1970年初頭のコンピュータ室レイアウト設計
「坂田さん、こうやって配置を決めるんですか」先輩がボール紙を切り取り、それを大きな方眼紙に貼り付けている。楽しそうだなと思いながら尋ねる。「そうだよ、やってみるかい」「いや、難しそうなので遠慮します」
1970年代初頭つまり40数年前はシステム開発チームが設備の配置まで行っていた。スタッフの中の設備関連の専門化が中央演算装置を始めとして磁気テープ・磁気ドラム・集合磁気ディスク装置・空調装置・カード鑽孔装置・カード読取装置・などの仕様書を元に縮尺を厳密に設定したミニチュアサイズのボール紙を切り取り、それを大きな模造紙に丁寧に貼り付けて設備の配置を決めていた。
現在はそういった業務は当然分業化されていて、ハード設備の専門チームが実施するだろう。この当時でもプロジェクトリーダの判断でレイアウトは外注あるいはメーカに依頼していたチームのほうが多かったかもしれないが。当時の私のボスは特にハードや設営に思い入れの深い方だったので必ず自らのチームが行った。
ケーブル引き込み工事
「ケーブルの敷設工事はとても大切だ。だから君たちが自らやりなさい」ボスの指示が出た。記憶の中では50*50メートル程度はあった広大なスペースのコンピュータ室フロアにフリーアクセス(約30センチ四方の正方形の板で二重床に作られた空間に電源・各種ケーブル等の配線、空調設備等の機器などが収納される)が施工された後、その床下に太い電源ケーブルや信号線の太いケーブル等を引き込む工事を暑いさなか、全員が汗みどろになりながらやり遂げたと聞いた。
当時も専門業者に任せるのがごく一般的であり効率も精度もいいに違いないにも関わらず、我らがボスはこうした建設工事を部下にあえて施工させるところが特徴であった。戦前・戦中の日本人技術者の心意気と精神性を示したかったのだろう。
設備メンテナンス
週に一回程度であったか一定周期で設備のメンテナンス作業が必要だ。たとえば集合磁気ディスク装置に設置する可搬型磁気ディスクの表面のほこりを払う清掃もおおせつかった。もちろん現在は密閉型になっていてこのような清掃は発生しない。30センチ定規にキッチンペーパのような清掃紙を巻き、ディスクの合間に差込んで付着したごみを取り除くのだ。当時の可搬型磁気ディスクは図体が大きく10kg以上あったのではないか。片手で取っ手をもって持ち上げるのだがとにかく重い。しかも磁気ディスク容量はわずか30MBしかない。この可搬型磁気ディスクを10メートルは離れた保管庫から両手に一個ずつもって集合装置に設置する。これを定期的に30個ばかり掃除しただろうか。
磁気テープの読み取り部分もクリーニング用テープで清掃したような記憶があるが定かではない。もっともこうしたメンテナンスもその後運用とメンテナンスの専門チームが出来、そのチームに引き継がれることになった。
メインフレームコンピュータ
人の高さほどの中央処理装置の前面パネルの上方は演算を表示する緑色の小さなランプが並び猛烈な速さで点滅を繰り返している。このコンピュータ操作パネルの前で、一度同僚の肩を何気なく押したら彼がよろめいて操作スイッチに触れ、止まってしまったことがある。実際に運用中であったために業務が泊まってしまった。再立ち上げで事なきを得たが、後で大目玉を食らったことは言うまでもない。当時のメインフレームコンピュータFACOM 230-60であり、情報処理学会コンピュータミューゼアムでは次のように紹介されている。
【富士通】FACOM 230-60
全面的にICを採用した富士通の大型汎用コンピュータで1968年3月に完成した.前機種のFACOM230-50に比し4~10倍の性能を有するばかりでなく,オンラインデータ処理機能が一段と強化された.また,価格性能比を優れたものにするため,世界に先駆けマルチプロセッサ(2CPU)方式の採用や,モノリシックICの全面採用など画期的な新技術が導入された.特に,マルチプロッセサ方式は,主記憶装置および入出力装置を共有する複数台のCPU(FACOM230-60の場合は2台)で構成されるシステムで,従来の複合コンピュータシステムとは根本的に異なる,大型機の新時代を拓くものであった.
