令和の今日から平成の電話料金を眺めて果たして今日的意味があるかと思いながら書いている。昨年来、菅義偉官房長官が「携帯電話料金は4割程度下げる余地がある」と繰り返し発言している。菅義偉氏は総務大臣の経験者であり、当然電話料金設計の仕組みを承知していると推測する。総括原価方式が頭にあり、携帯各社が国民財産の電波を使用しながら日本の企業の利益率よりも遥かに高い利益率を上げていることが念頭にあると思う。2018年3月期の連結決算携帯3社の国内携帯事業の営業利益率はNTTドコモが21.3%、ソフトバンクが21.1%、KKDIが18.8%で、東証1部平均の2~3倍に相当する。かつて総括原価方式で利益率5%前後を妥当としていた総務省の大臣経験者である菅義偉氏目からは異常に儲け過ぎであると映ったに違いない。電話料金と総括原価方式の理解は最近の通信業界の動きの理解にも役立つと考える。
平成の電話料金の推移をみるならば通信白書が詳しいので割愛し、平成の電話料金がどうして決まったのか、電話料金に対する監督官庁の規制とは一体何だったのか、ひょっとしてそんなものはなくても良かったのではないか、そんな疑問を頭に描きながら平成の電話料金を記してみた。制度の規制は理詰めにしようとするあまり多少滑稽感の漂うもの、企業側に行政コストを課することになりがちである。固定電話料金の認可制度も廃止された今日、何を言いたいのか。行政の規制全般の方法論としての疑問として振り返ってみたい。
許可と認可では郵政省(当時)の扱いが異なる。料金認可はある基準を元に認可か拒否の判断をする。この基準が総括原価方式というル-ルで、この聞き慣れない用語は認可制度から届け出制度になり過去のものとなった感がある。しかし総括原価方式は2011年3月11日の福島原発事故を境ににわかに注目を浴びることになった。
東京電力の電力料金も総括原価方式で決められている。東京電力から復興特別税を取り立てろと言う意見(孫正義氏のtwitter)もあったが、これは結局のところ消費者料金に転嫁されてしまい、そのつけは国民が負担することになる。(総括原価方式もやめてしまえとする主張かもしれないが)2012年7月27日の衆院経済産業委員会で、日本共産党の吉井英勝議員は東京電力が、同社の子会社が設立した貿易会社から、火力発電用の液化天然ガス(LNG)を対米販売価格の8~9倍の超高値で購入している実態を示し、東電言いなりに電気料金値上げを認可した政府の姿勢を質したとある。
東電の子会社「TEPCOトレ-ディング」と三菱商事が共同出資し、オマ-ン産LNGの購入・販売権を有するセルトは米国向けに百万BTU(英式熱量単位)あたり2ドルで販売する一方、東電には9倍も高い18ドルで販売している (吉井英勝議員のウェブサイトより主旨引用)
この質問が示すように総括原価方式は料金低廉化のインセンティブが働かない。
さて総括原価方式とは一体どのようなものだろうか。総括原価方式を簡単に説明すると、設備や運用を含めた総コストを需要つまり電話利用回数で割り算して、それに適正な利益を上乗せして料金を算出する方式のことだ。手順から言えば至極まっとうで、民間企業でもどこでも料金の原価ベースとして計算していることだろう。ただ民間企業は市場ありきで、原価算出結果を参考にはするがそのまま採用しない。競合他社の料金や販売動向など諸般の事情を考え合わせて最終的に料金を決定する。
京セラ創業者の稲盛氏は料金設定を極めて重要なものとして、京セラ幹部養成訓練の一環でラ-メン屋などを訓練で経験させ、料金設定感覚を学ばせると言った話を読んだことがあるが、料金決定は経営者の最大課題であるといってよい。しかしそれが当時の電気通信事業では総括原価方式で縛られていた。民間企業なら強気の需要予測から弱気の予測まで大きな幅があり、その中での選択に経営陣の読みの力量と責任が問われる。ここに経営者の勘も意志も能力も総動員される。特に競争環境が厳しいときは正しい需要予測なぞ「神のみぞしる」ところで、リスクの程度はあるが少なからず勝負に出ることがあるだろう。
