にはいかなかった。宮沢賢治は化城は当然知っていたがこういう人間にはなりきれない。業因縁だったと氏は言う。
氏は業因縁にはなれない。氏はなんでも化城喩品にしてしまう。化城を楽しみながら行く。とても賢治のような生き方はできないが氏はこの方がいいなと思う。
氏は「七つ森」を眺めていたときに山がピンク色に輝いた。なんかあったんだなと時計を見た。ちょうど知り合いのけいこさんが亡くなった。
わたしも前妻が亡くなったときに娘からプレゼントされたオパール色の美しい時計が止まったという不思議を経験した。ちょうど死亡時刻の11時をさして止まっていた。
幻の化城でたのしむというのも大切でそれが音楽であったり、おいしいものを食べたり、生活の楽しみであったりするわけで、そこで元気を得てまた歩き出す。そこで止まってしまったらだめだと言う。氏は一年を通して幻の化城でたのしむスケジュールを設定すると言う。
化城喩品は雑多な章が入り込んで繰り返しが多く出来がよいとはいえない。しかし雑多な章も入り込んで大交響曲が出来上がる。我々が勝手にいらないなんて考えたらいけないと言う。