まさおレポート

国が違えば仏教も異なる 南伝・北伝の輪廻転生は共通

インドネシアのバリに滞在していた時のことだ。滞在中のビラのオーナー夫妻と親しくなった。中国系のインドネシア人で奥さんはキリスト教で主人は仏教だという。奥さんは熱心なクリスチャンでビラ経営の合間にキリスト教に関する説教のなかでもわかりやすくておもしろそうな話を軽いノリで話してくれる。説教というのは正確ではない。寓話というべきかもしれない。

そのうち記憶している話がある。ある男が崖から落ちそうになった。そのときどこからともなく神の声が聞こえた。
「私を信ずるなら手を離せ。そうすれば助けてやる」しかし男は手を離すと断崖の底に落ちていくのがわかっているため手を離すことができずにいた。そのうち男は餓死してしまい手が離れた。男は下に落ちたが途中の木の枝に引っかかっていた。」
神の言葉を信ずればそのまま手を離し木の枝で助かったのに信じなかったために餓死したという説話になっている。私は彼女にどうして神は下に木があると教えなかったのかと反論したがもとより軽いノリの話であるためそれ以上話は進まなかった。そのあたりに神と仏の違いの本質があるような気がしたのだ。試す神と慈悲の仏の違いかと。


オーナーの主人の方は夫婦仲がすこぶる良いのに仏教だという。この主人の仏教とは輪廻転生を信じることと隠徳を積めば後生の陽報があるという明快な考えかただ。この主人は深刻な持病がありなんどか死線をくぐっている。そういう厳しい人生に直面した上で深まった信仰であるようだ。

このあたり私の仏教観とあまり違わない。この人の仏教は南伝・北伝どちらだろう。おそらく中国南部からきた華僑が祖先だから南伝だろう。だとすると南伝・北伝の輪廻転生は共通である。




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