このことを後年2001年から始まるソフトバンクのADSL事業で知ることになる。孫正義氏はADSLが普及する価格を2000円台に置いてそこから採算に必要な需要を300万加入として算出していった。そうすると最も重要な費用要素であるADSLモデムなどは百万単位で発注できるためにコストが飛躍的に下がる。総括原価方式とは全く逆の発想で成功した事例だが、これが総括原価方式で縛られていたと仮定するとその成功はおぼつかなかっただろう。
総括原価方式の決定要素は費用の配賦方法などにも多少影響されるが最も大きな影響は需要の設定で、一見任意に設定できそうだが、電話需要は日本全体でみるとき限定的で一社だけが大きく需要を伸ばすと全社合わせた需要に矛盾が生じるため、どうしても過去年度の推移の延長線上に落ち着くことになる。
これなども実際の経営者の企業マインドと大きく食い違う点であり、アカデミックな鎧の下にどこか社会主義的なにおいがする。官僚は優秀であるほど理念的に完成度の高いコントロ-ルを行おうとし、そのために永久に現実とあわないモデルつくりに腐心する。長期増分費用方式もかたちを少し変えた総括原価方式であり、官僚組織の弊害とはこの総括原価方式に見られる社会主義的考え方にあると言ってもよい。
総括原価方式は費用に忠実な原価方式とされるが現実には意図する料金設定に落とすために多少のさじ加減は存在した。例えば電話と専用線の料金はそれぞれ独立して総括原価を計算するたてまえであるが、実際には同じ会社の中で同じネットワ-クセンタ-のスペ-スと電力設備などを共用利用する。このようなケースでは原価を配賦と呼ばれる方法で分ける。配賦にはケースによっていろいろな方法を利用する。たとえばネットワ-クセンタ-の利用スペ-スは実際には電話と専用線では同一人物が同一スペ-スを利用している場合が多いが、これをなんとか合理的と思われる方法で分けなければならない。そこで売上高による配賦という苦肉の策も使われることになる。これなど少し考えれば売上高と例えば保守費用が比例関係になっていないことが普通の感覚でわかるがそれでも完成されて提出される原価計算資料の中に幾分かは散見された。この売上高による配賦は後に長期増分方式によるNTT接続費用の算出にもところどころ使われていて、やはり研究会の指摘を受けていて姿を消していったようだ。
伝送設備では通信容量見合いで配賦され、営業所では電話営業と専用線営業のスタッフ数で配賦するといった方法で観念的に分けられていく。これなどは違和感が少ない配賦方法と言えるがやはり実際費用とずれが生じていく。新電電各社とも違和感を覚えながらも厳密な計算を心がけていた。後に原発事故の関連からわかったことだが東京電力の電力料金を算出するにあたって、過去から現在に至るまでインチキな総括原価算出の例があったと報道されていた。電力会社と通産、経産省にいたる馴れ合いの結果なのか、あるいはこの会社の体質なのだろうか。
ところがこの総括原価方式はそうではない。需要をあたかも自然科学の法則のように見なして、この方式に従って妥当とされる需要と料金がはじき出される。現実の経営者が決して採らないプロセスを官僚は規制の名のもとにとりたがる傾向がある。官僚主義の弊害と抽象的に言われると漠然としすぎて何をさしているのかわかりにくいが、総括原価方式や長期増分費用方式は官僚システムの欠点を象徴的に具現化した非常にわかり安い例といえる。民間企業を規制するのには極めてふさわしくない。
