厳島神社に詣でた。この日は曇り空で平日でもあり観光客はまばらであった。そのせいか静かな宮島を堪能することができた。時折出会う外国人観光客を横目に見ながら参道をゆっくりと歩くと心が穏やかになっていく。駅の構内に掲げられた写真と説明文を眺めているとこの島は花崗岩でできているという。この島には特別な気が満ちているという人がいたが花崗岩の島と土地の気は何か関係しているのだろうか。心が静かになっていくのも「気」のせいか。
いつもそうするように焼き牡蠣を昼食に食べる。殻付きの牡蠣を焼いて醤油がかかっているのを食べるだけの簡単料理だが海の香りがして旨い。今日は寒いので熱燗で口を洗いながら食べると一層味が冴える。併せて穴子重=鰻重によく似たお重を頼む。これもうまいが一寸ばかり塩辛いのが少し気になる。牡蠣フライも箸で少し押さえるだけで汁があふれてくる。
途中で鹿が二匹寒いのか体を寄せ合って寝ている。湾内には鵜だろうか水鳥が餌の魚をとっている。海水は透き通り小魚が泳いでいるのが陸から見える。牡蠣の養殖には当然この程度のクリアな海が必要だろう。
この日は満ち潮で鳥居も海水に浸り潮が満ちてきているのがさざ波でわかる。連れ合いが青海苔のようだという海草の緑が砂浜に残り境内の朱との配色がよい。この海草の緑に合わせて朱の神殿を造ったのかと穿った想像をしてしまう。
千畳閣を見上げながら歩いていると鳥居の横に小さな石の階段があることを発見した。気をつけてみないとそんなところに石段があるとはわからない。おやと思い近づいてみると丘の上にある千畳閣まで40センチ幅の石段が続いている。その石段に上からわき水が流れている。水はけの便と抜け道の両方を兼ね備えたものとみた。
休憩に藤い屋で紅葉饅頭と抹茶を喫する。観光地にしては上出来の抹茶である。併せて出してくれるお茶もまずまずおいしい。ふとみると油絵が壁一面に何点も掛けてある。みるともなくみていると色調がただ者ではない。作者は堀研とある。彼岸花と題した朱と白の曼珠沙華を描いている2点が特に印象的だ。この店の主人が愛好家なのだろうか、10点ちかくある。
紅葉まんじゅうの自動製造器に感心して眺める。今のコンピュータ制御ではないがロボット大国日本の先駆的な技術だなと感心して見入る。江戸のからくり技術と近代の機械技術の融合したものだろう。次々と紅葉まんじゅうがセロハンの包装紙に包まれて完成していく様はどこかユーモラスだがしかしその精度は凄い。気合いの入った機械だ。
木彫りの土産物屋では連れ合いのお母さんがめざとく仏がんを見つけた。私が南米の、とあるいなか街で買い求めた骨董仏がんと同じ形をしている。白檀製品は貴重で奥にしまってあるという。その主人曰くかなり高価だというのを聞いて愚かにもにんまりする。なにせ裏に清の皇帝乾隆年制とあるし、白檀の薫がすばらしいとひとしきり自慢する。テレビ番組・何でも鑑定団の見過ぎだと連れ合いに笑われる。
もちろん厳島神社には世界漫遊の無事であったことのお礼と安産祈願はしっかりしっかりお願いしました。