まさおレポート

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新電電メモランダム(リライト)31 1995年

2013-02-14 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

 

この1995年は阪神淡路大地震、オームサリン事件、村山改造内閣によるアジア侵略謝罪談話が特筆される。貴乃花の全盛時代で、石原慎太郎の国会議員辞職の年でもある。昨日(2013年2月14日は18年ぶりの国会質問復帰と報道される。

<1月1日 WTO発足>

GATTウルグアイ・ラウンドの合意により、世界貿易機関を設立するマラケシュ協定に基づいて成立した。GATTの対象としていなかったサービス貿易、知的所有権等の分野もカバーする包括的な貿易機関である。WTOの発足に伴い改正された政府調達協定が1996年に発効、NTTの調達手続きもこれに沿って改定される。

1997年9月末に期限切れとなる日米取り決めは、再び延長することで合意。7月21日には米国がNTT系PHS 9社の海外調達をNTT資材調達協定の対象とするように要求する。NTTの再編成が終了したとみなされたのか、1981年の政府調達協定以来実に22年に渡ったNTTの国際調達義務は2001年に完全に失効する。

このNTT海外調達の歴史を分析評価することは今後のTPPを占う意味で大変参考になる。このNTT国際調達の代表例としてはノーザンテレコム社からの小型電子交換機の購入が挙げられる。この小型交換機DMS10は新電電各社がVPN接続を要求した際に大きな障壁として立ちはだかった。このカナダ製交換機のソフトウェアプログラマーが日本では調達できないために極めて高額の改造費を当初は提示された。最終的に妥当な金額に落ち着いたが、購入時の価格からは見えてこないコストが後にかかると言う事例である。

次に挙げられるのは真藤総裁時代に進められた顧客総合システムの導入である。やはりこのNTT国際調達に貢献するために推進された米国シンシナティーベルの顧客総合コンピュータシステム導入劇であるが、スムースな導入に失敗しており大きな損失を被った。どちらもハコものの国際調達に目が向き、ソフト開発面の困難さに気がつかなかった。

(TPPに関して、政府関係がたとえば米などを海外から備蓄米として調達する際は国際入札が義務づけられる可能性もあり、うま味など嗜好性の評価が入札になじまないだろうから数値目標をTPPで設定されると大きな貿易摩擦になることは目に見えている)

<1月17日 午前5時46分 阪神淡路大震災>

その日の朝、大地震が発生したことなどなにも知らないで会社に着くと高速道路化の光ファイバーが断線で不通になっているとの報告があった。しかし社のスタッフも事態の深刻さはまだ感じられない。そのうち高速道路裂断の映像が映し出されてようやく驚愕の大地震が阪神地方一帯を襲ったことが判明する。NTTの大開局が炎上する様子も何回となく流れた。通信も大きな影響を受けたがNTT関係者の必死の努力で比較的短期に復興する。

後日に大阪府豊中市に住む兄と電話で話をしたがその日の早朝、空が異様に光ったと電話口で語った。

その後、神戸の街は新しく生まれ変わり、復興は成功したようだ。16年後に襲った東日本大震災と福島第一原発事故も復興が成功する事を祈る。(別稿で阪神淡路大震災については記述)

 当時のNTTネットワーク事業部長 理事 石川 宏「情報通信ネットワークの危機管理」 http://www.orsj.or.jp/~archive/pdf/bul/Vol.41_02_090.pdfに阪神大震災とNTTのネットワーク計画について「興味深い記事が掲載されていた。阪神淡路大震災の翌年にどこかのセミナーで話されたものらしい。

この記事によるとNTTの災害対策はやはりよく考えられている。新規参入者は収益を考えるあまり、こうした国家的責任感に薄い傾向がある。こうした姿勢はKDDIやソフトバンクも充分に参考にすべきだろう。

ネットワーク全体の信頼性を考える場合,個々のシステムの信頼性の他にネットワークをどのように構成するかということも重要である.前述のようにして電話局から加入者の問の信頼度設計を行なっているわけであるが,電話局間のようなネットワークの共通部分になるとトラヒックをシェアをする部分であるので,平常時のことだけ考えて回線を削減しようと思えば相当なところまで削減できる。ところが,先ほど述べた大きな故障事例から,あまり削減しすぎるとうまくない.