ゴンペルツ曲線やロジスティック曲線という統計学の世界では著名な需要予測曲線がある。一般にはあまりなじみの無い曲線だが人口の伸びなどを予測する曲線として知られるが、S字型のカ-ブを描いて右肩あがりに伸びていくこの曲線から需要を予測し、別に算出した総コストをこの需要で除して料金を算出する。こうして算出された料金を競争導入された民間通信事業に適用すると一面大変滑稽な、しかし通信事業者の経営にとっては極めて恐ろしい陥穽を隠し持つことになる。
上記の方式で算出すると競争初期では3社とも同じ料金になる。そのうちサービスエリアの全国拡大テンポに差がつきだしたら、今度は規模のメリットで1コ-ル当たりのコストに差がついてくる。しかし一方では将来投資のリスクを負っているのでそのリスク経費も大きなものになる。総括原価方式の理念によればこの両者のせめぎ合いで各社の料金はバラバラになるはずであるがしかし現実にはその後の展開でもそのようにはならなかった。つまり新電電三社で料金に差がつかなかった。現実の方が正しく、総括原価の方が捻じ曲げられたことは明白である。この事からも競争環境の料金策定モデルとして総括原価方式は適切とは言えない。
1990年代の前半は毎年の年明けからそうそうに、NTT県間電話料金の値下げが恒例的に行われ、それに追随する新電電各社の料金改定時期を迎える。各社の企画部スタッフは料金認可に必要な総括原価を作成するために膨大な資料つくりに追われることになる。
最終的に損益分岐点を3年以内に超えることを証明する為に需要予測にもとづく売上げ予測と必要な総コストの両面から具体的な数値を積み上げていくことになる。電気通信事業法上、あらたな事業エリアの拡大等に対する許可申請は5年以内の損益分岐点越えが必須とされ、料金改定や新規の割引プラン(選択料金 optional calling plan)の認可申請は3年以内の単年度黒字化予測が必要とされていた。
この許認可申請のために総括原価を作成する作業は企画部の一大事業で経理部門のデ-タをはじめ社内各部門や交換センタ-の要員数、オフィスや機械室のスペ-ス、ネットワ-ク設備の電話と専用線の利用割合等々多岐にわたる数値を律儀に正確に集め、さらに費用配賦したうえでサービスバスケット毎(電話や専用線をそれぞれ集計単位とする)に費用を集計していく。スタッフは正確なデ-タを集め、スプレッドシ-トをつかって完全に隙のない資料を作成するように心がけていた。
意図的に虚偽の数値を使うと電気通信事業法違反になり、また毎年料金改定のたびに一連の流れのある根拠数値を使って資料を作成するため、ある年一回でもいい加減なデ-タを使うと翌年度から次々と前年度との矛盾がでてきて収集が着かなくなるという実務上の強迫観念もあった。しかし同じく総括原価方式で料金を算出している東京電力では2011年9月に政府の第三者委員会「経営・財務調査委員会」が総括原価と比べて実際の費用が過去10年間で計約6千億円低いことを指摘している。
2011年10月17日プレジデント掲載の記事「東電の乱脈経営露出が止まらない。9月6日、東電の資産評価と経費を調査中の経営・財務調査委員会は、東電が1998年以降、総括原価方式で電気料金に反映させる想定コストを実際より高く設定していた“犯歴”を暴露した。
つまり実際の費用より高めに原価を算出して不当な利益を得たことになる。
後年長期増分費用方式(LRIC)と称する料金算定モデルがNTTとの接続料金の算定に使用されるようになるが、この長期増分費用方式も料金算定にあたっての原価計算のモデルの一種である。
NTTのネットワ-ク設備など一部の費用を実際の調達価格による費用算出ではなく、費用算出時点で最も合理的な調達費用を仮想し原価を算出する。長期増分方式もいくつかの変形方式に分かれるが、オリジナルはスコ-チド(scorched)方式と呼ばれる。スコ-チドとは戦争などで焦土化された土地を指し、その焼け野原に新たに街を作っていくようにネットワ-クを作成し、その費用を算出するというのがこの方式の出発点である。焼け野原に理想的な街を作ったとしてその街のマンション等の賃貸費用を想定し、実際の街のマンションの賃貸費用に置き換えて賃貸料を設定すると考えればわかり安い。
