キリスト教、仏教を問わず愚者崇拝が根底に流れている。まずはキリスト教から見てみよう。松岡正剛は道化と呼んでいる(つまり愚者のことだろう)米田氏著作を引用する。
「風天のイエス」「リリーを見ているとマグダラのマリアのことすら、ふと偲ばれるのだ。」「ノリ・メ・タンゲレ」などと大胆な言葉を並べながら寅さんとイエスを語るのだ。
イエスの死後に仕上がったキリスト教のカノンでは、イエスはマリアが処女懐胎して生まれたメシアであり、十字架で処刑されて32歳で死んだのに、「神の子」として蘇っている。こんなとんでもないイエスと渡世人の寅さんに、共通点があるなどとはとうてい想像がつかないかもしれないが、実は不思議につながっている。
「寅とイエスの両者に共通する逸脱は、他者を生かすための他者への思いやりであり、表層の嘘を暴き真相を露(あらわ)にする、いわば道化の姿である」
松岡正剛千夜千冊1576夜
では仏教の方ではどうか。葛飾柴又帝釈天の御前様がさくらに寅さんを語る。遠藤周作の代表的なキャラであるガストンのようにキリスト教の愚者を扱う作品はあるが、「仏さまは愚者を愛しておられます」は珍しいのではないか。いうまでもなく常不軽菩薩の伝統だが現代によみがえらせて描くのは初めてお目にかかった。誰か常不軽菩薩キャラを現代に蘇らせる作品を書いてくれないものか。でくの坊を描いた宮沢賢治のように。
いや 仏さまは愚者を愛しておられます。
もしかしたら私のような中途半端な坊主よりも寅の方をお好きじゃないかと そう思うことがありますよ。さくらさん。
そう伝え聞いた寅さんはさくらに言い返す。
へへっ 冗談じゃあねえよ 仏に好かれたっていい迷惑だよ。
今度お参りしたらそういっとけ。
そっちはその気でもお前のこと愛しちゃいねえよって。