たとえば新宿エリアの電話局が上位の市外交換機へ1ルートの回線のみにすれば,この市外交換機のダウンにより,新宿地域の電話がすべて不通になる.したがって,ひとつの電話局から必ず2つの市外交換機に接続できるようにしている(2重帰属という).さらにこの市外交換機相互間については,また,それぞれ2ルートで相手の市外交換機へ接続できるようにしている.市外交換機は全国で54カ所に設置してあり,1カ所に交換機のユニットがそれぞれ何台かあり,その間はすべての組合せで接続できるようになっている.電話局のあるセンタ(グループセンタ:GC)から目的のGCまでは途中,市外交換機のあるセンタ(ゾーンセンタ:ZC)を経由して必ず4つのルートがある.

神戸西GCから新宿GCへ接続するには

①神戸大開ZC~新宿ZC~新宿GC ②神戸大開ZC~白髭ZC一新宿GC ③京都南ZC←新宿ZC~新宿GC ④京都南ZC~白髭ZC~新宿GC というふうにこの間の組合せは必ず4通りあるという構成になっている。 

<1月17日 日本初のMSO設立>

日本の伊藤忠株式会社、東芝株式会社、米国のUSWEST、タイムワーナーがMSO(multiple service operater 複数の地域を運営するケーブル統括運営会社)タイタス・コミュニケーションズを設立した。タイタス・コミュニケーションズが阪神淡路大震災の起きた日に設立された事実をこの記事を書いていて初めて気がついた。

米国では1933年通信法以来伝統的に通信事業とケーブル会社がお互いの領域を侵犯しない時代が続いたが、この垣根が取り払われる1996年通信法の成立を予測したかのように米国内ではケーブル会社の通信事業兼業を模索する動きが活発化している。日本では1995年当時、ケーブル会社に対して通信兼業規制は存在しなかったので1996年法成立後の米国での展開を試行することが日本でMSOを設立した大きな要因と考えている。

ケーブルの広帯域化(750MHz)技術により多チャンネル化と同時に通信に割り当てる周波数帯域の余裕ができたため、規制と既に古いケーブルが張り巡らされた米国での展開よりも、普及率が低くこれから新たな広帯域ケーブルの展開が予測される日本にUSWEST、タイムワーナーは注目した。

ケーブルを通信に利用する場合に特に上り回線に流合雑音が懸念されたがこの大きな課題解決も日本での通信兼業開始の大きな課題であった。基幹回線は光ファイバーで伝送し、途中から各家庭には銅線による分岐回線を利用するハイブリッド方式では分岐点以降の銅線が各家庭からの雑音を拾いやすくなり、これを流合雑音と呼んでいた。当初は懸念されたが結果的には大きな問題とはならなかった。

ほぼ同時に設立した住商系列のジュピターテレコムが5年後にはこのタイタス・コミュニケーションズを吸収した。明暗を分けた最大の要因は4社の主導権争いで、次に両社のMSO事業へ懸ける執念の強さの違いなどが思い浮かぶ。

<1月25日 NTTが阪神淡路大震災の被害額発表>

NTTが阪神淡路大震災直後のこの日に被害額を300億円、復旧費1000億円と発表。2011年3月11日発生の東日本大震災の影響額はNTT資料によると「応急復旧・人的物的支援・被災設備の撤去等に係るコスト等(損益)が400億円、これに本格復旧、信頼性向上・復興に係るコスト(建設)が400億円+αかかる見込みであり、震災の影響は総額800億円+αとなる見通し。」(東日本大震災の復旧状況等について 平成23年4月27日 東日本電信電話株式会社より引用)と阪神淡路よりやや上回る被害額となっている。

こうした災害時の復旧費用はNTT接続費用に乗せられるべきであると考えていたのだがようやく第6次長期増分費用方式検討会の中で費用に含むとの方針の記述があった。

東日本大震災発生時の可搬型発動発電機の稼働実績等を踏まえ、40台の可搬型発動発電機をモデルに反映することが適当である。また、モデルに反映する可搬型発動発電機の容量・投資単価は、モデル上のRT局の所要電力を基に、最低限必要な容量を計算した上で、関係事業者の導入実績を勘案して推計することが適当である。

今次のモデル検討の過程において、NTT東西から災害対策の実施計画の詳細情報が提示された局舎に関して、自治体策定のハザードマップにおいて津波到達範囲内と想定される局舎について、最低限必要と認められる災害対策コストをモデルに反映することが適当と考えられる。