しかしこの考え方をそのままNTTの接続料金に適用することはあまりにも現実離れしているので現実のモデルには実際費用が多く使われている。長期増分費用方式の採用時には接続料金が顕著に下がったがその主要因は減価償却期間の見直しによるものである。それ以前は税務上の減価償却期間を採用していたのだが実際の利用期間に置き換えることにより原価を下げることができた。これは長期増分費用方式を持ち出すまでもなく総務省が接続ル-ルの中に盛り込めばそれで改善されたことであり、長期増分費用方式の採用がなければ達成できないものではないことは非常に重要である。不作為の罪とまでは言いたくないがやはり怠慢の責めは免れないだろう。
エクセルなどのスプレッドシ-トにピラミッド構造に諸費用が展開されるのが原価算出のプロセスであり、この費用の一部とネットワ-ク構成を理念的なものに置き換え、減価償却期間を会計上の期間から実際の運用期間に置き換えたものが長期増分費用モデルの本質であり、算出のプロセスは似ているのだ。
幅10センチ以上にもなるキングファイル一冊分の料金改定用資料を作り上げると次は霞ヶ関の郵政省に赴いて説明に入る。説明する相手は若い担当者で大学卒業後3年程度の若手職員が多い。説明する新電電側はおおむね30代以上で中にはNTTのOBで50代の大ベテランが担当したりする。この料金改定シ-ズンになると郵政省業務課の周辺では電気通信業界の同業者がフロア内に設けられた4人掛けのテ-ブルの前で料金変更を説明する姿を見かける。これなども滑稽感の漂う現実離れのした監督業務と言えないだろうか。
総括原価方式の資料が完了すると特別の事情が無い限り新電電各社の社長が省に出向いて電気通信事業部長から認可証を受け取ることになる。これは一般的なケ-スであり、時には認可をめぐって紛糾することもある。日本高速通信は他2社が既に単年度黒字転換を成したのちも単年度赤字を続けており、これに対して業務課長から認可に難色を示されたこともある。認可を受けられなければ倒産の憂き目にもなりかねない。経営トップの説明でようやく認可をうけることができたが、このときに省に対する批判などをメディアに流すと、こうした局面で仕返しを受ける、そしてこうした機会をとらえて省の天下りを暗に要求してくる。
日本高速通信の東款氏がトヨタ専務から転身してまだ対郵政との修羅場を経験していなかったある年の料金改定の出来事を記してみたい。既に第二電電株式会社、日本テレコム株式会社は単年度黒字化し、日本高速通信のみが新電電三社のなかで唯一単年度赤字を繰り返していた。(世間では二強一弱と揶揄気味に呼ぶ声も定着していた)そこへ例年どおり恒例のNTTの県間電話料金値下げが3月に発表され、新電電三社は例によって料金格差をキ-プするため追随値下げを行う段取りになった。
他の2社が1989年には前年度から飛躍的に売り上げを伸ばし単年度黒字化を充分な額で達成していたが日本高速通信はかろうじて4億の黒字を計上するにとどまる。1989年3月期のDDIは売上高989億円で経常利益を175億円あげている。日本テレコムは売上高771億円で経常利益113億円、日本高速通信は売上高239億円、経常利益4億円となったが翌年には再び赤字に転落している)
単年度赤字からなかなか脱却できない日本高速通信が少し考えれば他の二社と同一水準の料金申請を行うのは総括原価の理念と矛盾するのだが、将来需要と将来原価から料金を算出するので向こう3年間の需要を楽観的にして総括原価を何とか作り上げさえすれば料金申請はなんとかなると考えていた。
