まさおレポート

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新電電メモランダム(リライト)32 公専公

2013-02-17 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

 

<国内の公専公開放問題が浮上>

国際通信では日米政府間折衝の結果,1990年11月1日から両国間に限り専用線の両端に公衆回線を接続する,いわゆる「公専公」接続が条件付きで認められていた。国内では1994年頃、公専公開放問題が浮上した。1995年4月に片端のみの公専接続が、翌年1996年10月に両端までの完全な形の公専公接続が開始される。

公専公接続とは、地域のNTT電話網とNTTや新電電各社の専用線を接続して電話サービスを提供しようとするもので、例えば東京-大阪間をNTTのメニューである50Mbit専用線で中継して、専用線両端と東京と大阪のそれぞれの顧客とはNTTの電話回線(公衆電話回線網)を利用する。当時50Mbitクラスの高速専用線が利用しやすい価格(確か2000万円くらいだったと記憶している)まで引き下げられ、国内に支店や出張所、工場、研究所を持つ大企業等がこのメニューを使い始めていた。こうした高速大容量の専用線を既に保有する企業や法人はその資源である専用線やPBX装置をそのまま有効活用して電話サービス事業に乗り出すことができる。あるいは自社内のPBX電話サービスに加えて社員の家庭にまでサービスを広げることができる。

従来からある構内PBX電話システムは同じA敷地内に点在する構内電話機同士か、異なるB敷地間を専用線で接続して相互の構内電話を接続する。あくまでも同一企業間が前提である。しかし上記の公専公解禁後では、異なったエリアに点在する同一事業所間でも、一定以上のトラフィックのあるエリア間は高速専用線で中継し、それほどのトラフィックの無いエリア間特に同一県内の事業所ではNTT公衆電話回線で事業所間を接続することで、全国ベースでPBXに近い廉価な社内システムがサービスが可能になる。このネットワークを第二種電気通信サービスの認可を受けて一般向けにも提供すればネットワークの利用効率が上がり、このネットワークを運営する企業の通信料金が格段にさがることになる。トヨタ、日産クラスの企業では年間数百億円の電話料金を支払っていたので全国に広がる事業所を持つ大企業では大きなメリットがある。(日産で約500億円という記事をどこかで読んだ記憶がある)

<公専公に反対するNTT、新電電各社、テレサ協>

この公専公接続は公衆電気通信法の時代から禁止され、電電民営化後も1987年の衆議院逓信委員会付帯決議で禁止されていた。 以来1995年4月の公専公解禁までこの規制は続くことになる。

電気通信事業法の一部を改正する法律案に対する国会の附帯決議(昭和62(1987)年)(抜粋)「第二種電気通信事業者が回線の単純再販を行うことを目的として約款外役務の申込みを行った場合には、第一種電気通信事業者がこれに応じないことを認めること。」(衆議院逓信委員会)

当時のNTT経営は市内電話の赤字分特に離島などの赤字を県間長距離電話事業部門の収入でカバーしているという構造になっていた。1985年の競争政策導入で第二種電気通信事業者によって公専公接続で廉価な通話を提供されると、県間通話の収益を奪われNTT経営がもたないということで、これを防止する保護政策であった。要はユニバーサルサービスに関する政策が未熟であるため、当面の暫定措置という趣の付帯決議であり、公専公禁止であった。競争政策の導入時にはまずユニバーサルサービスの政策的整理が喫緊の課題であるはずが、これを怠ったことにより相互接続に様々な問題を孕むことになった。

上記の公専公解禁ではNTTのみならず、新電電各社も経営がもたないと国内の公専公開放問題が浮上した途端に色めき立った。一般国民にとって公専公接続は電話サービスの料金やサービスに多様化をもたらすもので反対する理由はなさそうにみえたに違いない。しかし、NTTも反対したが、新電電各社も第二種電気通信事業者もテレサ協を中心に公専公接続に激しく反対をした。

第一種電気通信事業を営む新電電各社は大きな投資を行って事業許可も取り通信事業に参入している。許可を与えた以上は護送船団方式と言われた政府と企業の保護・非保護の関係を期待して当然と言う甘えが当時はあったのだろう。第二種電気通信事業者も許可を得て参入している。同様の理由で一定の保護政策は受けて当然と言う暗黙の了解めいた雰囲気があった。しかし郵政省は1995年2月27日には公専公の自由化を4月から実施とアナウンスし、結果的に1995年4月から専用線の片側だけを公衆網につなぐ形態のみ解禁され、1996年10月30日に国内公専公を完全自由化した。

ついで1997年12月22日にはガイドライン「国際公専公接続の自由化に関する方針」を発表して公専公接続による国際通話を解禁した。この公専公接続開放の動きはこの年の1月に調印したWTOの影響を受けたものであり、公専接続における諸外国からの遅れを認識したものと考えられる。

<新電電各社も公専公の一種>

1987年に開業した新電電三社も政府のお墨付を得た公専公と考えられる。NTTの公衆電話網を利用して新電電の専用線と同義の基幹回線網を経由して県間通信を実現する。競争政策の導入の必然性が迫られるなかでユニバーサルサービス保護の観点からNTTの保護も行わなくてはならない。そのために第一種電気通信事業枠の設置で大規模な設備投資が必要とされるハードルを設け、自由な参入を抑えた。さらに公専公禁止が必要であった。つまり第一種電気通信事業枠と公専公禁止はセットになった世界に例をみない政府規制でありガラパゴス的規制であり、省益が絡み合った悪規制であったという事が出来る。

