by wiki
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1ce0e816ebacc985a5a0e29a3288777cf82622a?page=2
篠田桃紅さん(前衛書道家 107歳没)の「あきらめて救われる」生き方はいいな。
志に向かって一直線に向かう生き方も素敵だが宇宙的バランス、調和で考えると力を抜いて生きることもこれまた素晴らしい。
人間が努力をして今の繁栄があるのだが、地球単位でみれば滅亡を加速しているという事実に人はうっすらと気がつきだした。
努力家に向かって褒めたたえるのは当然として、力を抜いて生きる人に向かって「怠け者よ、もっと勤勉に生きろ」というのはおかしなことなのだが。
力を抜いて生きようと考えるものにとって現代の教育も道徳も社会のルールも成功者の訓示も生きづらい言葉で溢れている。
「力を抜いて生きようと考えるものが増えるとその国は衰退する」という暗黙の、そして無意識の柵が厳然とある。この柵を壊さないことには現代の価値観の方向転換は到底無理だろう。
ちょうど核廃絶に似ている。最初に踏み出したところが圧倒的に不利になるからだ。最初に力を抜いて生きようと言い出した国が経済大国から滑り落ちる。あとだしじゃんけんが勝つようにできている。
力を抜いて生きようと言い出した人は何を寝言を言っていると一刀両断され「負け組」に陥りやすい。
篠田桃紅の「あきらめて救われる」生き方は力を抜いて生きようと言い出した人に勇気と希望を与えてくれるのだが、しかしという声も聞こえてくる。
篠田桃紅は稀な一つの事例と思われて「でもまあ、そういう人もいるよね」という感想で数時間のうちに忘れさられる。事実そうだろう。
ガンバリズムはわたしのなかにも深く根を張っている。我が子が「力を抜いて生きよう」と言い出し好きなことだけをやると宣言されたらすくなくとも言い出された直後は怒りだし、猛烈に反対する。地球レベルと身近な生き方とは大きな乖離があることに誰でも容易に気がつく。
そろそろ努力家が正しい生き方で、力を抜いた生き方は怠け者とみる価値判断を脱しなければと思うがホモサピエンスは森を追われてサバンナで努力家として生存に成功している。つまり遺伝子レベルの思い込みが成功体験をもたらしているのだが、今や地球レベルの破壊も加速している。
篠田桃紅の言に耳を傾けてみよう、あるいはその解が見いだされるかも、あるいは「そんな簡単なものじゃないですよ」といなされるかもしれない。
これまで、自分の人生を年齢や世間の常識などで規制したことは一度だってありませんよ。絵さえ見せりゃいいと思っていた。
英語ができようができまいが、私には作品があると。勇気があったとか、そんないいものじゃありませんよ。成りゆきまかせですよ。もうこうなったらしようがないっていう。
人は欲張ってはいけないんで、一つ得られれば一つ失うことは覚悟しないとね。
私に言わせれば、人間は自分っていうものに絶望するために社会をつくったんじゃないかしら。
そして絶望してあきらめることを知って救われるんじゃないかなと。
私はあなたをとっても愛しています、なんて言うのは不遜なことよ。
愛する力もないくせに。
それはただ好きだって言うくらいのことよ。
本物の立派な人は尊敬なんかされたくないですよ、きっと。
人から尊敬されて喜んでいるような俗物ではない。
人はどう思おうと超然としている人が本物なんじゃないかしら。