しかし、その年は例年とは異なり事前に郵政省の担当者から電話があり「連続赤字だと料金値下げ認可の説明がつきにくい。今回は例年通りにはいかない事をよくご理解ください」というメッセ-ジを受け取っていた。経営陣にもこのメッセ-ジを早速伝えたが誰もそんなに重要で深刻なメッセ-ジだとは受け取らず、説明が例年以上に必要なのだろうと考えて、役員の注目を浴びる事もなく、そのうち料金値下げ申請の作業準備に忙殺されることになった。
振り返って考えてみると郵政省の電話料金担当者がこちらにわざわざそんな事を云ってくるということは、省内でも議論があり、業務課長の判断があっての指示だということを理解すべきであった。しかしそのときは若い担当者が持った危惧あるいは感想ぐらいに考えていた。
その後郵政省に料金認可申請資料の説明と今後の申請日程を確認するために赴き、郵政担当者に説明を始めるといつもは打ち合わせには顔を見せない業務課長が大フロアの片隅のテ-ブルにやってきて、連続赤字での認可は難しい事を経営者に伝えて欲しいという。
帰社して上司に報告すると、郵政問題担当常務が郵政に赴いて説明することになった。常務は持ち前の闊達さで「料金値下げができないと会社はつぶれてしまう。日本高速通信をつぶす気ですか」と抗議したが、結果的にはこの強気の抗議は逆効果で余計に業務課長を怒らせることになった。
業務課長の話の端々に、日本高速通信のある経営幹部が某所で郵政省について批判的な発言をした事が課長の耳に入り、その事でたいそうご立腹で、その事に対して当社にお灸を据えるつもりもあることも聞こえてきた。しかし連続赤字会社では料金値下げが難しいというのも需要予測の信憑性という観点からは誠に正論である。
どの会社も開業当初は赤字で、予測が狂う事は事業の常だと言う反論も他の2社が既に安定的な黒字化を達成しているので反論としては苦しい。
この料金不認可問題では日本高速通信の郵政問題対応専務(郵政省OB)が常務の(失敗の)後に業務課長に説明することとなった。郵政省OBの専務の訪問だから業務課長も態度を変えるのだろうとの期待は裏切られた。「けんもほろろ」な対応といえば言い過ぎだろうか、説得は全くの不首尾に終わった。
官庁の先輩後輩の関係は相当強く働くものと理解していたのだが、事実はそう簡単なものではなさそうで先輩OBに対して現業の課長は日本高速通信に対して容赦ない経営批判(全国展開の遅れなど)と、日本高速通信幹部が某所で行った郵政批判に対しての怒りをぶつけた。先輩OBであるはずの専務は20歳以上も若い課長の前であたかも部下のように黙って批判を聞いているだけであった。官庁の先輩OBと後輩現業課長の関係を垣間見た思いがした。(あるいはこのケ-スは一般的なものではなく特殊なものであったかもしれないのだが)
その後、北海道に出張中の日本高速通信社長東氏が課長に直接電話を入れ、急遽出張日程を短縮して帰京し郵政に赴き、低姿勢で今後の経営方針を説明してようやく認可申請が受け入れられることとなった。この課長は特別変わった課長ではない、むしろ尊大なところは全く無く、話をよく聞いてくれる温厚なタイプであった。
しかし組織特有の職責に応じた態度を省内文化として受け継ぐのだろう、省のプライド(業務課長としてのプライドも)を傷つけられると持てる権力を総動員して監督官庁の威を見せつける。このときの事情を思い返すと中央官庁役人共通の思考パタ-ンのひとつが見えてくる。
新規事業の開始時は実にめまぐるしく経営環境や営業の実態は変化し、当初の詳細な経営計画はほとんど役に立たない。こうしたときに毎週のように先に説明した膨大な資料を作成しなおすのは可能ではあるが作成スタッフの労力や能力から限界を超えることもあり、それにふさわしい効果を持つとはいえない。その後、ソフトバンクで通信事業の立ち上げに携わったときは、そこまで厳密な積み上げを要求されることはなかったが、孫正義氏が重要な数字の勘所はしっかり押さえてそれを自由に組み立てていく能力を自ら有していたので畳何畳ものスプレッドシ-トによる分析より的確に方針を決定していた。
