記憶がどんどん遠のいてフェードアウトしてしまう。急がなければ。
子規の句でパリの記憶を呼び覚まされた。初めてパリに行ったのは20代のはじめでパック旅行で出かけた。慣れないシステム開発の仕事でストレスが溜まり不眠症などでかなり心身共に疲れており傍目にも危機的状況にみえたのだろう。一人旅に送り出してくれた。
当時は北周りで24時間近くかかっていった。アラスカのアンカレッジに夜に着き途中期中からはオーロラが見えた。初めての海外旅行で初めての飛行機だ。騒音がうるさくて眠れない。悪いことに機内映画では航空パニックの映画を上映しており隣に座っている女性が心底怖がっている。それが伝染してこちらも気持ちが悪いことこの上ない。
ドバイ・コペンハーゲンを経由してパリの上空に早朝たどりついた。眼下に見えるパリの風景の新鮮さに機中の疲れも飛んだ。空港からパリ市内へバスで向かった時には眠気も吹っ飛びただただ街を凝視していた。当時はこれからも何回もあることだとそれほどの思いを持たなかったが今となってはこれほどの感激はそう滅多にあるものではないと思う。経験の振り返ってしる重さかな。
宿泊はルテッシアホテルといい小ぶりながらしっかりしたいいホテルであった。部屋の窓からは朝市が見え早朝から街の住人の買い物で賑わっていた。皮をむいた七面鳥などが無造作に吊してありパリを感じた。
監獄をシャンソニエに改造した酒場では相席したアメリカ人と意気投合したがいかんせん英語力の不足に歯がゆい思いをした。パック旅行のガイド女性はパリ在住の日本人女性で知的でパリの粋を感じさせた。
ベルリンではタクシーが連れて行くのが4つ星ホテルばかりで適当な安宿がみつからない。ベルリンでは泊まらないことにしてイタリアのベニスに向かうことにした。時刻表も確かめずにベルリン駅に向かいちょうど間に合うイタリア・ベニス行のイタリア国営列車に飛び乗る。中に入るとすさまじい混みようで荷台の上にまで若者が寝ていた。荷台の上に寝るという光景は後にも先にもこの列車だけの経験だ。指定席でもダブルブッキングがあったらしく老婦人が席を奪った相手を非難する鋭い罵声が聞こえた。イタリアではレディーファーストも若い女に対してだけで老婦人を敬う文化はないのだろうか。
座る席が無くてしかたなく通路で横になり寝てしばらくすると車掌が暗い車内を切符点検にやってきた。なんと靴で肩をつつかれて起こされた。この日本では考えられない無礼な車掌はのきなみ通路で寝ている客を足でつついて起こしているようだ。さすがイタリア国鉄で上から目線の客あしらいに腹が立った。
ベニスに向かう途中駅で少し長めに停車したので改札を出て構内を少しぶらつくことにした。若い男が近づいてきてイタリア語で話しかけてきた。目が笑っていないのでどうも金をせびりに来たようだ。改札のほうに戻るとあきらめてついてこなかった。
ベニスを観光してイタリアのベニスからドイツのミュンヘンへ向かう列車では途中の駅で時間調整のために少し停車した。列車の寝台に横たわっていると少し空いた窓からすれ違った列車のだれかがいたずらで吐いた唾が飛んできてかかった。去っていく列車からの笑い声もドップラー効果を伴って去って行った。コンパートメントの若いドイツ人によるとイタリアの中学生のいたずらだという。たちの悪いいたずらをするものだ。
このコンパートメントでは若いドイツ人とイタリア人のおじさんが同室で、三人で歓談してミュンヘンまでの時間を楽しんだ。若いドイツ人はイタリアに留学中の20歳でミュンヘンの親の家に帰省するのだという。イタリア人のおじさんは英語をしゃべらないのでこの若い男がイタリア語と英語の通訳をしてくれる。ワインやビールで盛り上がり夜の12時までの数時間があっという間に過ぎた。日独伊三国同盟だとこのおじさんは喜んでいた。
ウィーンに立ち寄った。
シュテファン大聖堂 ゴシック様式 ハプスブルク家の歴代君主の墓所、モーツァルトとコンスタンツェの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂。
1359年に65年がかりで南塔が完成。107メートルの高さを持ちウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さ。
地下室。カタコンベの見学者のためのガイドツアーが一日数回行われている。
ドナウ川の眺め
巻いた藁が延々と広がる田園風景
長い長い影を作る夕日を浴びて色鮮やかな山並みを眺めながらの散歩。
フランクフルトの美術館に寄った。しかし作品のほとんどを忘れている。
ミュンヘンでは呼び込みのおばさんにまんまとやられた。警官には軽くあしらわれた。
マドリードの海岸で食べたブイヤベース。部屋を間違えたこと。サッカーをしていた少年。
列車でアルプスを走り抜ける。山並みの中を縫う。車掌におすすめを聞くとビラクがよいとのこと。そこに泊まることにする。小さな集落で川の美しい街。川の周りのレストランで台湾人の一行と仲良くなる。漢字で遊ぶ。
ベルリン 機織の家。
ドイツ ケルンを訪れたときのことだ。ケルン大聖堂を見学し終わって広場に出たときに豚を連れた旅行者に出会った。柴犬を少し大きくしたくらいの豚で実にきれいにみがきあげられ立派な皮の胴ベルトをしている。犬によく使う胸をたすきがけにするベルトだ。泣き声で振り返ってその豚に気がついた記憶がある。
豚を連れているのは男でヒッピー風だ。周りの観光客は珍しそうに注目している中を男はいずこへともなく歩きさった。ああしてヨーロッパ中をあるいは世界中を旅しているのだろう。犬をつれた旅行者は珍しくはないが豚を連れた旅行者はそのとき一回きりだ。食事は雑食だからなんとかなるだろうがトイレのしつけをどうするのか。ホテルに止めてもらえるのか。レストランでは犬をつれてもよいところは多いが豚はどうなのだろうと人事ながら気になったことを覚えている。
これは1990年の記憶だ。ヒッピーは1960年代に大流行したが再びネオヒッピーあるいはトラベラーと呼ばれるヒッピーの復活が有ったらしい。ちょうどそのときにケルンを旅してネオヒッピーの典型に行き当ったことになる。
ブルージュ 宮殿の扉に自らを手錠でつなぎ、何事かを抗議する男。
イギリスで鍵を鍵穴に落としてあせる。
ホテルの予約でインド人と激論
列車内でイタリア人親子と仲良くお話を。
イギリス 湖辺の風景 町並み 一人旅の看護婦の女性
ドーバーを渡る船中で3人連れの女性の新米先生たちから手紙をもらう。