「長期増分費用モデル研究会」報告書 平成24年3月 長期増分費用モデル研究会

<1月 ジュピター・テレコム設立>

1月 住商と米国TCIが MSO(ケーブル統括運営会社)ジュピター・テレコム株式会社を設立。1995年はタイタスコミュニケーションズ株式会社設立と合わせて2MSOが誕生する。

<2月21日>

村山内閣の高度情報通信社会推進本部が「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」を政府確認する。2010年に光ファイバー網の全国的整備を目指すとある。1994年に郵政省が2010年にむけての光ファイバー構想を発表し、NTTもこれに呼応して2010年の完成をめざし、政府もこれらに符号を合わせての発表となる。

光ファイバー網については、その後も情報通信インフラの総体的整備を図る中で需要の顕在化や高齢化の進捗等を勘案しつつ、2010年を念頭において早期の全国整備を目指す。

2010年に「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」の目標である光ファイバー網の全国的整備が完成したが、このことと各家庭への普及率との間には当然のことながらまだ乖離がある。光ファイバーの整備完了の定義が各家庭までではなく「き線点」までの敷設としているため、光ファイバ―が「き線点」まで一本でも来ていれば整備が完成したとカウントされる。このため各家庭への光ファイバー敷設の潜在的可能性を示すにとどまることも誤解を与え、普及率との乖離を大きく見せる要因の一つだ。「き線点」とはNTT局舎から地下管路で運ばれ、地上の電柱に出るポイントを云う。現在では配線点と呼ばれる。

欧米ではFTTC(fiber to the curb 日本でいえば「き線点」相当までを光ファイバー化する)、FTTH(fiber to the home 各家庭の引き込み点まで光化する)の呼称があり、明確に定義されているが何故か日本ではこの定義がこの頃には政府関連資料にも定着していない。

「き線点」まで一本しか光が来ていないのと、各家庭に十分なファイバーが来ているのとではまるでその目標値と設備投資が変わってくる。現実には一本しか敷設しないというのはありえないだろうし、一本だけ引かれて100%目標達成しましたと発表されるのもおかしな話である。NTTにも政府にも光ファイバー敷設の目標を潜在的にあいまいにしようとする意図が働いていたのではないかと考えている。

総務省は2010年に原口総務大臣(当時)の「光の道」構想では、従来のあいまいな定義を改め、FTTH世帯普及率の定義で2010年現在の35%であるFTTH世帯普及率を2015年頃をめどに100%まで上げることを目指すことにした。しかしこの議論はソフトバンク孫正義氏の提案するアクセス網の分割議論に終始し、アクセス網の分割はコストと時間がかかりすぎるとの結論で終わっている。

NTTは経済的合理性からこのスケジュールでの提供は不可能であるという回答を光の道を検討する総務省「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」に提出している。確かにあと3年では100%の普及は難しいだろうと思う。ちなみにメタル回線は2025年で撤去するとある。

この2025年のメタル撤去の好機をとらえてCCボックスなどを活用した電線完全地中化による地域網の競争活性化、それが無理であれば電柱の空中権を設けてオークションによる他事業者の利用を促進すべきだと思う。分割問題は2025年に向けて検討するのが妥当ではないか。

<2月28日>

NTTがネットワークのオープン化に関する基本方針を発表。従来のZC交換機内のPOIだけでなく、加入者交換機GCやMDFの入り口と出口にも接続の可能なポイントが図示された数枚の報道資料が配布されたのを今でも思い出すことができる。従来はPOIが一点しかなかったのが4点になった。NTT相互接続の歴史の中ではエポックな日になる。

新電電各社はZC交換機で接続できればよく、他の3接続点は東京電力が出資したTTNetをはじめとした全国の電力系通信会社の要望によるところが大きい。1997年11月の接続ルールが接続コスト面で後押しし、1998年からこの新たな接続点を使い事業者識別番号0081として家庭からNTTメタル回線を使いMDF局内側の接続点を使ってTTNet回線への通話が可能となった。関東周辺500局で相互接続するという触れ込みで壮大に地域電話事業に乗り出したがKDDIに吸収されることになる。

<3月7日>

この日NTTと新電電各社がVPN(virtual private network 仮想私設網と呼ばれるが本質的には大口企業向け割引サービス)接続の基本合意に達する。1994年11月8日の電気通信事業法35条にもとずく裁定申し入れ、1994年12月28日の接続命令の後にようやく合意に至る。