事業の立ち上げ時にはあまりにミクロな視点はかえって毎日のように変わる情勢に反応していくには有用ではないということをこの時に学んだ。もちろんある時期には詳細なビジネスプランが必要であるが、時と場合による。他面こうした方法を取りえる能力をもつ経営者はどのくらいいるのか。
1987年9月に新電電各社は最遠距離区分を3分換算300円(NTTは400円だったが翌年の1988年2月には360円と60円の値さに変更した)で参入した。ついで1989年2月にNTTが330円に変更すると新電電各社は50円差の280円に追随値下げを行った。1989年以降NTTが2月あるいは3月に料金を下げて新電電が追随すると言うパタ-ンが1997年2月まで8年間続くことになる。
追随するパタ-ンが1997年まで8年間続くが、変化の兆しもあった。1992年には新電電は追随をせずに先行的に値下げを行い1992年6月にNTTが追随?値下げを行うと言う例外が起きた。1993年と1994年はNTTも新電電も値下げを行わない。1993年から1997年までは値さが10円にキープされ、1998年2月には遂に同額となる。当初100円の値さが11年を経て同額に並んだことになる。
1992年は新電電がNTTに追随をせずに先行的に値下げを行っている点に注目したい。この年は横並びを嫌った日本テレコム坂田社長(当時)がNTTの値下げを待たずに先行的に値下げを行うという新電電の歴史の中で唯一の出来事になる。他の2社はその申請を知らず、申請後に慌てて追随の同額値下げを行っている。NTTも半年後の6月に値下げを行っている。
1992年の年明けには恒例の最遠距離の値下げを準備していたが何かの事情でNTTが値下げをしなかった。追随のみの値下げを潔しとしない坂田社長が他の2社の動向を意に介さず自らの経営理念により廉価な電話を提供する)に忠実に従った結果の行為だったと推測する。
毎年の料金改定はNTTが先行して新電電が追随するというパタ-ンを繰り返していたが、新電電各社の企画部はこの時期になると新聞やNTT接続推進部、それに郵政省等の関係者あるいは新電電他社から値下げ情報を一日でも早く得ようと躍起になる。公式にはNTT広報部が発行する申請料金のニュースリリースをもとに各社は対抗値下げを検討することになる。
当時は距離別に細かい料金距離区分が11もあったので、単純にすべての距離区分で全面的に(例えば)10%値下げという単純な値下げから、ある新電電A社は特定の距離区分だけ値下げするといった風に、同じ値下げでも各社、各年で対応が異なっていた。新電電発足後の初期段階では各距離区分ですべて単純なX%値下げの方法で対抗し、後になると距離区分毎に各社で差をつけた方法に変わっていった。
どうして新電電各社は同じ値下げ幅になるのか不思議に思われ、マスコミ記者達にもよく同種の質問をされたが、明確に答えられるものでもなかった。当時のある日、ずばずばとものを言う事で有名な郵政省の電気通信事業部長浜田氏が公開のセミナ-で出席者のこの種の質問に答えて大胆な発言をした。
「これは当然そうなるのですよ。考えてみてください。もしどこか一社だけが他の2社より高いか安いか差があるとする。すると当然格差を埋めるために再度値下げを行うことになる。それでまた格差があると他社が改訂を申請する。永遠に終わらないゲ-ムになってしまいます。三社が同じ料金というのは何も不思議ではないのです」と言ってのけた。
「こんな事いっちゃってこの人大丈夫かな」と内心心配した事が思い出される。この浜田氏の回答は結果(同一料金になる)から原因(各社が同一料金に設定する)を説明すると言う論法でなぜ新電電各社が同一料金になるのかのプロセスの説明にはなっていないが質問者は煙に巻かれたようでこれ以上突っ込んでは質問しなかった。シャーマン法の適用に厳格な米国で同じことが起きたら企業や役所の存続に関わる大変なことになっていただろう。