最大262,144語(1語は,データ 36ビット,フラグ 4ビット,パリティ 2ビット 合計42ビット),20mil/サイクルタイム0.92μsの高速な磁心記憶装置とサイクルタイム6μs,最大786,432語の大容量磁心記憶装置を採用し,演算速度として固定小数点加減算/乗算1.26μs /4.06μs,浮動小数点加減算/乗算 2.27μs /3.68μsの性能を有した.
その他の特長として,処理装置自身を診断するハードウェアDIACの内蔵,各装置のシステムへの結合,システムからの切り離しを行う切り換え操作卓の導入などがある.FACOM 230-60は発表と同時に各方面より高い評価を得て,同社コンピュータの大型機としての地位を築き,130台以上が出荷された.
コンピュータ室風景
7メートルごとに柱が立っている。柱と柱の間隔をスパンと呼ぶ。映像では三スパン程度が写っている。後を記憶で補うとコンピュータ室全体は6ないし7スパンの正方形で1500平米以上はあるだろう。天井には直径80センチほどの円形をした空調用口が開いている。室の中央辺りにはコンソールが2台並び、その前方には磁気テープが9台設置されている。紙カード読み取り装置が中央に置かれ、その向かいには紙カードさん孔装置が2台置かれている。
3.5メートルの高さの天井には蛍光灯ケースがずらりと列をなして並ぶ。部屋の置くには巨大な空調設備が見える。床面は30センチ四方のフリーアクセス床板が敷かれている。特有の臭いが今でも思い出される。この写真ではラインプリンターが写っていないが、隠れて写っていないのだろう。とにかく広いので端から端まで移動する機会も多く、かなりな運動量になる。ローラースケートで移動すれば楽なのにと夢想したものだ。
カード読取装置がカードを読み取る音や、ラインプリンターが打ち出す音や磁気テープが5センチほどの長さごとに小刻みに読み込んでいく映像がよみがえる。
磁気テープ
磁気テープ装置がコンピュータ室を象徴する装置だった。コンピュータをイラスト風に描くときには必ずと言ってよいほど磁気テープ装置が描かれていた。磁気テープの交換作業で、台車に乗った数巻の磁気テープを磁気テープ装置の前まで押していき、装置にリールをはめ込んで磁気テープの端を下から覗いている引っ張り側の端とつなげ、セットボタンを押すと空気の陰圧でプシュと吸い込まれる音がしてセッティングが終わる。コンピュータ室にはいると磁気テープから磁気ディスクに落とし込む作業や反対に磁気ディスクから磁気テープに吸い上げる作業がまず最初の仕事となる。場合によってはその作業だけで1時間が過ぎていく。
磁気テープは他のHDDなどに比べると機械的な頭出しのために時間がかかる。それでも高速で回っていくことに爽快感を覚えていると突然頭出しが終わり、10センチ程度の移動幅の小刻みな動きに変わる。それが延々と続き、無事終わるかあるいは何かのエラーで終了するとまた再び巻き戻しに入り速度を速めていく。こうした作業は45年たった今でも鮮明に浮かぶ。
当時の磁気テープは200メガバイト程度だったように記憶している。それに対して富士フィルムが開発した磁気ディスクは154テラバイトもあり、なんと百万倍で驚くべき進化である。いったんは過去のものとなった磁気テープが再び装いを変えて脚光を浴びることになったのはなんだか嬉しい。
プリンタ用紙の取り換え風景 紙が詰まったために大勢詰めかけているのかもしれない。
コンソール卓で操作する。後方はメモリーの設定卓。
バンキングシステム始動のリハーサル日 銀行側に説明するNTTデータ職員 このリハーサル日にシステムがうまく始動しないハプニングが。よく調べると電源が入っていない装置があった。この種のうっかりミスは伝統的なものらしく、聞くところによると日本IBM社の入社試験にも「システムが立ち上がらないときにはまず何を調べるか」という設問があったらしい。