まさおレポート

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宮沢賢治「春と修羅 序」は映画をメタファに縁起を語っている

2019-12-10 | 小説 音楽

「春と修羅 序」は解釈が難解と言われる。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈はうしなはれ)

 

1893年にエジソンが映写機を一般公開しフランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフ・リュミエールを開発、1895年3月にパリで開催された科学振興会で公開されている。一方、宮沢 賢治は1896年生まれで1933年に没したので映画を見たこと、あるいはその存在を知っていたことはほぼ確実だろう。すると難解と言われる次の

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

は個々の生命の縁起を映画をメタファにして説明しているように思えてくる。

「わたくしといふ現象」は「我」であり、「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」はいかにも空仮中の仮を指していそうだ。我々に見えていると思うのは仮の幻影であり、プラトンの洞窟の映像を思い浮かべてもよい。映画館のちかちかする光の中でスクリーンに映し出される映像は有機交流電燈のひとつの青い照明という表現がぴったりだ。

こうしてみると「春と修羅 序」は空仮中、縁起、梵我一如という難解な仏教解釈を詩として表現したもののように思えてくる。

 



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