ペルーで手に入れた諸尊仏龕は清国人苦力あるいは関係者が持ち込んだものにほぼ間違いないとして、関連を調べていると清国人苦力を助けた気骨のある日本人がいることを知る、それは副島種臣で奴隷解放事件で人道主義と日本の主権独立を主張した。
明治5年(1872年)に横浜港停泊中のペルー船籍マリア・ルス号に清国人苦力が奴隷として収容されており、当時の外務卿、副島種臣が清国人苦力の解放を命じ、清国人は解放され清国へ帰国した。
こうした行為は国際紛争を引き起こすとの意見もあったが副島種臣は人道主義と日本の主権独立を主張し、清国政府は日本へ謝意を表明し、後世に「奴隷解放事件」と呼ばれる。もっと顕彰されてよい。