以下 橘玲の記事から要点を抜粋。
全世界で12億人の信者がいるカトリックの総本山バチカンが、少年への性的虐待事件
2002年、ボストンの地方紙が教区司祭の性的虐待を大々的に報道
映画『スポットライト 世紀のスクープ』
「特異な環境は特異なひとたちを招き寄せる」
男児のペドフィリア(児童性愛者)は格好の場所をカトリックのなかに見つける 少年聖歌隊やミサを補助する侍童などと接触できる
偏った性欲以外はふつうで、仕事のできる愛想のいい人物
上記橘玲の記事から映画『スポットライト 世紀のスクープ』に興味を持ち、観た。
ボストン教区司祭のうち6%90人もの聖職者が男児のペドフィリア(児童性愛者)つまり性食者だったという驚きのドキュメンタリーで、ボストングローブの記者たちが転勤してきた編集長のもとで力を合わせて明るみに出すことに成功する物語です。
この映画は人に信仰は必要不可欠だが、宗教組織は腐敗するという古今普遍の真理を改めて教えてくれる。
善と悪、聖と俗は人間社会でそう簡単に切り分けられるものではないととるか、スカッとする勧善懲悪ストーリーととるか人それぞれだろう。あなたならどうとるか。
「特異な環境は特異なひとたちを招き寄せる」がピンとくる答えになる。
特異な環境つまり一生独身を貫くカソリックのシステムを改める以外にこうした胸糞の悪くなる事件の根を断つことはできない。
日本の仏教界はおおむね妻帯が許されていて、このような特異な環境は形成されない。水上勉の小説には僧侶と弟子の関係が見られるが、6%もの僧侶や数千人の子供の犠牲者などとは程遠い世界である。
その意味からも妻帯を認めた宗派は特異な環境を作らなかったという点で実に偉大な転換をなした。
映画『スポットライト 世紀のスクープ』で、「信仰は普遍だが人の作った教会は間違いもある」とのセリフが記憶に残る。