ガラム煙草の匂い
インドネシアのグダン・ガラム社が製造するタバコで周辺に丁子の甘いにおいをまき散らす。デンパサール空港に降り立った時にこのにおいの洗礼を受ける。
世界は土・におい・風・光・水でなっている 2009-09-28
日本人が五大として知っているのは地・水・火・風・空で、またの名を五輪という。宮本武蔵の「五輪の書」の五輪です。世界はこの5大元素からなるといにしえの日本人は理解した。なかなか素敵ないにしえ人の考えだ。箱根の温泉地で青空を眺めてのんびりしている時、つまり最高にのんびりしているときにはあたりにこの五大が完備していると思い知る。
青々と繁った森と山々は「地」で、眼下に流れる清流は「水」、豊かな源泉の源はは「火」、暖まった体に涼風が心地よい、すなわち「風」、見上げればどこまでも青い空に白雲、これ「空」と、箱根温泉を五大に思いを寄せて遊んでみる。実に応用自在の五大だ。
バリではこれが土・におい・風・光・水になる。これも又、五大に劣らず興味深い五元素だ。「におい」と「光」が五大にはないものだ。一方、「火」と「空」が欠けている。「火」を「光」と、「空」を「におい」と見なせば同じだ。無理にあわせる必要もないが「火」と「光」は明かりと熱をもたらすものとしては同じカテゴリーか。「空」と「におい」はどうか。空の意味自体がむつかしいが、どちらも目にみえないが確かに存在するものと理解すれば共通のカテゴリーだとも思えてくる。
仏教の空観とまで思いを馳せなくても空は多義的な言葉で単純にskyやemptyではない。つまり具体的でない。それに比べて「におい」のなんと具体的なことか。ひょっとしたら、この「におい」の意味するところが空の本来の意味なのかもしれないなどと思いを馳せている。
明日はクニンガン 霊が芳香をともなってやってくる話 2010-05-21
明日はバリの送り盆に当たるとされるクニンガンの日だ。ガルンガンから10日目に催されるこのお祭りは迎え盆つまりガルンガンで迎えた祖先の霊を送り出す。朝から出身村の寺に詣でて祈り、午後は黄色い飯を中心としたご馳走を食べて海岸に出かけたりしてリラックスするという。もともと日本の盂蘭盆会も発祥を尋ねればヒンドゥのこの儀式に共通性を見いだせるのだろう。
今日のったタクシードライバーはシンガラジャの出身で、今晩遅く村に帰るという。ガルンガンやクニンガンそのほか各種の祭り=セレモニーでは彼の亡くなった父がやってくるのが感じられるといった。どんな風に感じるのかと問うと、父の霊がやってくると、花のような芳香がまわりにたちこめるのだそうだ。霊がやってくるとよい匂いがたちこめるとははじめて聞いた。霊というとなにやらおどろおどろしいものにしがちだが、芳香が立ち上るとは何と素敵な霊の来臨であることか。
朝からサンバル作りの匂い 2010-06-10
毎朝どこからともなくテラシの匂いが漂ってくる。テラシは主としてエビを発酵させて固めた調味料でベトナムのニョクマムなど魚醤系の匂いがする。サンバル作りには必需品でうま味を出してくれるがあまりに強烈だと少し辟易とする。朝だけではない、昼過ぎにもときとして匂ってくる。こうなると臭いという字をちょっと当てたくなってくるが、やはりアジアの食に欠かせないもので、臭いは失礼だろう。
それにしても日本ではどうしてこの種の調味料が全国区の調味料にならなかったのだろう。この種のものでは秋田のしょっつるが浮かぶ程度で、日本料理の主流の調味料にはなりえなかった。どうしてなのだろうか、このあたりを解読した書物にまだおめにかかっていない。
毎朝のこの匂いはおそらくいつも賑わいを見せる近所の魚料理の店「マクベン」が客に出すサンバルを作っているものだろうと思い当たった。
バリのジュプンから思いは飛んで 2011-02-24
バリの至る所でジュプンという白い花に出会う。バリだけではなくカンボジアでもタイでもベトナムでも寺院に多く植えられていた。この花はいろいろな名前を持つので最初のころは尋ねる人ごとに違った名前を答えられ戸惑った。日本やハワイではプリメリア、イギリスではフランジバニ、インドネシアではカンボジア、バリではジュプンと言うらしい。さらにピンクのジュプンはジュパンという。これは日本のジャパンから来ていると教えられた。カンボジアではたしか縁起のよい花ではないと聞いた。寺に植えるのは死者を埋葬するために線香の代わりをさせるためだろうか。
この花はよく道端に落ちているので、きれいなものを拾い上げて匂いを楽しむ。しかし、たとえばハイビスカスの花は落ちていても花の中心に雄蕊雌蕊がしっかりとついているが、このジュプンはそれらしきものが全くついていない。淡い黄色の中心部はがらんどうなので、一体この花はどうやって受粉するのか、あるいは特殊な花なのか、そのあたりが知りたいがいまだ知識をえていない。
このジュプン、実に甘い匂いがする。ある時から多くの花の匂いはある共通の匂いから成り立っていることを感じた。甘い中に苦いというか殺虫的な匂いが潜んでいる。百合の濃厚な匂いもジュプンの甘い匂いも、その他多くの花の匂いは甘い成分と毒を感じさせる臭いで成り立っている。もちろん同じ匂いだと言っているのではない。共通する2大成分があると感じているが、これも成分分析でもしたらどんな結果がでるのだろう。
ゼラニウムの花の匂いはよくないと聞いていたし、自身でもよい匂いというのは感じたことがない。しかしフローラルな香りがすると書いてある記事もあるしどちらが本当なのか、花も探せば悪臭のするものもあるのだろうと思う。
悪臭とよい匂いは実は成分的には同じで、希釈度の違いだとの説をかつて何かの本で読んだことがある。これは相当にインパクトが強い話で、長い年月を経てもいまだに覚えている。たとえば排泄物も極端に希釈すると香水の匂いに近づくというお話が書いてあったが、この話今でも通用する真実なのかどうか確認してみたい気がする。これは毒と薬の関係と同じで適量をとれば薬になるという話と通じている。
これはまた善と悪の関係にもどこかで通じていると連想させるが、これは村上春樹の「1Q84」でも追及しているテーマで、花の匂いから人間の根源的テーマにまで連想が行ってしまう。
よい薫りがただよってくる 2013-11-25
早朝に起きて窓を開けるたびに微かな薫香がただよってくる。花の薫だと思うのだがどの花から来るものかはわからない。朝日が昇る頃にはこの匂いは消えてしまう。夜の闇の間のみ放つのだろうか、あるいは人が活動を始めるころになるとこの微妙な薫を感じなくなる所為だろうか。ヤコウボクあるいはナイトジャスミンと呼ぶ花のせいか。
セダップ・マラムSedap malamと呼ばれる白い花をときどき買ってテーブルに挿すが、これはインドネシア語で夜に匂う花との意味で、花の薫は夜に匂うものらしい。サンユウカ 月下香
花を集めるスタッフ
ジュプンからとったエッセンスで線香を作る。ジュプンの花を内職みたいに集めて乾燥させて業者にもっていくと買い取ってくれる。どこでも見られる風景だ。社に捧げる線香の匂いのよさに感動することがあるが天然の薫りだったのだ。