<当時の新電電の危機感>

公専公解禁問題で1994年当時の郵政省と行ったやりとりの光景が目に浮かんでくる。1994年のある日のこと、郵政省の電気通信局業務課の調査官からこの問題についてヒヤリングを受けることになった。いよいよ公専公開放を要求する内外からの声が厳しいので開放は避けられない様子だという。ついては新電電各社の経営に、一体どの程度の影響があるかをレポートして欲しいとの要請を受けた。

 「これはえらいことになった」と帰社してその影響を検討したところ、試算では東京大阪間で50円近くにも低廉化が可能だとの検討結果を得た。その当時の新電電各社の東京大阪間の電話料金の約50%の価格でサービスが可能になる。これではかなりのシェアを食われてしまう。収益は相当な影響を受け、事業が成り立たないとの報告をした。この問題に対しては、第2種事業者も同様のあるいは一層の危機感を抱いたはずである。

公専公開放により最遠距離(東京-大阪など)では高速デジタル専用線の大幅な値下げ、例えば1.5Mbit品目では東京―大阪間は1994年2月時点で270万円であったが1995年9月には167.2万円と大幅に価格が下がるなどがあり、既にある企業内ネットワークを公専公サービスに援用すればコスト効率はさらに増し、値下げ能力はさらにアップする。

<蓋を開けてみると>

しかし、実は1996年10月に蓋をあけてみると、あらたな公専公事業者にシェアを奪われると云うことも特になく、経営に特段の影響があるようには見えなかった。この当時、公専公参入の可能性を持つ企業も、いずれ新電電各社も50円近く下がるだろうと予測し、そんな厳しい県間通信事業にあえて参入することはないとの読み筋だったのではないか。価格が大幅に下がる傾向にある事業には参入を躊躇したためだろう。

1997年12月に実施された国際公専公全面解禁では国際電話料金が高止まりしていたために多くの外資系2種事業者(BTネットワーク情報サービス、日本ケーブル・アンド・ワイヤレスCSL 外資ではないがDDIが1998年10月から国際公専公に)が参入した。国内公専公開放では「大山鳴動して鼠一匹」で新電電各社には特段の影響はなかった。国際公専公では大きなインパクトがあったかもしれない。

<国際公専公開始と国際通信系各社の動向>

1997年にはトヨタが既に実施済みの国内公専公接続網に加え、国際公専公接続をKDDとIDCの専用線を利用して開始している。これがKDDとIDCのその後の収入構造見通しに大きな影響を与えたことは想像に難くない。グローバル展開する日本企業の国際電話収入が落ちることが予測され、その後のKDDと日本高速通信との合併、NTTのIDC吸収などの引き金の一つにはなったであろう。(日本テレコムはITJを吸収を終えている) さらにはKDDIの誕生への引き金を引いたとも考えられる。

<公特公の歴史は1972年に>

公専公規制の歴史は古い。公専公接続は電話サービスを提供する事を目的とするが、コンピュータのデータのやり取りを目的としたデータ通信サービスに限っての公専公接続は、それが無いとNTTデータの公衆型(共同型)オンラインシステム事業が成り立たないという事情もあり、公特公と称して早くから解放されていた。NTTデータ通信本部に勤務していた頃、確か1971年に上司から公特公が開放されるとの話題を何かの折に聞かされたことがある。当時は聞きなれない用語で、上司から解説をしてもらった記憶がある。

NTTデータの公衆型(共同型)オンラインシステム事業はDRESSあるいはDEMOSと愛称される2つのサービスからなっていた。DRESSは販売在庫管理を電電公社NTTデータ通信本部が東京に設置した大型コンピュータの販売管理や在庫管理の各種アプリケーションを共同利用するもので、利用会社にNTTデータ通信本部提供の専用端末を設置し、公衆電話回線を利用して最寄りのアクセスポイント(東京、大阪、名古屋など)に接続して、このポイントから専用線で東京まで接続をする。

これはまさに公専公接続なのだ。同様にDEMOSは高度な科学技術計算ソフトを公衆電話回線を共同で利用するもので、建築設計のラーメン(骨組み)構造計算や耐震計算、データベース検索などを提供していた。巨大企業は自ら大規模コンピュータで計算していたが、それを構築するほどの規模ではない企業に利用されていた。

この2種類の公衆電話回線を利用したネットワークシステムはNTT電話経営に深刻な影響を与えないデータ通信の分野であることと、NTTデータ通信本部向けの身内への提供と言う2つの理由から1972年の第一次通信開放と呼ばれる緩和措置で早くから解放されていた。この緩和措置により電電公社や民間の計算センター等に利用者側に設置した端末からオンラインで利用する形態も、限定的ながら可能になった。1982年には公衆電気通信法の一部を改正して第2次通信回線開放と呼ばれる緩和措置を追加した。これにより民間企業による中小企業向けの付加価値通信サービス(中小企業VANと呼ばれた)が可能になる。1971年3月29日に東京でサービスを開始したDEMOSは1995年に、1975年10月31日に東京でサービスを開始したDRESSは1996年にサービスを終了している。

<余話1>

NTTは1996年6月から企業単位で電話料金を大幅に割り引くスーパーテレワイズを発売開始しているが、これなどは公専公解禁対策の一環ともみることができる。

 

 

 

 

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