日比谷のビルの上層にあるレストランで4社トップ(沢田NTT副社長、奥山第二電電社長、坂田日本テレコム社長、東日本高速通信社長)が合意を記念して会食をする。各社はトップだがNTTは澤田副社長で児島社長が出席していない点に注目したい。9月28日の行政改革委員会規制緩和小委員会がNTTからヒヤリングした際も沢田副社長が分割反対を表明している。児島社長(当時)は出張中だったのか、あるいは多忙に付き出席できなかったのかしれないが、こうして後で振り返ってみると本来NTTトップが出席すべき重要ポイントで代理となる行為が目立つ。労使問題に比較して力の入れ方に違いが見えるのは穿ちすぎかもしれないが。

<3月28日>

日本高速通信株式会社がようやく全都道府県でネットワーク完成。日本テレコム株式会社は三社に先駆けて1992年9月4日に全国でサービス可能になっており、実に約2年半遅れての全国ネットワーク完成となる。致命的な遅れであり、親会社筋では既に他社との合併を検討し始めていたとしてもおかしくない。

このころからDDIからも合併の打診があった節がある。DDIはマイクロウェーブネットワークでの展開に限界を感じており、日本高速通信の高速道路中央分離帯に持つ光ファイバー網に魅力を感じていた。しかしトヨタ側の吸収的合併を忌避するプライド意識があったのか合併話は進展していない。

KDDも国内通信に活路を求めており自前の海底線による国内網も進展していたが、海底線だけでは限界がある。そのために日本高速通信の国内光ファイバー網には魅力を感じていた。トヨタからみてKDDなら国内と国際の補完的合併とみなされ企業のメンツからも合併話は受け入れやすい。そうした背景があり合併が成立したと見ている。

KDDと合併したのちはDDIとの合併はたとえ実質はDDIの吸収でもその露骨な色あいは薄まり、結局KDDが触媒となって現在のKDDIが誕生した。

<4月 公専接続開始>

<9月6日> 1979年に発生したKDD事件で16年を経て最高裁が棄却してようやく有罪確定。元郵政官僚でKDD元社長に36万円を返還するよう裁判所が命令。妻の旅行費などとされているが、生活費まで社に出させていたと報道されていた。

KDD事件の経緯 

1979年10月2日 - 成田空港で国際電信電話株式会社(KDD。現・KDDI)社員2人が、海外から高級ブランド品を不法に持ち込もうとして、東京税関成田支所から無申告・過少申告で摘発される。この一報は、日本経済新聞が報道、その後の後追いで、朝日新聞がKDDの乱脈経理をスクープし、警視庁・検察庁が合同捜査を開始。

10月25日 - 板野学KDD社長、事件の責任を取り辞任。

3月18日 - 松井清武郵政省電気通信監理官・日高英実同省郵務局国際業務課長の2人を、収賄容疑で逮捕、疑惑は郵政省へ拡大。

4月5日 - 警視庁、板野KDD前社長を、業務上横領容疑で逮捕、高級美術品などを押収。

1985年4月26日 - 東京地裁、板野元社長に懲役1年6ヶ月(執行猶予3年)

1994年10月 - 最高裁、板野元社長の上告を棄却、懲役10ヶ月(執行猶予2年)が確定。

<9月7日>

電気通信審議会 NTTの在り方についての特別部会 奥山社長が長距離、地域さらに地域を2から4に分割することを主張。現在の再編成形態を含む案であり、その後、この提案が最終形態に結びついたものと思われる。同じ郵政事務次官である澤田NTT副社長は9月28日行政改革委員会規制緩和小委員会ヒヤリングで分割反対を表明した。両者の胸中は複雑な思いだったであろう。

<余話1>

NTT交換機を結ぶ回線が2重帰属や斜め回線によって信頼度を向上させている事実と、それらの設備費用が長期増分費用方式にどの程度含まれているのかの疑問もわく。あるいはトラフィックの相当存在する斜め回線では常時その斜め回線を使ってトラフィックを運んでいるのではないかの疑問もある。あるいは既に解決済みの議論かもしれないがNTTとの接続交渉で長年「斜め回線は存在しません」と回答を受け続けた身としては気になる。

<余話2>

1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生が発生し13人が死亡し、5,510人が重軽傷を負う。この日霞が関経由で出勤したところ、少し後の列車が霞が関で事件に遭遇したことを知る。同僚の部長は運悪く遭遇し、車両が離れていたために軽傷で済んだが、目の痛みを会社で訴えていたことを記憶している。すでに18年が経過する。

 


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